BLEACH

□Lime of garden
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白く薄化粧を施されていた美しい庭園が、ゆっくりとその彩りを取り戻し始める。


Lime of garden


今年もまた季節がめぐり、香り高い梅の花が楚々とした華やかさで咲く頃になった。

自室の襖は開け放されており、まるで一枚の大きな生きた絵画のようだ。
池の鯉がぱしゃんと跳ねて、いっそう風情を醸し出す。

「春、か…」
ひとり呟いて、白哉は手に持っているだけだった書物を置いて立ち上がった。

縁側まで出てそこに腰掛けると、この部屋から見える景色が好きだと言った、あの優しい横顔を思い出す。


深く息を吸い込むと、肺いっぱいに梅の香りが満ちた。


毎年変わらないこの花を、ずっと共に見られると思っていた。
変わることなく、いつも傍にあるものだと思っていた。

そんな己の浅慮さと愚かさを温かく感じることを、白哉は自分に許していた。


もっとしてやれる事があったのではないかと、悔いがないはずが無い。

それでも、緋真との永遠を信じることが出来た、それだけで白哉の胸に温かいものが広がる。


護廷十三隊の一個大隊を預かる者として、また朽木家当主として、白哉は規範たるべく規律や戒律、掟を遵守してきた。

その白哉が一度限りと決めた掟破りは、また二度目にも繋がったが、それを後悔したことはないし、これからもそうだろう。


自身の矜持のためにも、白哉は掟を守り続けなければならない。

だが、ただの男でただの白哉でいる事を、白哉は緋真を想うときだけ自分に許していた。
それは緋真と出会い、恋に気付いた男のセーフティラインだった。

恋慕の情に任せて他を疎かに、などという事を出来る性格では元よりなかったのだが、それでも白哉は自分をそう戒めた。

緋真の傍で、白哉は白哉でいられた。
その場所を守りたいと大切に思うが故、必要な戒めであった。


風がやわらかく吹いて、庭の梅がひらひらとまるで雪のように舞っていく。
この庭の最後のひとひらが落ちる頃には、今度は桜が千の花を咲かせるのだろう。

そうして季節は動き、巡り、またこの庭で梅は咲く。

まるで永遠のように。

有り得ぬ事だと知りながらも白哉が信じた、永遠のように。


白哉は、自分で自分をおかしく思う程、今でもそれを信じていた。

もう共に庭を眺める事は出来なくとも、こうしていると、緋真を傍に感じる事が出来る。

緋真を想えば、そこに永遠があると思える。

なんて独り善がりなのだと自嘲が漏れて、次いで微笑みに変わる。

緋真を想うときだけ、ただの男になる事を許す。
やはりここに引いた一線は間違っていなかったと、白哉は微笑んだまま浅く息をつく。

そのとき、ふと廊下の端からこちらに向かってくる気配を感じて、白哉は表情を戻してそちらに視線を移した。

しかしその姿が近付くにつれ、白哉はほんの少し表情を和らげた。


「どうした、ルキア」

「―――兄様…」

少し離れたところで落ち着かなそうに立っているルキアは、おずおずと何度も口を開いては閉じ、という事を繰り返す。
白哉は急かすことなくルキアの言葉を待った。

やがて意を決したように息を吸って、ルキアは一歩前に踏み出した。

「あの…っ、私と、花見に行きませんか!?」

言い難そうにしておいて何を言うかと思えば、と白哉は呆れたような温かいような、柔らかい気持ちになる。
正確にはまだ桜の季節でないから、おそらく梅か何かの花だろう。


長くふたりの間にあった溝は、藍染離反の一件から、少しずつ埋まり始めている。

失わずに済んだ、見失っていた大切なものに気づかされた。

緋真と交わした二つの約束のうち一つを反故にしてしまったけれど、もう一つ、最も大切な約束を破らずに済んだ。
そのきっかけがあの死神代行の小僧というのが気に食わない所ではあるが。


「あの…兄様…?」
返事のない白哉に小首を傾げたルキアに、白哉は手で隣に来るよう促した。
それだけでパッと頬を染めて、幼い子供のように嬉しそうに駆け寄ってくる。

「失礼します」
白哉は隣に腰をおろしたルキアをちらりと見やり、それから庭に視線を戻した。

急くように散っていた梅の花が、凪いだ風と共にやんでいた。


「とても…きれいですね」

ため息のように零れた言葉に、白哉は「そうだな」と小さく頷いた。


長いこと共に暮らしていたのに、はじめてこうして二人並んで庭を眺める。

その時、ふと白哉は緋真の気配を感じた。


―――共に居られずとも、緋真を想えば傍に感じる。


隣に座る妹もまた、同じように感じてくれれば良い。
都合が良いと、独善的だと言われようと、ただそれだけを祈る。


「ルキア」
「はい」

「花見に行きたいのではなかったのか」
「はい…あ、いえ…そのつもりだったのですが…このお庭があんまり素敵なので、もうここに勝るものはありません」

そう言って心底うれしそうに笑うものだから、白哉もそれ以上は言わずに「そうか」とだけ返した。

ルキアが、この屋敷を居心地良く思っていないのは知っていた。

それが、この屋敷でこうして穏やかな顔を見せるようになった。
じっと庭の梅を見つめているルキアに、白哉はそっと目元を優しくした。


しばらくして、ルキアが静かに口を開いた。

「あの、兄様…緋真様は…」
「ルキア」
言いかけたルキアの名を呼んで遮ると、庭に向かっていたルキアが白哉に向き直った。

「姉と呼んでやれ」
驚いたように目を見開いて、それでもその瞳が輝く。

「よいのですか…!?」
「構わぬ。…緋真も、喜ぼう」

「ありがとうございます…!」
真っ赤な頬で頭を下げるルキアに、白哉は安堵感をおぼえた。


緋真はもう許されている。

いや、初めから許されていたのかも知れない。
ルキアの、その瞳が何より雄弁に語っている。

もう自分を許してやってもいいのだと、白哉は胸の内の緋真に語りかける。


「それであの…緋真、姉様は…どんな方だったのでしょう…」
「…緋真は…」


穏やかで、優しい女だった。
細くか弱く、危なっかしかったけれど、決して弱くはなかった。
むしろ強いとさえ感じていた。

折れることのない芯の強さや、内から滲む気品は、身体的な弱さを補うには充分だった。

それでも時折、消えてしまうのではないかと思うほど儚く哀しげな…愛しい女だった。


言葉を選んでいるうちに沈黙が続き、白哉は結局言いあぐねて庭に視線をやった。

再び流れ始めた風に、ひとひら、またひとひらと、梅の花がこぼれていく。


そうだ緋真は―――


「ここから見える…この庭が好きだと、言っていた」

白哉に倣って庭を見遣ったルキアは、一拍置いて、噛みしめるように「はい」と呟いた。

今まで誰とも共有したことの無かった、緋真との二人だけの思い出。
こうしてルキアと…妹と、それを共有するというのは、不思議と白哉の心を穏やかにした。


「ルキア」
「はい」

「桜が咲いたら…花見に行くか」
「…っはい!」



梅の花が、やさしく、彼女の愛した庭を飾ってゆく。

桜の盛りの頃には、今度は桜と緋真の思い出をルキアに分けてやろうと、白哉は思う。


満開の桜の下で、桜はあなたの花ですねと、笑った横顔を。




***Fin***



 

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