銀月長編

□【一】
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もうどれくらいここにいるのだろう?
もうどれくらいここで迷っているのだろう?
白い髪に白い着流しを羽織った男は、生気のない紅い目で狂い咲く桜の老木を見上げた。
…それを知ってなんとする。
「なんにもなんねぇか」
男は一人ごちた。
…望むなら、ここで天地をつくればどうだ?
「馬鹿抜かせ」
…馬鹿か。そもそも馬鹿はどっちだ?
男は押し黙った。
…ここで天地をつくろうとしたのはお主たちではなかったか?
「昔の話だ」
そう、昔の話だ。
己の名すら忘れてしまう程の遠い昔の話。
一瞬、深いところに沈みかけた男の思考を別の声が引き上げた。
「桜じゃ、秋なのに!」
己の声と桜の声以外の声を久しぶりに―その感覚すら定かではなかったが―聞いて男はギクリとして振り返った。
男の視界にパッチリと目を開いて狂い咲く桜を見つめる幼女の姿が飛び込んできた。
…これは、これは珍しい。なんと可愛いお客人だ。
桜の含み笑うような声が男の耳に届いた。
顎の辺りで整えられた金糸の髪に紫苑の瞳、さくらんぼのようなつややかな唇。
本来いるべきところではない異郷に入ってしまったとも知らず、幼い娘は無邪気に輝く瞳で桜を見上げていた。
「おい、オメー、どこから入ってきた」
男は動揺しつつ幼女に声をかけた。
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