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矛盾だらけの世界
→それでも正義は何処かにあると信じていた。
いや、信じていたかった。


「…笛吹さん……」
「なんだ」


険しい表情で軽く親指を噛んでいる笛吹の顔を一度覗き込んでから筑紫は視線を逸らす。
それが何を意味するかわかっていながら笛吹は何も言わなかった。
言いたくなかったのだ。


「笹塚さんは……」


開いた口から苦しげに紡がれた言葉
けれど、筑紫には続きを発することが出来ずに口籠る。


「…筑紫……」
「は、はいっ!」


そんな俯きかけの彼にかけられたのは静かな、静か過ぎる声


「……忘れるなよ…なんの為に警察官になったか……」


だが、笛吹の瞳は何処までも強く決意に満ち、輝いていて。
一瞬驚いた筑紫だったが溜まっていた唾液をゆっくりと飲み込んで「はい」としっかり返事を返したのだった。



バトン


罪を抱えて
逃げ切れるなんて思ってない。
だから、どうせ捕まるのなら貴方に捕まりたいと、いや、貴方にしか捕まりたくないと思った……




「もう逃げないのか…?散々警察を愚弄しておいてっ……!!」
「笛吹さん。そんなに眉間に皺寄せてたら将来絶対禿げるわよ♪」
「……貴様っ…!」


莫迦にするみたいな私の口調に反応してギュッと貴方が拳を握り締めたのが見えたが、それ以上の反応は見られない。
思わず自身の口から苦笑が漏れた。

(変わら…ないな……)

闇の中のものさえも見抜いてしまいそうな鋭く綺麗な黒曜石の瞳に胸を高まらせるようになってから気付いたことは沢山ある。

゙いつも仕事熱心で、最後の最後まで手は抜かない゙
゙可愛いもの好きで意外に操られやすいけれど、仕事中だけはその限りにあらず゙
゙身嗜みはいつも美しく、繊細な銀フレームの眼鏡も高級な革靴も汚れ一つついていない゙

何度貴方゙らしい゙と思って噴き出したかもう思い出せはしない。


「ねぇ…もし私を捕まえたとしても……」
「なんだ?」
「捕まえたとしても忘れないでね……?」


想い出に浸り過ぎてなんだか泣き出しそうになった私の顔を真直ぐ見据えていた貴方の柳眉がぴくりっ、と跳ね上がった。
そして、


「忘れるわけない。捕まえた人間はきちんと全員覚えてる」
「…………そ……?」
「当たり前だ」


そして貴方らしい答えに思わず笑いが込み上げながらも涙が一筋零れ落ちた。


ああ…
貴方に逢えて良かった……
貴方が警察官で…
本当に…本当に良かった……




バトン


滴る雫は
→ゆっくりと白い頬を濡らす。
あまりにも静か過ぎるその情景はまるで一枚の絵のようで。笛吹は黙って唇を噛み締めた。
時を刻む針がやけに大きく響き、場を支配する。

(泣くな…泣くな泣くな泣くなっっ!!)

音にはならない願いを只管脳内で繰り返しながら笛吹はマロングラッセの瞳をゆっくり覗き込んだ。
何も映していない空虚な瞳を
大切な者を失った人間の、生きる気力を失った人間の瞳を覗き込んだのだ。


「……ねぇ………笛吹さん………」
「………ん……?」
「命って…儚い…ですよね……」
「……………………………」


不意に齎された言葉に酷く切なく悲しくなって。笛吹の口から意味ある言葉が出て来ない。
口に出したら全てが嘘になってしまいそうで何も言えなくなったのだ。
ただ時間だけが無情に過ぎていく。

(どうしてお前はこの娘を置いて逝ったんだっっ!!)

泣きながらも姿勢を崩さない少女はいつもより数段儚く綺麗で。誘われたようにどうしても歪みそうになる表情を隠す為に笛吹はずれてもいない眼鏡をギュッと押し上げたのだった。


過ぎ去った時間は戻らない
そして
死んだ人間も戻らない……




バトン

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