The Prince of Tennis

□I’m home!
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―――ぴろりん。


静かな講堂に、何とも可愛らしい音が響いた。

一斉に周りの視線が自分に集まってきて、桜乃は慌ててその音の発信源を消した。
「す、すみません…。」


広い講堂であるため、前の方まで音は届いていなかったらしい。
教授は淡々と授業を進めていた。
一番後ろに座っていて良かったと桜乃は少しほっとしたものの、何だかやはり恥ずかしくて気まずい。

今にも発火しそうな程に赤らんだ顔を見て、隣に座っていた友人は隠れてクスクスと笑った。

「もう…ひどい、笑わないで。」
短大に入学して以来の友人に、桜乃は軽くむくれて見せた。

「だって桜乃ちゃん、慌てすぎ。」
「…でも…だって、急に鳴るから…。」
携帯が急に鳴らずどうやって鳴るのかと友人は思ったが、19歳という実年齢すら疑わしいほど可愛らしいこの友人にあまり鋭いツッコミを入れるのもなぁと、軽く笑って流した。







午前の講義を終えて、午後の講義が始まった。

桜乃は午前と同じ席で同じ教授の話を聞きながら、ふゎ、と可愛らしいあくびを漏らした。

「どーしたの?眠そうだね。」
目の下にクマが出来てるよ、とやはり午前と同じく隣に座っている友人は、自らの目元を指差しながら言った。
友人のその言葉に、桜乃は更に頬を染めて俯いてしまった。

「?…アラやだ、お盛んねぇ。」
それを見て取った友人が変な方向に解釈をし、小声でホホホと高笑いをした。
「ちが…っ、違うの!」
慌てて桜乃が否定するのを見て、友人は「ハイハイ」とやけに大人ぶった笑みを浮かべた。


桜乃の寝不足には、理由があった。
もちろん“お盛ん”だという訳ではない。




桜乃の待ち人…―――――越前リョーマ。


念願だったウィンブルドン制覇という大業を、昨日、彼は僅か19歳の若さでやってのけた。


それは当然、世界各国で大きなニュースとなった。
テニスがあまりメジャーでないこの日本でさえ、彼の事が大々的に取上げられていた。
祖母のスミレは教職を退いたものの青春学園テニス部にはまだ縁があるらしく、記者たちが越前リョーマの母校として取材しに押し寄せていると、今朝方、連絡を受けていた。


挑戦し続けることを止めない彼は、これからも更なる上を目指して走り続けるのだろう。
そのために必要な、大切なステップだった。

あの頃よりもずっと逞しく、けれど変わらない生意気そうな鋭い瞳。
彼が見つめる先にあるもの。
それは、きっとわたしには見えないもの。





『…―――オレは世界の頂点に立つよ。』


あの日の、彼の言葉がリフレインする。



あれからいくつもの季節が過ぎた。
その間に会ったのは僅か数回きり、しかも彼の一時帰国に合わせてほんの少し会えただけ。


それでも、会えない間の寂しさを充電なんてできなくて。
離れた瞬間、もう電池切れ。


…リョーマ君…。


あの頃のままわたしの胸に宿る、ふたりだけの約束。
いつかきっと…って、信じてる。



不安になることも、あるけど…。


―――でも、わたしは、待つって決めたんだもん。
絶対に、彼をせっつくような事だけはしたくない。


彼の中でひとつの区切りがついたとき、きっと迎えに来てくれる。







「そういえばさ、昨日イギリスでテニスのおっきな大会があったの、知ってる?」
「えっ!?」
友人の言葉に思わず声を大きくしてしまった桜乃を、周りがチラリと睨んだ。
慌てて口元を押さえて隣の友人を見やると、案の定クスクスと笑っている。

「どーしちゃったの、慌てて。」
「うっ、ううん、何でもないの…。」
まさか、昨日のその大会で優勝したのが自分の恋人だと桜乃が言えるはずも無く、ふるふると首を横に振った。

「でね、結構大きくやってたんだよねぇ。優勝したの若い日本人で、越前リョーマっていうんだけど。」
「そ、そうみたいだね…。」
「その人がさ、めちゃくちゃカッコ良かったんだよ。見た?」


…見た。見たけど…。
桜乃は、小さく頷くだけしか出来なかった。


友人の言葉が、どうにも桜乃を複雑な気分にさせた。

たぶんきっと、友人と同じ感情を抱く女性がこの日本中で…いや世界中で急増したであろう事実。



それが、桜乃を落ち着かなくさせるのだ。








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