戯言仮3

□そこ
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彼女の浴室にオーディオ機器があって、男は酷く驚いた。今までなかったじゃないか、かといってもあの女がわざわざ外に出て買ってくるとも思えない。そんなにたいしたコンポなどではなく5000円くらいで買えそうなもので、かかっている音楽は何だか民族音楽チックな曲。綺麗な女声が小さな箱からめいいっぱい歌っている。

「…これ、誰にもらったんよ」
男は嫉妬に似た感情を抱きながら、珍しく蜂蜜生姜を飲んでいる全裸の女に聞いた。
「え、気になるの?家鴨」
また本を読んでいた。文庫本が5、6冊渕にバランス良く置かれている。どれも黄ばんで、随分古いものとわかった。
「お前はこんなの買いに行かないじゃろ?電気屋にいる姿を想像出来ない」
「もらったよ、友人に」
そりゃ、彼女にも友人はいるに決まっている。第一こんな仕事をしている彼女は顔が広くないと勤まらないし。しかし、男は女の全てをその時知りたいと、僅かながらも感じたのは事実。
「…誰に?って顔してるし、家鴨」
「誰に?」
「君によく似た男からだよ」
男は自分に似た男を想像することが出来ずにいた。自分の顔だってまじまじと見るほど、ナルシストじゃないし、わからない。
「この曲好きなんだ」と女が呟いたのは、ヨーロッパ系の民謡のようだ。この曲を聞いていると魔女は本当に存在する気がする、そんな思いにさせる曲だった。男はこの曲を何処かで聞いた事があると感じて、記憶を探したが、出て来たのは目の前の女との初めての出会いだけ。ピアノの単音が人を独りにさせていた、怖かった。

女が咳をする。痰が喉に絡まっているような咳の仕方で、辛そうだ。
「服着ればいいのに」
「服は着ない」
「風邪ひいとる」
「生姜パワーで治してる最中」
「じゃあ、せめてわしがいる間は、わしのコートを着てくれ」
有無を言わせずに持っていた紺色のPコートを女にかけた。「悪いよ、何か」と言ったら、「悪くない」と言い返すと、彼女は袖こそ通してくれなかったが、背中にかけてくれた。男は単にそれが嬉しかった。
「…家鴨は暇なの?」
その声は箱から流れてくる管弦楽団に完全に負けていて、添え物程度に聞こえる。
「非番じゃし」
「……それならもうちょっとコート借りれるね」

蜂蜜生姜は量は全く変わっていなかった。男は浴室に通じる洗面台に座って、携帯で時間を見る。まだ居れる。
「気が済むまでどーぞ、風邪ひき裸族め」
「私が蜂蜜生姜飲みきったら帰れよ」
本を読み出した彼女の耳には恐らく箱から流れる音楽は入っていない。男はこの空間に満足しながら、今担当の事件の事を考える。



二人は浴室が好きだった







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