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□膝枕
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――失恋した――と思っていた。
夏美がサブローに告白し、正式に付き合うことになった、と報告に来たから。
突然の事にいったい何故?いつ?どうしてそうなったと何も考えることができなかった。
気づけばいつの間にか、ラボに来ていた。
俺の顔をみてクルルは椅子から立ち上がり、腕をとってソファに座らせる。
なすがままの俺の頭をそっと、膝に倒し黙ったまま触れてくる。
何度も… 何度も…。
クルルは何も言わない、俺も何も言わない、モニターの音も切ってある――。
無言の俺達を、僅かな機械の駆動音だけが包む……。
もっと心が抉られると、思っていた。
だが、実際に感じているのは…一抹の寂しさと、憑き物がおちた様な喪失感だけ。
泣きたい訳でもなく、心が荒れ狂うこともない。
ただ、モニターに映る夏美の笑顔を見ていた…。
何も言わず俺の頭を撫で続けるクルルの手と、幸せそうな夏美の顔。
ひんやりとしていたクルルの膝が、俺の体温で温まっていくごとに俺の心も少しずつ、これで良かったんだという安堵感の様なもので満たされていく。
静かな音に包まれて、俺は胎児のように眠りに堕ちていった。
日常は変わらず流れていく――。
夏美は時折、サブローを伴って帰ってくる事が増えた。
リビングから聞こえはじめる楽しげな声…。
それを確かめ、俺は磨いていた銃をしまい立ち上がる。
行き先はラボ…。
扉の前に立てば当然のように開かれるドアを潜り、中へはいる。
いつもの指定席でキーを叩き続ける背中を見ながら、奥のキッチンへと歩を進める。
しばらくして、ラボの中にコーヒーの香りが漂いはじめる。
二つのカップに満たした液体を持ち、ソファに座る。
それを区切りにしたようにキーを打つ音が止み、クルルが席を立つ。
カップを受け取り俺の隣に座り、コーヒーに口をつける。
「…美味いか?」
尋ねる俺に、両手でカップを包むように持ったまま、頷く。
冷えた指先を温めるように持つ仕草に。
飲みながら僅かに綻ぶ口元を横目に。
湧き出る満足感をともに確認し、俺はクルルの膝へ頭をおとす。
あれから、まるで約束になったようにこんな日々を続けている。
サブローが来て、ラボに出向き、クルルの膝枕で微睡む。
触れてくる手が同情なのか、憐憫なのか、それとも他の何かなのか俺には解らない。
知りたいような気もするし、解らなくても良いとも思う。
俺がクルルを理解しようとする事は至難の業だろうから。
それならば今は自分の気持ちだけを考える。
日々を重ねる毎に滲み出してくるようなコイツへの思いを…。
夏美を好きだ…と思っていた、だが、それは少し違っていたのだろうか?
あの日、何故あんなにも穏やかに、自分の気持ちに終止符が打てたのか…。
思えば俺が嫉妬していたのはいつも、地球人に対してだった。
同じ家に住み、食事を共にし、時には抱き合って笑い合うケロロ等にはあそこ迄、嫉妬した事など無かったのだ。
最初から、夏美の相手は俺達ケロン人ではなく、地球人なのだと解っていたのだろう。
ただ、気づかないフリをしていただけで…。
ではクルルは…。
近づく気配に心が波立った、向けられる言葉に過剰に反応した。
戦場の赤い悪魔と呼ばれ、数々のトラップをくぐり抜けてきた俺が、いつもいつもクルルの悪戯には引っかかってしまうのは…。
犬猿の仲と自他共に認めながら、いつも傍に居た。
つまりは… そういうことなのだろう…。
そして俺はコイツの優しさも知っていたハズだ。
夏美にパワードスーツを渡し、俺達を助けに来させたのも、猫に擬人化銃を渡したのも、子犬になった俺を、戻る迄ずっと世話をしてくれたのもコイツだった。
数え上げればキリが無いそれらを、コイツはいつも言葉の棘と、偽悪的な態度で隠して…。
だがもう、それで良いと思う…そのまま、他の誰にもみせなければ良い。
俺は気づいてしまったから、俺だけにその優しさを向けていて欲しい。
こみ上げる独占欲を自覚し、クルルの腰に腕を回す。
瞬間、小さく震えた躰はそれでも何も言わなかった。
それに気を良くし、綻ぶ口元を隠す。
少しは、自惚れても良いんだろう…?
膝を貸すのも、何も言わないのも、触れる手も全て『嫌い』な俺のため、なんだろう?
ならば、次は俺がコイツに膝枕をしてやるのも良いかもしれない。
コイツがしてくれた事を、今度は俺がしてやりたい。
さすがに文句を言うだろうか?
その時は――唇を塞いでしまおう。
何も行動せず、諦めるのはもうやめだ。
俺が機動歩兵だということを改めて思い出させたのは、この静かな時間とお前だ。
そんな事を考えながら、薄眼を開ける。
カップに逸したままの視線と、薄らと色づく頬を確認し、回した腕にもう少しだけ力を込めてから俺は微睡みに眼を閉じた。