天国はどこですか?

□電車内
1ページ/1ページ


 ボクは曲理と並んで座って、電車に揺られていた。手に持っていたはずの楽譜はない。もう周りの景色やらなんやらが変わることに驚かなくなってきた。

 電車に揺られるのも久しぶりだとか懐かしんでると、曲理が尋ねてきた。

「名前のこと思い出しましたか?」

 ……いきなりカヨ。まるで、ボクが思い出したことを知ってるみたいなタイミングだ──とりあえずの言葉を返す。

「マア、ネ……でも、あの質問に答えてあげルことはできナイ。……イヤ、勘違いするナヨ、ボクは──」

「え?あ……わかりました。ツンデレですね」

「だからそのツンデレは違うンダって!……別に、曲理に意地悪したいわけじゃあなくてネ──答えられないんだヨ、名前がないカラさ」

 名前がないだなんて普通じゃありえない──少なくとも、曲理にとっては不測の事態のはずだ。ふと、記号すらなかった頃を思い出して気が沈む。

 それはともかくとして、驚いたかナ──隣を向いたボクは、その目の強さに逆に驚かされた。

「じゃあ、私の名前をあげますよ」

 こいつ、本気だ。そのことがわかって、咄嗟に酷いことを口にしてしまう。

「あんたの名前なんかいらナイ」

「えー」そう言って、彼女はむすっとむくれる。

 ……きみはわかってないヨ、名前がないッテことの意味を──その辛さを。知らないなラ、そのままのほうがいいけど。でも……。ボクは自分の吐いた言葉に落ち込みながらも、上っ面だけは取り繕った。

「狐サンがつけてくれた記号があるかラ、そっちで呼んでくれヨ──一番新しいのがノイズだ」

 好きな子に呼んでもらえるなら、この記号が名前でもいい──そう思った矢先のことだった。

「狐サンは、名前をつけてくれなかったんですね──記号はつけてくれたのに」

 思考が止まった。たった一言で、頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられた。ナイフみたいに冷たい言葉が、ボクのナニカを抉る。

「狐サンとは、名前がないかラ会ったようなモンだし──当然だヨ。記号はつけてくれたしサ。メモとるときに必要だかラって」

 それを慌てて繕うように口を開いたけれど、曲理の表情は固いままだ。

「ノイズくんは……一体どんな経験をしてきたんですか」

「……さあネ」ボクははぐらかした。

「間違いナイのは、ボクが車で跳ねられたはずダってことくらいかナ」

「えっ」曲理が目を見開く。

「少なくとも──そうだネ、五秒は空飛んでタと思う」

「それ普通は死んでますよ!」

「ウン、死んダかもしれナイ」

 死んでいようが生きていようがどっちでもいい──そんなボクの物言いに、曲理の顔がさっと青ざめた。

「次に会うときまでにきみの名前を考えて、つけてあげるから──死なないでください、ノイズくん」

 きみが呼んでくれルのが名前でいいかナ、なんて──

 ぐにゃり。
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ