戯言仮4

□Α
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女はあるマンションのある一室の前の廊下に立っている。その姿はその部屋に入る事を躊躇っているように見えた。ドアノブを握り続け、引こうとも離そうともしない。そして彼女はぽつりと誰にも聞こえないような声で何かを呟くと、その角部屋の扉を開けた。



岡野が死んだ顔で電車に揺られていた。落ちていく太陽は痛い程に光を放っているが、それが彼の目に届く事はなかった。スーツケースからは微妙に布が覗いているがそれさえも気にならない様で、当分開かない両開きのドアに体を預けている。車両がカーブを曲がる度、スーツケースが僅かに動く。それが若い女性に当たり、岡野は彼女に睨まれたが、調度下車駅に着いたため、無視して、電車から降りる。この位の我が儘、可愛いモンだろう。今の程度じゃ痣も出来やしない。
今日、いや昨日起きたのは22時だった。就寝が21時半だったため、睡眠時間は30分間。上司からいきなり東京に戻って来いとの電話がかかってきた。何と内容を聞くと明日のプレゼンの資料を今から作成し、プレゼンをやれとの事。どうせ同僚がまた失敗したのだろう。その尻拭いは常に彼であった。幸い、宿泊していたホテルは駅に直結であったため、急いで荷物を纏め、ホテルを出て、新幹線の切符を買って、22時43分発東京行きに滑り込んだ。東京に着いた後も会社にはいけないからネットカフェでインターネットにも繋がず、PowerPointやらExcelやらの嵐、今回の仙台の出張の『成果』も盛り込んだため、納得はいく内容になったが、眠い。プレゼンの11時まではデスクで爆睡していた。その後もシステムエラーが部長のパソコンで起こり、機械音痴の部長が嘆きの視線を岡野に向け、運が悪い事に目が合ってしまったが最後。

最寄り駅からも少し歩く彼のマンションまでの道程は準工業地帯に隣接しているだけあり、歩く人も疎らであった。殆どは駅の反対側の住宅街の住民だ。岡野が何故、こちらを住まいに選んだかというと簡単で、家賃が安かったから。それ以上でも以下でもない。元々、既に亡くなった恋人の入院していた病院がこの近くだから越してきたようなものだったが。
そんな薄暗く、ミラーが曲がったまま放置されている道をスーツケースを引きずりながら歩いていた。毎日通っているが、客観的に見るとなかなか恐い場所なのではないか。もし子供が居たら、こんな場所には絶対行かせないな、等妄想もしてみる。町工場も近くにあったりするが、彼はこの小さな工場の中で一体何が作られているのか見当もつかない。唯その工場からは機械が唸る音だけが聞こえる。
鼻歌でも歌ってみる。誰の曲かわからないけど、取り敢えず、今流行の曲。確か何かのテレビドラマの主題歌だった気がする。
そんな完全に岡野が気を許している瞬間であった。突然かけられた声におかしい程に肩が上がる。驚き、スーツケースを持っていたが離してしまった。ガタンとコンクリートにスーツケースが叩き付けられた音が辺りに響く。その見知らぬ声の主は倒れたスーツケースに足をぶつけたのか、小さな悲鳴をあげた。そして、謝罪をしてきた。
「そんなに驚かれるなんて思わなかったものですから、申し訳ありませんでした」
余りに丁寧な口調で岡野は呆気に取られる。暴漢か何かではなかった事に安心し、背骨を曲げてスーツケースを取った。街灯が相手を写し出した、と同時に相手はポケットから何かを出す。最初は彼と同じサラリーマンだと思っていた。しかし、出てきたのは警察の制服姿の写真。取り敢えず冷や汗をまたかいた。

「二田警察署の刑事です。出張からのお帰りで疲れているでしょうが、ほんの数分なのでお話よろしいでしょうか、」







基本的に僕はあまり運がないらしい。





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