BLEACH

□in the dark
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どこにいるの。
わたしは、どこに向かっているの。
走っても、走っても、果ては見えない。

 in the dark

しとしとと細かな雨粒が降り注ぐ、そんな深い夜のなか。
「…ん…」
ふと目を覚ました緋真は、半身を起こしてゆっくりと瞬きをした。

頭がぼんやりする。
すべらかで温かい上質な布団に包まれて、ここは一体どこだろうと考える。

慣れ親しんだ、質素で固く重い、いつものあの布団はどこへ行ったの?
雨が降る音がするのに、まるで寒くないのは何故?

…あたたかくて、こわい。

明かりひとつ無いその部屋で、緋真は不意に不安になった。
辺りを見回しても、静かな雨音が暗闇に広がるばかり。
訳もなく焦燥にかられて、目元がじんと熱くなる。
ギュッと布団をにぎりしめて、漏れそうになる声を抑えこんだ。

こわくて、かなしくて、まるで追い立てられているかのよう。
真っ暗闇に閉ざされた中で、すべてを失ってしまう。

そんな焦燥。

混乱したままついに涙がひとつぶ溢れて落ちたとき、何かが緋真の手に触れた。
温かなそれは、宥めるように緋真の手を撫でる。
そのまま小さな手をぎゅっと包み込む、大きな手。

ほうけたまま、緋真はじっと重ねられた手を見つめた。
骨張っていても綺麗ですらりとした手を、緋真はまるで初めて見るもののように見入った。

「……どうした、緋真」
低い、穏やかな声が鼓膜を震わせる。

ここはどこ?
どうしてこんなにあたたかいの、やさしいの…―――

高ぶった感情が限界に達して、緋真の目からぽろぽろと雫がこぼれて落ちる。
嗚咽を漏らして泣き出した緋真を、強い腕が黙ったままぎゅっと抱きしめてくれる。

無意識のうちに緋真は、その広い背中に強くしがみついていた。
鍛え上げられた、まったく無駄のない胸に顔を埋めながら、緋真はただ泣いた。

幼い子供のようにすべてを預けて、まっすぐ感情のままに。
そうして震える緋真を慈しむように、大きな手が髪や背を撫でてくれていた。


どれ程そうしていただろうか、泣きはらした緋真は、徐々に落ち着き始めていた。
白哉もそれを感じ取ったのか、背中を包んでいた腕がそっと緩められる。
もう暗闇にも目が慣れていた。

僅かに顔を上げると、心配そうにこちらを覗き混む白哉と視線が絡まる。

そうだここは、残酷で非情なあの町ではない。
愛しいひとがここで、緋真のそばで、こうして安らぎを与えてくれているのだから。

ゆるく背中に回された腕が、確かな温もりをくれる。
何も怖いことなどない、穏やかで幸福な、優しいひとの腕のなか。

「…白哉さま…」
ほっと安心して、緋真はようやく息をついた。

白哉は怪訝そうに眉をひそめたまま、それでも緋真の髪をやわらかく撫でた。

微かにほほ笑んだ緋真の目尻からまつげに残っていた涙の雫が滑り落ち、白哉はそっとその涙の軌跡を拭った。
そのまま頬を包み込む、大きな手。

「……何か、あったのか」
「いいえ…ごめんなさい、何でもないのです」
「…そうか」
白哉は納得したようではなかったが、それ以上問い詰めてくる事は無かった。
それに、緋真にも説明できるものなどなかった。
夜が怖くて泣いてしまうなんて、まるで幼い子供のようだと思えば、緋真は何だか恥ずかしくもなって、申し訳なさげに笑った。

「…恐ろしい夢でも見たか」
僅かにからかうような雰囲気をにじませた白哉の言葉に、緋真は思わずきょとんとなった。
それが元気づけてくれようとする白哉の気遣いだと気付けば、胸がじんわりと温まる。

「…そうかもしれません。でも、あまりよく覚えていなくて」
暗い雨の中、何かを探していた気がする。
緋真にとって大切なものは、世界にたったふたつだけ。

夢の中の自分は白哉を探していたのか、それとも…――。

緋真は、曖昧に笑った。
探しても、探しても見つからないのは、夢も現実も同じかも知れない。


「…恐ろしい夢など、覚えておかずとも良い」
少し迷うような間隔をあけてから、言い聞かせるように、白哉は呟く。

「悪夢はまず現実になどならぬ。…何も案ずることはない」
優しい声音に、緋真は本当に幼子になったかのような気恥かしさを覚えて、頬を染めた。

「ありがとうございます…もう、落ち着きました」
ゆるく背中に回された腕を意識すれば、とたんに緊張してしまう。
緋真は少し距離を取ろうと、白哉の胸に手を置いた。

しかし逆にぎゅっときつく抱き寄せられて、白哉の胸に頬をくっつける形になってしまう。

薄衣越しの彼の体温は、いつも少し低い。
それで熱いのは自分の頬の方だと分かってしまうから、緋真の頬はますます熱くなる。

「まだ夜は深い」
鼓膜を震わせる低い声、耳を掠める吐息。
その先を知っているから、緋真の心臓は急にぎゅっと小さくなった。

「あ、の…白哉さま明日も、お仕事で…」
「いつものことだ」
そう言った白哉に、緋真が反論する事はなかった。

塞がれた唇から、かすかな吐息が漏れる。

首の後ろから頭を支えるように手が回り、そうなれば緋真はもう、ついていくだけで精一杯になる。
激しくて優しい、白哉の口づけはいつでも、緋真に心からの愛情を感じさせてくれる。

暗闇の中、泣いていた自分を支えてくれた白哉に、自分は何を返せるのだろう。

いつもそう考えるのに、答えが出た事はない。
この腕の中で考え事など不可能だとも緋真はよく自覚しているから、今はただ、眼を閉じる。

まぶたの裏の暗闇は、夢の中の闇を溶かすように柔らかく、緋真を包む。

暗闇に、怖い事なんてひとつもない。
だって闇は、あなたの瞳と同じ色なのだもの。
うっすらと瞼を開けたその先で、深い夜と同じ色をした瞳と視線が絡まった。

「明日は、寝過ごしてもよいぞ」
「まぁ、では、白哉さまもご一緒にいかがです?」
「…たまには、それもよいかも知れぬな」

くすくすと密やかな笑みをこぼし合って、もう一度、ゆっくりと暗闇に溶けていく。


―――吹きかけるような、小さな雨の降る夜に。





 

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