□桜の咲く頃に('08.5.12 完結)
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道場での剣術の稽古が終り歳三は汗を流す為に井戸に向かった。
井戸は道場の裏手にあり、途中母屋へ通じる木戸の前を通らねばならなかった。。
汗で張り付いた着物の襟をくつろがせながら、木戸の前を通り掛かると人の話し声が聞こえた。
声の主はこの道場の主近藤勇と最近娶った新妻のつねの声だった。
うららかな春の日が差し込む縁側で仲睦まじく話し込む姿が見えた。
歳三は木戸を横切るのを躊躇い、道場に戻ろうと踵を返そうとしたその時、
「あら、土方さん。稽古終ったのですか」
つねの明るい声が歳三を呼び止めた。
つねは飛び切りの美人では無かったが、気立ての優しい女だった。
食客の多いこの貧乏道場へと嫁いで来てまだ日が浅いが、愚痴一つこぼす事なく近藤に尽くしている。
つねが嫁いで来るまで歳三が道場のやり繰りをしていたので、その苦労は良く知っている。
道場の門弟は近隣の貧しい町人が多く高額な月謝を取る事も出来ず、唯一歳三の実家のある多摩周辺への出稽古で生計を支えていた。
そんな近藤の家人だけでも食べるのに苦労しているのに、近藤の人柄を慕って多くの食客が居候として住み着いている為に家計は火の車だった。
「歳。そんな所に居ないでこっちへ来いよ」
近藤が立ち上がって手招きをした。
「ああ・・・でも、お邪魔じゃねぇーのか」
くつろがせていた着物の襟を改めながら、木戸に手を掛けようとしたが、
「やっぱり、遠慮しておくぜ。じゃーな」
懐から手拭を取り出し、汗を拭いながそのまま井戸へと向かった。
「なんだ、歳。へんな気を利かせやがって」
「オホホ」
歳三の耳に二人の和やかな声が聞こえた。

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