天国はどこですか?
□電車内
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ボクは曲理と並んで座って、電車に揺られていた。手に持っていたはずの楽譜はない。もう周りの景色やらなんやらが変わることに驚かなくなってきた。
電車に揺られるのも久しぶりだとか懐かしんでると、曲理が尋ねてきた。
「名前のこと思い出しましたか?」
……いきなりカヨ。まるで、ボクが思い出したことを知ってるみたいなタイミングだ──とりあえずの言葉を返す。
「マア、ネ……でも、あの質問に答えてあげルことはできナイ。……イヤ、勘違いするナヨ、ボクは──」
「え?あ……わかりました。ツンデレですね」
「だからそのツンデレは違うンダって!……別に、曲理に意地悪したいわけじゃあなくてネ──答えられないんだヨ、名前がないカラさ」
名前がないだなんて普通じゃありえない──少なくとも、曲理にとっては不測の事態のはずだ。ふと、記号すらなかった頃を思い出して気が沈む。
それはともかくとして、驚いたかナ──隣を向いたボクは、その目の強さに逆に驚かされた。
「じゃあ、私の名前をあげますよ」
こいつ、本気だ。そのことがわかって、咄嗟に酷いことを口にしてしまう。
「あんたの名前なんかいらナイ」
「えー」そう言って、彼女はむすっとむくれる。
……きみはわかってないヨ、名前がないッテことの意味を──その辛さを。知らないなラ、そのままのほうがいいけど。でも……。ボクは自分の吐いた言葉に落ち込みながらも、上っ面だけは取り繕った。
「狐サンがつけてくれた記号があるかラ、そっちで呼んでくれヨ──一番新しいのがノイズだ」
好きな子に呼んでもらえるなら、この記号が名前でもいい──そう思った矢先のことだった。
「狐サンは、名前をつけてくれなかったんですね──記号はつけてくれたのに」
思考が止まった。たった一言で、頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられた。ナイフみたいに冷たい言葉が、ボクのナニカを抉る。
「狐サンとは、名前がないかラ会ったようなモンだし──当然だヨ。記号はつけてくれたしサ。メモとるときに必要だかラって」
それを慌てて繕うように口を開いたけれど、曲理の表情は固いままだ。
「ノイズくんは……一体どんな経験をしてきたんですか」
「……さあネ」ボクははぐらかした。
「間違いナイのは、ボクが車で跳ねられたはずダってことくらいかナ」
「えっ」曲理が目を見開く。
「少なくとも──そうだネ、五秒は空飛んでタと思う」
「それ普通は死んでますよ!」
「ウン、死んダかもしれナイ」
死んでいようが生きていようがどっちでもいい──そんなボクの物言いに、曲理の顔がさっと青ざめた。
「次に会うときまでにきみの名前を考えて、つけてあげるから──死なないでください、ノイズくん」
きみが呼んでくれルのが名前でいいかナ、なんて──
ぐにゃり。