続・駄文箱
□籠の中
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「記憶の混乱自体は一時的なものだろうから、多分大丈夫なんじゃないかな。」
大丈夫じゃないから話を聞きに来たのに。
さすがモグリの医者だ。外科以外の分野においては全く当てにならない。
笹塚は小さく嘆息すると、壊れかけたパイプ椅子から腰を上げた。
昨日、
服務規程を大きく逸脱した捜査の果て、笹塚はずっと追っていた犯人を追い詰めた。
連続強盗殺人犯、というだけで笹塚の理性は沸騰して機能しなくなる。
笹塚が無抵抗な犯人をボコボコにしている所に笛吹が現れた。
笹塚が違法な捜査をしていることに気付いていたのだろう。
そして、笹塚が理性を失って犯人を殺してしまいかねないことも。
「それくらいにしろ。」
笛吹は犯人を庇うように犯人と笹塚の間に立った。
笹塚は途端に我に還った。
「笛吹、何でここに。」
笛吹は不愉快そうに口許を歪めて手錠を取り出す。
笹塚の問いに答えないまま、笛吹は倒れて動かない犯人に手錠をかける為に体を屈めた。
ほんの一瞬だった。
笹塚に散々殴られ蹴られ、肋骨の一本や二本は折れているであろう犯人が抵抗する可能性は限りなく0に近いと考えて間違いは無かったはずだ。
ぐったりと動かなかった犯人の左手が突如、大きく振り上げられた。
その手には何処に隠し持っていたのか鈍く光るハンマー。
「笛吹!!」
ハンマーは笛吹の側頭部をとらえた。
パッと鮮血が舞う。
笹塚が倒れ込んだ笛吹を抱き起こしている内に犯人は逃げ去ってしまった。
本当はすぐにでも救急車を呼びたかったが、そうなれば笹塚の服務規程違反が明るみに出る。笹塚は自分が処分されること自体は全く気にならないのだが、恐らくは笹塚を守るために違法捜査の隠蔽工作をしていたであろう笛吹の行いも露呈することになる。
そうなれば笛吹まで降格や下手をすれば免職になりかねない。
それは絶対避けるべき事象だった。
だから、笹塚は知人のモグリの医者へ笛吹を担ぎ込んだ。
知り合いの病院が休診だから、とモグリの医者は休日の病院へ笹塚と笛吹を連れていき、MRIやレントゲンをとった。
犯人の力がさほど強くなかったのと、笛吹がすんでで避けたので、ハンマーは掠めた程度だったようだ。
出血した割りには軽傷で、縫合の必要もなかった。
「一晩、様子を見て吐いたりするようだったらもう一度見せに来て。」
法外な治療費を「ツケで」と一蹴し、笹塚は笛吹を抱えて帰途についた。
ショック状態で朦朧としている笛吹を笹塚は自分の部屋へ連れ帰った。
ベッドへ入るように促すと、笛吹は横になった途端、スイッチが切れたように眠ってしまった。
日頃の疲れが余程溜まっていたのだろう。
笛吹がいつ目覚めてもいいように笹塚はベッドの傍へ椅子を引き寄せ、そこへ腰をおちつけた。
笛吹の寝顔を見ている内に笹塚もいつしか眠り込んでしまっていた。
「あの、すいません。あの、」
ゆらゆらと誰かが笹塚を揺さぶっている。
「あの、」
心許ない声の主は笛吹だった。今にも泣き出しそうな顔で笹塚を見下ろしている。
笹塚はがばりと起き上がり、
「気分は?吐き気はしないか?」
と尋ねながら寝乱れた笛吹の髪の毛をすいてやる。
つい触れてしまった後、笹塚は笛吹に怒鳴り散らされるかと思い身構えたが、笛吹は頬を染め困ったように俯いているだけだった。
「笛吹?」
「あの、大変申し上げにくいんですが、」
ごくりと、
自分の唾を飲み込む音がやたら大きく笹塚には聞こえた。
「あなたは、誰、ですか?」
視界がホワイトアウトしていく。
よろけた笹塚を、大丈夫ですか、と支えた笛吹の方が気絶しそうなほど苦しげな顔をしていた。
そんな訳で再度、医者を訪ねたが「追々思い出すんじゃないかな」の一点張りで、何の解決にもならなかった。
不安そうな笛吹を一人きりで自宅へ帰すのは酷な気がして、笹塚は笛吹を再び自室へ連れ帰った。
ソファへ座らせ、その隣へ笹塚も腰を下ろす。