戯言仮4

□居候5.5
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たかが13階、されど13階。決して彼女らが住んでいるマンションは都心ではなかった。寧ろベッドタウンと都心部の緩衝地帯のようなもので、昔からの商業地、大中小の工場、そして住宅地。そんな地域の中で彼女らのマンションは最も大きかった。
ベランダからはヘリコプターからの空撮程ではないが俯瞰風景が臨める。走る車達は玩具の様、エントランスで遊ぶ子供達は塵の様、吐いた唾がスローモーションで落ちていく、零した灰が風に流されていく。誰も見ていない。




「俺は夜景が好きなわけじゃないんです」
「ここじゃ隣町の駅の周りのビルの明かりしか見えないですよ。第一、今お昼で曇ってます」

こう思うと人間は神様に似てませんか。彼がそう言ってきたので、彼女は少し困った顔をする。だって彼はまだ理由を説明していない。怪訝な面持で、彼女は彼の隣に立ち、ベランダの手摺に顎と両肘をつけた。

彼はぐいと身を乗り出し、真下を見る。マンションの住人専用の駐車場と一階の住人の庭が。
「例えばあそこ」
彼は一階の庭の右端辺りを指差した。いるのはボール遊びをしている本当に小さな子どもと母親の姿。僕達はこれをこんなにも高い場所から俯瞰で見ることが出来る。こんな特権鳥だけのはずだったのに。子供は元から小さいというのにこれでは小さすぎて見失ってしまう。
これくらいかな、彼は手摺から手を離し、想像であの小さな子供の背丈を腕を広げて表現する。それを彼女が大きすぎるのではないかと言う。
「ヒトは意外と大きく作られてます」
それが何処かの会社の広報部のように淡々としているものだから、可笑しくて笑ってしまった。彼は今の何処に笑いどころがあったのかと尋ねるが、彼女は恥ずかしくて答えることはなかった。

彼はもう一度身を乗り出し、真上を見る。白く重く厚い雲が。今にも雨か雪が降ってきそうな勢い。
「例えばこいつ」
彼は空全体を指差した。この位の高さになると、スズメや蚊などはあまりやってこない。鳩の大群が旋回しているのをよく見かける。この雲がもし地上だったら。僕らがいる場所は地下だ。しかも唯の地下じゃない。ガラス張りの地下だとしたらそれはもしかした神以上なのかもしれない。モグラは目が悪い。ミミズは目が見えない。種は発芽していない。
東京駅前の地下にあるの知ってます?丸ビルとかがもっと上に見えるんですよ。でもその上を車が通ったりはしない。植え込み内にあるからだ。
「それはガラスさんに頑張ってもらうしかないですよ」
あまりにも彼は飄々と言ってのけたから、彼女はまた可笑しくて、背を向け俯いて笑っている。彼は困惑したようで、大丈夫ですかと声をかけるが、それがまた滑稽で。そんなことは口に出すことが出来ず、彼女は答えることはなかった。


「僕らは上からも下からも眺めることが出来る。それはきっと上からも下からも眺められることの裏返しなんです」
彼は急いで、「られる」は受け身の「られる」だと付け加えた。

「きっと俺があんまりよくないことをしていて、それが誰からも見つからず完璧に遂行していたとしても、誰かが仰視していたに違いないし、誰かが俯瞰していたに違いなくて。でもそれも逆を言えば、俺も遥か上にいる誰かを仰視出来て、下にいる奴を俯瞰出来るってことなんですよね」

「きっと貴女を見ていた人はいるんですよ。絶対に。それは席を譲った相手かもしれない、信号無視をした運転手かもしれないし、昔の恋人かもしれない」

彼女は彼の隣に立ちながらも、彼の方に向いていなかった。二人で窓の外に広がる川のある景色を見ている。

「私も…」
その後の言葉は出てくることなく胃の中へ落ちて行った。もう溶けてしまったようだ。




「僕は貴女のこと見てますからね」






仰視と俯瞰、どちらが良いかと問われた。彼女は少し迷って、俯瞰と答えた。今日も眼下の人の流れを見る。じゃあ、と言って彼は仰視と決めた。今日も上空へ飛び立つ飛行機を臨む。

たかが13階、されど13階、まるで神の様。












(拍手〜20110410)


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