銀月短編

□川を渡りて
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夜風に篝火が一瞬、大きく揺れた。
それと共に舞台に落ちる恋に狂った女の影が揺れるのを月詠は、夢でもみているような心地で見ていた。
地上の神社で催されている奉納の薪能を月詠は日輪に付き添って見物に来ていた。
まだ、足の筋を切られる前の日輪に仕舞いを教えていた能役者の招待であった。
舞台栄えのする受けのいい演目ということであったのだろう演目に「道成寺」が選ばれていた。
安珍・清姫伝説の後日譚を題材とした能である。
一夜の宿を求めた僧、安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すというその伝説は、能楽の他にも人形浄瑠璃、歌舞伎の題材としても知られている。
それは、恋の執着、恋着の物語。
女の恋着の行き着く先はこんなものなのだろうか?
恋しい男の息の根を止める為、蛇身にその身を変え、日高川を渡る恐ろしくも哀しい清姫の姿を想像するに月詠の胸は詰まった。
この胸に息苦しいほど詰まるものの正体を、ずっと見ないふりをして過ごしてきた。
己の心の在処を自覚したところで、どうしようもないと思っていた。
どうにかしようとも思わなかったし、またどうにかなりたいとも思ってはいなかった。
叶うなら、すっぱりと捨て去りたいとさえ思っていた。
なのに。
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