天使の恋

□第五章
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そんなあたしたちを待っていたのは、あたしの家の門に張られた一枚の紙。
“桜井あずさ 通夜会場”
――あたしの、お葬式だった。
「これって……」
黒と白の幕、葬儀用の花輪。いつもあたしが帰っていた家は、一日にしてあたしの通夜会場となっていた。
顔は見えなかったけれど、駿希はきっとあのときと同じ顔をしてる。
あたしが死んだショックで泣いてるときの困った顔。駿希がその顔をするときはきっと、相手にどう接すればいいかわからない時だ。
今、自分が傷つく準備をしているのが分かる。自分のお葬式を見ることがどれだけ辛いことなのか、それが目の前で今、分かろうとしているのに恐怖を感じた。
通夜会場となっているリビングのドアをすり抜けると、黒い服を着た人がたくさんいた。
担任の田崎先生。友達の甘奈、里佳ちゃん、夏凛、たくさんの知っている人たち。
祭壇にはあたしの遺影が飾られている。あれは去年の夏、家族で沖縄に行った時の写真だ。
そしてその祭壇の近くにはお父さん、お母さん、お兄ちゃんが疲れきって抜け殻のように座っていた。
死んでしまったのはあたしなのに、みんな血の毛が引いて自分が死にそうな顔をして座っている。
自分が死んで悲しんでくれる人がいて嬉しいとか、もうそんな程度じゃなかった。
お願い、もう充分だから、もう泣かないで。そんな苦しそうな顔をしないで。
家族から顔を反らした先に、木で作られた棺が視界に入った。
――あの中に、あたしがいるの……? あたしの体が、あの狭い空間の中に閉じこめられて……。
そのとき、リビングに若い三人組が入ってきた。黒い服を着て、申し訳なさそうに立っている。
と、顔を確認したや否やお兄ちゃんが立ち上がってその三人組を殴り倒した。
再び一人の胸ぐらを掴む。
「やめなさい、悠斗!」
「てめぇらのせいであずさは……っ! あずさはっ! あずさを返せ! お前等が死ねよ!」
「悠斗っ……!」
大人が三人がかりでお兄ちゃんを床に押さえつけた。お兄ちゃんの目は三人組を睨むにも関わらず、もう粒が見えないほどに涙が頬を濡らしている。吠えるように、牙をむくように、お兄ちゃんは狂ってしまっていた。
と、ここまで見て、あたしはもう限界だった。
悲しみに染められた自分の家を飛び出して、またあたしは壊れかけていく。
でも今度はもう走りたくなかった。脳裏に映る、自分の葬式の映像。喉と胸が締め付けられて、吐いてしまいそうだ。
後ろであたしの名前を呼ぶ声がした。ねぇ、駿希。人の気持ちってこんなに簡単に変わっちゃうんだね。
また泣いてる、ってあたしに言うのかな。力の抜けた体で後ろを振り返ると、そこにいたのは駿希じゃない別の男の人。
「……え……?」
「あずさ」
「金沢君……?」
黒い服を着たクラスメート。大人しくて話したことなんて一度もなかったのに……。
「俺は駿希だ。この体は乗り移らさせてもらってる」
「えっ……!」
声を上げた拍子にポロポロと涙が落ちる。
「逃げるな。試練が姿を現した、闘う時だ」
駿希の後ろから風が吹いた。自分の死んだ世界に吹く風は、あたしたちの行く先を阻む。
だけどその風が吹くときは、闘う時。
「……うん」
恐れる怖さは知ってる。知っているから人は臆病になる。
だけど、そこから自分で踏み出すことができたら、それはきっと『強さ』になる。阻む風を追い風に変えてしまおう。
あたしが通夜会場に戻ると、ちょうど通夜が終わったときのようで人がぞろぞろと帰りだしていた。
一番後ろに出てきた、親友の甘奈。泣いてくれてありがとう。でももう泣かないで。そして少しだけ、体を貸して。
静かに帰って行く甘奈を目指して、あたしはその体に飛び込んでいった。
吸い込まれるように入っていったあたしの意識はすぐにはっきりし、気が付くとその身は親友の体。
ぎゅっと手を握りしめると甘奈の伸びた爪が手の平に食い込んで痛い。あぁ、体の痛みを久しぶりに感じた。
あたしと駿希は終わった通夜会場に入っていき、リビングのドアを開けた。

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