銀月短編3

□追い風
2ページ/5ページ

「鯉のぼりは上げねえんで?」
「それこそ、興ざめじゃろう?」
「ま。そりゃそうだ」
「日輪は上げたかったようじゃがな」
どうやら鯉のぼりを巡ってひと悶着あったらしく、月詠がため息を付くのを見て、沖田は笑った。ここのおっかさんは、こと坊主のことに関しては行き過ぎの傾向を見せがちだから、また何かあったのだろう。
「わっちと晴太で説得して止めさせたわ」
「そりゃ、いいや。親から与えられるものを当然のように受け取らないだけ、ここの坊主には見所がありますぜィ?」
「ぬしにそう言われたと知れば晴太も喜ぼうよ」
「貧乏人には、『屋根より高い鯉のぼり』、より『柱の傷はおととしの』の方が身近だなァ」
「鯉のぼりの歌は晴太に聞いたが、柱の傷とかいうのはなんじゃ?」
「童謡ですよ。童唄」
子どもに縁のなかったこの町の住人は色っぽい小唄を知ってはいても、こういう誰もが口ずさめるような童謡を案外知らなかったりする。目の前のこの女も年端のいかぬ童女のころに、他愛無い童謡ではなく、男と女の艶歌を教えられて、教えられるままそれを口ずさんでいたクチなのだろう。何だかそれは酷く痛々しいような気がして、沖田は口を開いた。

柱の傷はおととしの
五月五日の背比べ
ちまき食べ食べ兄さんが
はかってくれた背の丈

「背比べか」
「子どもの成長を祝う行事ですからねィ。この唄にならって柱に背の丈を刻んでいる家もありますぜィ」
「それはいいな。成長が目に見える」
ふ、と小さく笑って月詠が呟いた。
「晴太が帰って来たら測ってやるとするか」
「どうせなら、朝にしてやりなせえ」
「どうしてじゃ?」
「夜より朝の方が身長が高い」
「僅かばかりのものじゃろうて」
呆れたように月詠が言うのに、沖田は首を振った。
「ガキの心はデリケートですからねィ」
沖田の言葉を受けてふふっと月詠が笑った。
「ぬしも背比べをしたのか?」
「ああ、しましたよ。俺ァ、今もそう大きい方じゃねえけど、ガキの頃はチビだったですからねィ。必死で背伸びしていたモンでさァ」
顔を赤らめて必死で背伸びをしている自分のガキの頃でも想像したのか、月詠がクスリと笑った。
「すぐバレそうでありんすな」
「そりゃね」
頭がふるふると震えていたし、あれでバレないと思っていた子どもの頃の自分を思うと恥ずかしくもあり、懐かしくもある。

ただ、あの頃は。
どうしても。

「早く、大きくなりたかったんじゃなあ」
沖田の思いを読み取ったかのように月詠が声に出すのを沖田は聞いた。もう慣れてきたから、驚きはしない。沖田は薄っすらと笑った。

そう。早く。大きくなりたかったのだ。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ