立海一家シリーズ

□立海一家と不思議な犬
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「赤也、そろそろ寝る時間だ。布団へ行くぞ」

「はーい!」

入浴を終えパジャマに着替えた赤也は、皆に「おやすみなさ〜い」と手を振ると、柳の後に付いて行った。
普段は子ども達だけで寝ているので、此処暫く柳と一緒に寝られるのが嬉しいらしい。
本人はその理由を知らないけれど。

軽い足取りで柳の部屋へ向かう赤也を、ブン太が目で追う。
ぷくぅ……と、癖でガムを膨らませようとしたが、先刻歯磨きをして口の中には何も入っていない事に気付いた。

「なぁ、あかや まだ やなぎン所?」

そう柳生に訊ねたのは、赤也がまた夜に起きてしまうのかと、心配しての事だろう。

「ええ、もう暫く様子を見ましょう」

大丈夫、心配いりませんよ、と。柳生は優しくブン太の頭を撫でた。
ブン太も雅治もまだ小さい。なるべく不安にさせないようにと。

「プリッ」

同じ事を雅治にもと振り返った時、彼はもう足元まで来ていた。
そして、柳生の足に、両手でぎゅっと掴まる。

「くっつき虫ナリ」

「……雅治君?」

「やぎゅうが寝るまで、たぶん はなれん。困ったのう」

やはりブン太だけでなく雅治にも、赤也の件は影響を与えているのだ。
柳生は雅治の意を汲み取り、真下にある銀髪を撫でた。

「では、一緒に行きましょうか」

「えっ、まさも ひろしと寝んの?ずりぃ!」

ブン太が声を上げるのも当然だった。
赤也も雅治も居ないとなれば、子ども部屋に一人になってしまう。

「じゃあ、ブン太は俺と……」

「おれ、ゆきむらくんと寝る!!」

ジャッカルの申し出は即座に遮られてしまった。
項垂れる彼の肩に、真田がぽんと手を乗せる。

「しかしブン太、幸村は今夜、帰りが遅いのだぞ」

「え〜?!」

幸村は今日、夕方から仕事があり、白石・金太郎親子が帰った後、迎えに来た太一と一緒に出掛けていった。
帰宅は深夜になるだろうから、皆は先に寝ていてくれと云われている。

「じゃあ、ジャッカルでいいや」

「お前なぁ……いいやって何だよ?」

そう呆れながらも、「おやすみぃ」と歩いて行くブン太を追い、自室へ向かうジャッカル。
雅治も柳生にくっついてリビングを出て行く。……が、一旦振り返り真田に視線を向けた。

「さなだ淋しいじゃろ?かしてやるぜよ」

「貸す?何の事だ?」

雅治の言葉の意味が解らず、一人佇立する真田。
すると、足元の小さな温もりに気付いた。

「そ、そうか。お前が一緒に寝てくれるのか……しい太」

「にゃんす〜」



柳の部屋は和室である。
畳に敷かれた布団に入り込むと、赤也はにへっと笑った。

「やなぎさんの おへや、いっつも いい においする!」

「ああ、香を焚いているからな。赤也がよく眠れるように」

そう言って、柳も隣に横になった。

「おれ、いっぱい ねてるよ?はやく でっかくなりたいもんっ」

寝る子は育つと言ったのは柳だった。
しかし、それでなくても赤也は、昼寝もするし、夜もすぐに寝付き、滅多な事では朝まで起きない。……ずっとそうだったのだ、最近までは。

「そうだな。赤也はよく寝る子だ。だが、朝寝坊はいけないな。早く休もう」

手をのばし、シャンプーの香りがするくせっ毛を撫ぜてやる。赤也はにこにこしながら、おやすみなさぁいと言うと、あっという間に眠りについた。

「本当に、寝付きは誰よりも良いのだが……」

呟くと、柳は携帯電話を手に取った。
案の定、幸村からメッセージが届いている。


 『 赤也はもう寝た?大丈夫そう? 』 


「全く、精市にも困ったものだ」

柳は僅かに苦笑を漏らすと、このところ何度も報告した同じ言葉を綴るのだった。



―――暫くの刻(とき)が過ぎた。

子ども達はもちろん、ブン太に美味しそうな食べ物が出て来るお話をせがまれていたジャッカルも、寝付きの悪い雅治を布団の上から穏やかにトントンしていた柳生も、散々しい太のボール遊びに付き合わされた真田も、既に眠りについていた。

柳だけが、布団の脇で静かに座し、本を読んでいる。

隣で眠る赤也を視界に入れるが、愛らしい寝顔に変化は無い。

今夜は朝まで眠ってくれるかもしれないな。自身も就寝してしまおうか。精市はそろそろ帰って来るだろうか……そんな事を考えていた時、ふっと空気が変わった。

「っ……うわああぁあぁせいくん!!」

赤也が覚醒した。――否、またあの症状だ。

「赤也!」

「いやだ…ゆ、きむら…ぶちょ…っ……うわぁああぁあ"ん!!!」

「赤也、しっかりしろ。精市なら大丈夫だ。落ち着け赤也!」

暴れる赤也を抱きかかえ、声をかけ続ける柳。
しかし泣き声は治まらない。赤也には、届いていない。

「落ち着いてくれ赤也、赤也…っ」

「やぁーッ!!」

柳の腕から逃れ、布団の上に転がる赤也。
手に触れた、先程まで柳が読んでいた本を掴み、形振り構わず投げつけた。

赤也は無意識だったが、流石は立海道場の門下生。コントロールは頗る良い。
柳は反射的に手で防御した。


――あかん。


そんな声が聞こえた気がした。

本は柳に当たる事なく、畳に落ちていた。
気がつけば、目の前にはしろがねの獣が居た。

「これは……」

獣は、未だ幸村の名を呼び泣きじゃくる赤也に近付いた。

赤也の濡れた頬を舐め、身体をすり寄せる。まるで、大丈夫だ安心しろとでも云うように。

柳は為す術無くただその光景を見据えていたが、やがて赤也が落ち着きを取り戻し再び眠ったのを見て、自身も平静を取り戻した。

「お前が……銀、なのか?」

赤也に布団をかけ直した柳は、その獣に向けて、だが、呟くように云った。

獣が肯定する。
不思議と伝わって来るのだ。「ワシの名は銀」だと。

「驚いたな。本当に、神秘的だ…」

銀が語りかける。ワシはただの犬やで。他より少しだけ、人間と心を通わせられるだけや、と。

「そうか。有り難う」

感謝の意を込め、柳は銀の身体をそっと撫でた。

不思議なものだな。白石の言う通り、言葉ではなく心が、波動の如く伝わって来る。思念伝達……いや、精神感応とでもいえば良いのか。何れにせよ、実に興味深い。

まさか本当に白石達と同じ体験をするとは。そう思っていると、銀がまた何か伝えて来た。


――赤也はんはもう心配あらへん。おぬしの考えていた通り、中学時代の幸村はんが倒れる夢を見ておったようやが、ワシが波動を送りましたよって。


それは、柳が日中、当時の写真を見ながら考察した通りの内容だった。中学時代、三強と謳われた幸村と真田と柳、そしてジャッカルや柳生も写る懐かしい写真を。
あれは確か、幸村が倒れる少し前に撮ったものだった筈だ。いつだったか子ども達に訊かれた時、話の流れでそう説明した事があった。

思えば、真田だけではなかった。
立海一家の面々は皆、幸村に対して過保護なのだ。

柳生は天候不順や気温の変化に際し幸村の体調を非常に気遣い、彼が小雨や多少の雪も気にせず庭に出ていると、必ず傘を差し掛けに行く。
ジャッカルは幸村の仕事をよく理解し、忙しい時には彼が疲労しないよう率先して子ども達の面倒を見るし、気紛れに家事などしようものなら先回りして請け負う。

柳自身も、幸村にはどうしても小言が多くなってしまう。
別段子ども扱いしているわけではないのに。

子ども達も、幸村と家で食事を共に出来ない日が続くと、ブン太は菓子を作って食べさせようとするし、雅治は楽しんで貰えそうな悪戯を仕掛ける。赤也は絵や短い手紙を書いたりもする。

こないだの人間ドックの際、立海家には直前まで告げず、手配や雑務を太一に任せていたのも、彼らが「病院」という単語に過剰に反応するが故だったのだろう。

弦一郎だけを責める事は出来ないな、と少し反省しながら、柳はすやすやと穏やかな寝息をたてる赤也を眺めた。

「本当に助かった。何か礼をしなければ」

再び銀に向き直ると、そこにはもう、彼の姿は無かった。



ハイヤーを降りた幸村は、どちらの家に帰ろうか思案していた。

仕事で帰宅が深夜に及んだ時には、幸村家へ帰る事が多い。
立海家は皆既に寝静まっており、自身の帰宅で誰かを起こしてしまう可能性を危惧しての事だった。

だが今の幸村には他に心配な事がある。
今夜も柳の部屋ですぐに寝付いたとの報告があったが、やはりまだ安心は出来なかった。

「精市兄さま」

静かな敷地内に、小さく響いた太一の声。
ふと見ると、夜の帳に神々しい程の輝きを放つ二つの眸と、暗闇に紛れる事の無い白銀の大きな影が目に入った。

「……君は、まさか」

吸い込まれるように歩み寄り、言葉を紡ぐ。
優しい双眸が、柔和に細められた。


――こんばんは。お疲れさんでしたな。幸村はん、太一はん。


「わぁ…大きなわんこさんですね!こんばんはですっ」

深夜故に声量は抑えながらも、高揚した様子の太一が抱き付く。
その犬――銀は、慈愛に満ちた表情で、二人に波動を送り続けた。

「そうか…。赤也の所にも、来てくれたんだね」

昼間白石から聞いていた銀が、まさか立海家にも来てくれるなんて。この奇妙で素敵な出逢いに、幸村は驚愕し感謝し、そして愉悦した。

「ありがとう、銀。逢えて嬉しいよ」

屈んで一撫ですると、銀は目を閉じて受け入れる。
幸村はまた嬉しくなり、今度は両手で撫でながら額をくっつけた。

「よし、じゃあ俺、赤也見て来るよ!」

「え?兄さま、赤也くんならたぶん、もう朝まで起きないですよ?」

「いいんだよ、それでも。おやすみ太一、お疲れさま」

極上の笑みを浮かべ立海家に帰る幸村を見送り、太一も「おやすみなさいです」と相好を崩した。




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