銀月短編3

□追い風
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「今日は団子じゃねーんですねィ」
「端午の節句じゃろう?」
「あ、そうか」
ひのやでお茶請けにと出てきたのはいつもの団子ではなく柏餅だった。
そうか、もうそんな時期かと沖田は足をぶらぶらさせながら空を見上げた。切り取られた吉原から見上げる空はすっかり初夏の色をしていた。
自分たちの周りにはガキがいない上に、かぶき町界隈では、鯉のぼりなんて贅沢なものを上げられるだけの財力とスペースを持つ家庭は限られていることもあって、空を泳ぐでっかい目刺しを見ることもない。それで、すっかり忘れていた。
餅にカブリと噛り付くと餡子の上品な甘さと柏の葉の香りがふうわりと鼻に抜けていく。
「吉原で端午の節句じゃ、客が興ざめしちまいませんか?」
端午の節句は男児の成長を祝う行事だ。家庭持ちの男も多く遊びにやってくるここで家庭を臭わすようなものを供せば、興ざめとなるだろう。
「だから知り合いにしか出していんせんよ」
ここの坊主のために作られた分だろうと納得して、沖田は口を潤そうとガラスの茶器を持ち上げた。幾分気温が高い日だったのもあって冷茶である。隊服をがっちり着込んでいる身には有難い。口に含めば、爽やかな茶の香りが鼻に抜け、渋みを押さえた、がくどくない茶の甘みが口中の糖分を咽に洗い流す。
「夏も近付く八十八夜か。新茶ですかい?」
「ああ」
この場所は季節に貪欲だ。この間まで季節そのものを知らなかった所為だろう。色里という場所柄、季節感を演出することはあったろうが、それは実感の伴う季節感ではない。地上に上がれば、マヨネーズやアンパン、チューインガムや酢昆布、どうにも季節感に欠ける環境だから、すっかりサボリ場所のひとつとして定着してしまった吉原で季節を味合うのも、沖田には新鮮で物珍しい。ここに来なければ、端午の節句なんて気付きもしなかったろう。
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