ゆめみぐさ

□彼女は怒って泣いて僕の頬を一度打って、そして。
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随分と昔、追憶の彼方。
其処に置き去りにしてきた少女が居る。







彼女は怒って泣いて僕の頬を一度打って、







ずっと好きで付き合ってたひとだった。
未だ色褪せることを知らない彼女との日常は、余りにも遠く、其れでいて何時でも僕の傍にあったように思う。

イタリアに発つことになったから

僕が然う告げた時の彼女の顔を、僕は未だに忘れられない。歪に孤を画いた口元は、笑っているとも泣いているともつかず、ただ確かに睫毛に縁取られた彼女の大きな瞳は泣いていた。


「だからもう君とは会えないね」

「・・・・・・、」



其処で、うそだうそだ、行かないで、なんて駄々をこねるような聞き分けのない子じゃなく、彼女は唇で小さく「ばか」の発音を象っただけだった。(今思えば、彼女は聞き分けが良かったんじゃなく、感情を表すのが下手なだけだったのに、)(何故気付かなかったんだろう)

あの時、僕は声も上げずに泣く彼女を一度だけ抱き締めて、彼女から離れた。僕は泣かなかった、其れが正しいと思っていたから。
(――あの時泣いていたら、何か変わっていただろうか、なんて)


其の時のまま、僕の中の彼女の時間は止まった。もう別れ別れになって数年の歳月が経って居るけれど、今でもまだ、ひどくあどけない少女の様にくるくると表情を変えては笑うのだ、・・・僕の中の彼女は。


そして今、僕は再び並森に居た。僕が何より寵愛し、大切にした此の街に、其れ以上に愛した彼女がまだ住んでいることを、僕は知っている。
数メートル離れたビルから、吐き出されるかの様に人々が出て来る。
無機質な光沢のビルの自動ドアから、沢山の人々に紛れてひとりの女性が姿を現した。緩やかに結い上げた黒髪の、落ち着いた雰囲気の女性。

(嗚呼、あんな女性を、僕は知らない)

僕の知り合いに確かにあんな大人びた雰囲気の女のひとは居なかった筈だ(知って居るのはまるでいとけない少女だけ)、だけど如何して、僕が彼女を見間違えることがあるだろう。


今度は、今度こそはもう離したりしない、彼女が泣くなら僕も泣こう、僕は、ばかと云われたって何されたって、もう彼女を過去に置き去りにするつもりなんか、無い。

そうして僕は歩き出す、今此方に向かって歩いてくる彼女の手を取る為に。













彼女は怒って泣いて僕の頬を一度打って、そして僕を赦すだろう

(“ほんと、ばかだなぁ、雲雀は”)(きっとそんな風に笑って、君は、)












20071122
愛すべき37番の友人、へ!
 

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