戯言仮3

□穴の周りの冷たさ
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不安だ。
ある休日、男はデパートに車を進めていた。流石日曜日ということで、どの道でも交通量は多いのに、近くで事故があったみたいで更に規制されている。時間に間に合うだろうか。今の時刻は12時47分。目の前に目的地があるのに全く動かないって、それはもう道路として機能していない。不安+苛立ちで男はもう一本煙草に手を伸ばした。



「…頭打った?」
定刻を約10分遅れた頃、男がいつも通りの黒いコートを着て、スターバックスのフラペチーノを飲んでいる女にかけた第一声がこれ。
「は?意味わかんないよ。遅かったね」
さらっと受け流した女は、フラペチーノで男の頬を軽く叩いた。ひんやりとした感覚が、頬から脳に高速で伝わる。鼻で笑うと、ずんずん奥のエレベーターの方に進んで行ってしまった。

昨日、彼女の家に行った男は唐突に「デパートに付き合え」と一方的に約束させられた。この女の行動範囲は極めて狭い。自分の家の半径50mから出た事を男は見た事がないため、アパートから約200m先にあるデパートに女が行くなんて、全然想像が出来ない。いつもと違う事を言い出した彼女を男は不安で仕方がなかった。


見た感じ何も変わってないかなと、閉鎖された空間内で彼女を窺った。
「なんで、デパート?」
「服買いたいんだよ、服」
その言葉を聞いて男は貰ったフラペチーノを噴き出しそうになる。やっぱり、今日彼女はおかしい。どうせ、コートの中は全裸か下着姿なのだろう。その状態も色々と困るが、こいつが服を着るってどうなんだ?考えても出て来るのは、全裸の彼女だけだった。
しかし、どうしてエレベーターはこんなにも不快感を与えるのだろう。早く降りたい。





「これと、あれ。持って来て」
パシリな男は、白いシャツとジーンズを試着室の前に持ってくる。実はちょっと楽しみであったりして。店員の目には彼等はどう写っているのだろうか。まさか刑事と情報屋とは思ってもないだろう。
少しして出て来た彼女は、所謂クールビューティと言うものだった。元々中性的な顔立ちは更にそれを強調している。
「服着れるんじゃね」
「ナメんな。これ、サイズ合ってるかな」
シャツの襟を直しながら、彼女が呟く。
「見た感じ、全然OKじゃよ。このぐらいなら、わし買っちゃるし」
実は昨日金を下ろしてきたなんて誰にも言えない。"買って"と言われる前に"買ってあげたい"。彼女を見て、男はそんな気持ちになった。

「じゃあ、よろしく」と女は今日初めてちゃんと笑うと、ぱたぱたと隣のアクセサリー屋に小走りで行った。見送りながらも考えるが、服が欲しいなんておかしい事を言うな。どうせ彼女はあのアパートからあんまり外出しないだろう。なのにわざわざ。
あっ、また呼んでる。まだ会計終わってないって。




「なんで服欲しかったんよ」
デパート内の吹き抜けになっている周りのベンチで、男は今日一日疑問に思っていた事をぶつけた。女は意地になって「なんだっていいじゃん」と返してくる。
「わしが何枚か買ったじゃろ?教えてくれてもよかろう」
女は俯いて小さく言う。聞き取れるぎりぎりの音量だった。
「…もうすぐ夏だし、家鴨と歩く時に不便だろ」恥ずかしくなったのか、新しいフラペチーノをひたすら吸っている。
「黒いコートでもいいよ」
「私のプライドが許さない」
やっぱり意地っ張りな彼女は男に背を向けて座り直した。男はふぅと息を吐くと「おねーさん。まだ買いますか?」とおちょくりながら聞いた。
「買うから、連れてけ」
なんてツンデレな女王なんだ。まだ少し顔が赤い彼女を、男は愛おしく感じる。


他のベンチは全て二人組に埋めつくされていた。




時間は案外早く過ぎていき、あっという間にコーヒーを飲み干すと、彼らはまたデパートの廊下を歩きだす。全ての荷物を持つ男は女の隣で、よく笑う。











「今日は、ありがとうございました」
「…うん、わし疲れた」
「お茶なら、出します。それ以上は帰ってください」
「じゃ、お茶を貰うためだけに行きます」
「はいはい」





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