銀月短編

□月色縒糸
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なぜ分からなかった?
あの大門を一度くぐったその時から、
ぬしが居たのは、仮初めの夢。

その夜起こった陰惨な事件の後始末を終えた月詠は、まるで何かから逃げるかのように、高速エレベーターに飛び乗って、地上へ向かった。
まだ、血の臭いが鼻腔の奥に、血の色が瞼の裏に、血の笑みが記憶の芯に残っていた。
若い男だった。
おそらく自分と同じくらいの年だろう。
馴染みの遊女に刃を向け、そして死んだ。
百華が手を下すまでもなかった。
知らせを受けて駆けつけた時には、既に事切れた血まみれの妓を双腕に抱き、男もまた自死していた。
安堵の笑みを浮かべて。
心中にもなれない、哀れで凄惨な情死事件だった。
地上に上がりつつある月詠の目に吉原桃源郷の象徴である大門が映った。
騙しあいの仮初めの夢に溺れて狂った哀れな男には、夢と現(うつつ)の境界であるあの大門は既に見えていなかったのだろうか。
夢か…。
だとしたら、眼下に広がるこの街は一夜の夢。
大門を一歩潜れば、綺麗に騙され、綺麗に騙すことを最良とする夢の世界。
この街を訪れる男たちにとっては、この街は予め道具立てられた夢の舞台なのだ。
…ならば狂っているのはどちらだ?
今際の血塗られた笑みが問いかける。
夢の世界に実を求めたあの男か?
それとも、生きながらにして夢の世界に暮らす己らか?
月詠は、自分が吉原という巨大な舞台の書割りの一部になったような思いに、ふるりと身を震わせた。
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