BLEACH
□Meaning of defense
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去年の今頃のことを、よく覚えている。
あの頃は誰もが、怯えたように急ぎ足で彼の横を通り過ぎて行った。
全身から湧き立つような、まるで怒りにも似たその霊圧に、若い新隊員などは近寄ることも出来なかった。
詳細は別として、理由を知らない者はほとんどいなかった。
だから余計に、示し合わせたように誰もが口を噤んだ。
明瞭さや気軽さにかけては右に出るもののない自分の副官でさえ、「今はなぁ」と歯切れ悪く濁し、苦く切なく、哀しげに笑って言った。
そうして過ぎた1年の後に、現れた少女。
彼とその奥方に近しかった者たちは、自分を含め残らず目を丸くした。
Meaning of defense
庭を流れていく風が、綻び始めた木犀の白い梢をかすかに揺らしている。
それを何とはなしに眺めながら、浮竹はどう切り出そうかと考え込んでいた。
良く言えば真面目、悪く言えば融通の利かない友人を、どう宥めたものだろうかと。
こういう時に副官の海燕がいてくれれば心強いのだが、生憎彼は任務でしばらく帰らない。
隊長としては情けないが、海燕の快活さは彼の大きな長所のひとつなのだ。
「失礼いたします、浮竹様。旦那さまがお戻りになりました」
静かな声に考えを中断させられた浮竹は、その声の方を振り返った。
「あぁ、白哉、待たせてもらっていたよ」
開け放された襖の両脇に控えている女中に下がるように言いながら入ってきた朽木家の当主は、縁側に向かって立っていた浮竹と距離を開けて静かに座った。
その雰囲気は義妹を見つけた事で多少和らいではいたけれど、それでも彼の最愛の人がいた頃を思えばひどく険しいものだった。
浮竹は、自然と眉間に力が入るのを感じていた。
それは怒りとか困惑ではなく、この頑なな友人を案じてのことだった。
「兄の用件を聞こう」
「相変わらず忌憚のない奴だな。少しくらい世間話でもどうだ?」
苦笑しながら訊くが、白哉はじっと口を閉じたままだ。
もう一度苦く笑って、浮竹は白哉の前に腰を下ろした。
大貴族朽木家の屋敷は、客間ひとつとってもひどく広い。
普通の家屋敷では、壁と壁くらいありそうな距離をとって、浮竹は友人を見据えた。
腹は決まっていた。
「…お前の、妹のことだよ」
もしかしたら、この話は強く拒絶されるかも知れないと思っていた。
しかしひとつ息をついた白哉は、予想していた事だったのか、浮竹の気弱な想像を裏切ってくれた。
「あれに、席次を与えなかったそうだな」
単刀直入に浮竹の核心をついてくるので、決まっていた腹も肩透かしをくらった気分だ。
「…さすが、耳が早いな」
「昨日、あれに何席かと訊いた」
「…そうか」
その時の白哉の態度も、義妹になったばかりの少女の様子も、容易に想像できた。
「兄には面倒をかける」
「いや…いいんだ、それは。面倒だなんて事はないよ」
白哉の義妹であるルキアは、新隊員として十三番隊に、浮竹のもとへ配属された。
配属も、席次を与えなかったのも、すべては白哉の采配だった。
痛いほど伝わってくる白哉の気持ちに、浮竹は、黙ってそれを了承した。
―――しかし。
「…入れてやりたかったよ、本当は。実力は充分だった」
美しくきらめく、銀雪のような斬魄刀は席官レベルの能力をしっかりと発揮していた。
鬼道の腕前もなかなかで、荒削りではあるが、平隊員というには惜しい人材だった。
浮竹の言葉に白哉は黙っていたが、きっと白哉自身どうするべきか悩み抜いた末の結果なのだろう。
「…海燕がな、任務から戻ってきたら、直接指導してやるつもりだって張り切っていたよ」
生来面倒見の良い海燕には、友人である白哉のこんな状態も、その妹の覇気の無さも気にかかって仕方がないのだろう。
懐かしいすみれ色の瞳は、浮竹の知るものよりもずっと気の強そうな印象で、本当は明るく優しく、活発な子なのだろうと感じていた。
けれど白哉の前では固く緊張し、隊内では中傷や好奇の対象となり、浮竹も気を揉んでいる。
「白哉もよく知っていると思うけど、海燕は直情的だけど考え無しではないし、公正な上に面倒見も良い」
「…そうか」
どことなく不機嫌そうな気配を隠して、白哉は無表情のまま小さく呟く。
白哉が海燕を快く思っていないのは、表面上の性格があまりに正反対であるからだ。
けれど本質的には、互いに認め合っているのだろうということは分かる。
海燕の存在はきっと、今のこの状態を良い方向に変えてくれる。
他力本願は望むところではないが、隊長であり、その上奥に引っ込んでいる事の多い自分ではどうしようもない。
それに公正とはつまり、身分の隔てなく接してくれるということだ。
彼女は生まれながらの貴族でないどころか、流魂街の出身でありながら大貴族朽木家に引き取られた。
大貴族の道楽と揶揄されている事も、きっと白哉の耳には入っているだろう。
その事が余計に、白哉に表立っての擁護をさせてくれないのだ。
白哉が庇えば、それだけ噂を助長する事になる。
何も知らない彼女にしてみれば、白哉の態度には戸惑っている事だろう。
「今後も、あれが席官になることのないように願いたい」
「…分かっているよ」
結局、頷いてしまった。
正直なところ、浮竹にも何が正しいのか分からない。
ただ、この男の不器用な愛情は浮竹にもよく分かる。
「でもな、白哉…」
白哉と緋真の間で交わされた約束など知る由もない浮竹だけれど、白哉の最も大切な人の望んだものが、愛する妹を抑制する事ではないような気がしてならないのだ。
小さく、分からないほど小さく、浮竹は息を吸った。
「白哉、朽木は…お前の妹は、けして弱くないよ」
確かに、席官ともなれば任務の危険性は格段に増す。
しかし危険だからといって席官になる事を尻込みする死神はいない。
席次を与えられる事がいかに名誉であるか、知らない者はいないからである。
「死神としてだけでなく、人としても…お前が思うより、きっとずっと、強いんじゃないか?」
「…あれは、まだ子供だ。兄の思うような強さなどない」
きっぱりと言い切った白哉が、静かに席を立ち、浮竹の横を通り過ぎて縁側まで出る。
浮竹はそれを目で追うでもなく、席を立った白哉の空席を眺め、そっと視線を下げた。
今は戸惑いが勝っていても、泣いて逃げ出す事も縋る事もしない義妹の「強さ」は、まだ白哉の目には映っていないのかも知れない、と浮竹は思う。
失いたくないのだろう。
口にはしないけれど、彼女の忘れ形見である義妹は、白哉に再び守るべきものを与えた。
数々の重責を背負う白哉の、おそらく唯一の拠所であった妻。
彼女を亡くしてからの空虚は、他の誰かや何かで埋められるものではなかったはずだ。
それは義妹といえど同じ事だろう。
けれど新しいものをきっと、白哉に与えている。
失うことは恐らく、白哉にとってあってはならない事なのだろう。
沈黙が辺りを支配して、風の音が室内までよく届いた。
この兄妹にはまだまだ時間が必要なのかも知れないな、と浮竹が席を立とうとした時、ふいに白哉が口を開いた。
「…今すぐ、死神を辞めさせる事も出来る」
「っ、白哉!」
思わず声を上げて立ち上がり、振り返った浮竹は、珍しいほど怒気を露わにしていた。
まったくどこまで、と怒鳴ってやろうと口を開きかけ、しかし白哉に先を取られた。
「出身がどうであろうと、あれは朽木の人間だ。良縁など掃いて捨てる程ある。…戦いに、身を置く事も無い」
ただ普通の、どこにでもあるような、ありふれた「幸福」。
それは白哉が緋真にしてやりたかったことだと思えば、浮竹はまた口を噤んだ。
背中を向けた白哉の、隙のないいつもの立ち姿が、どこか哀しげに見える。
ふぅ、と息を吐いて、諦めたように肩の力を抜いた浮竹は、縁側に立つ白哉のとなりに立った。
「分かった、もう何も言わないさ。…幸せに、なれるといいな」
彼の小さな妹も、もちろん、彼自身も。
いつ見ても見事な朽木家の庭園を彩る、白く香り高い木犀の小花が、不思議と心を穏やかにしてくれた。