戯言仮2

□ホワイトキャラメルマキアート
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その日は東京では珍しく雪が降っていた。水をよく含んだ大粒の雪が灰色の空から舞うのを見ると、此処は異次元なのかと錯覚してしまう。それほど東京という街には雪は似合わなかった。



男は珍しく降った雪のせいでいつもはここぞとばかりに飛ばしている車も、ゆっくり運転しなければならない事に多少の苛つきを覚える。男にいつも付き添っている男は「事務処理命じられましたよ。いや、ホントは新藤さんと行きたかったですよ?だけど上に言われちゃ…ねぇ」と言い訳を言って、同行してない。その時の彼の顔を思い出すたびにむかむかする。

外掘通りと晴海通りの交差点の近くに車を停め、何処にも通じてない路地を歩く。一番最初に来た時とは打って変わって足取りが軽やかなのは気のせいだろうか。持っている小さな紙袋をブンブン振り回しながら、まるで小さな子供のように。



「よぉ」
いつも通り玄関前の暗闇に潜んでいる小さな猿に挨拶をして、勝手に扉の中に入ると浴室の明かりだけがぽっかりオレンジ色に光り、浮いていた。靴を揃えて置いた男は「お邪魔します」と律義に呟き、あの女の世界の中に足を踏み入れる。

ムワッと湯気が体に当たる。無駄に綺麗な浴室は相変わらず植物に溢れていた。女はシャワーを浴びており、男にもとっくに気付いているようだ。
「家鴨ー。おはよー」
キュっとシャワーを止めて女が男の方に振り返った。肩口まで無造作に伸びた赤毛からは水が滴るのを男はただ見とれている。そんなことはお構いなしに、男の後方にある棚に手を延ばしてバスタオルを掴む。我に戻った男はいつもと様子が違う女に気付いた。
「どっか行くん?」
「今の時間に私がシャワーに浴びるという事はその証拠でしょ?」
「わし、聞きたいことあるんじゃけど」
不満そうな表情をする男を見て女は「いや、時間はあるから、いいよ」と焦ったように付け足す。
「まず、服着よう。お前、女なんじゃから」



男が差し出した紙袋の中身を見て、女は顔を明るくした。
「キャラメルマキアートじゃん。しかもシナモンいっぱい付いてるし!」
男は照れ臭そうに「前、好きって言ってたじゃろ?」と言った。
「家鴨やるー!」
「…わしの名前は新藤ね」
いまだに女はバスタオルを羽織ったまま、風呂の淵に座っている。邪魔くさそうに髪を一つにまとめた。
「じゃけ、風邪ひくから、服着ろ」
もうとっくに慣れてしまったが、この光景は絶対に異常だ。一つの空間にコートまで着た男と全裸の女がいるんだから。男には今更その不思議を追求するだけの力は残っていない
「キャラメルマキアート飲んだら着るよ。で、何聞きたいの?」
上から垂れる観葉植物は気持ち悪いぐらいに緑を極めている。



「久しぶりに外出たけどさ、寒いねぇ」
男は初めて女が服を着た姿を見た。黒いロングコートの中に何を着てるなんか全く知りたくもない。どうせ女は下着でさえ身につけているか微妙なんだから。
「雪降っとるもん。あー寒い」
女の黒い鞄の中に男がくれたマフラーが入っている事に、男は全く気付いてない。大事に綺麗にとってあることは多分誰も知らない。
「東京に雪は似合わないけど、いいよね」
白い息を吐いては空に顔をあげた女が呟く。男も一緒に空に向ける。灰色の空だった。
「そうじゃね」




男は空になった手を遊ばせ、女は重くした首をすぼめる。

雪は東京に降っていた。







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