銀月短編2

□いろがわり
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自室の鏡台の前で、ぼんやりと月詠はもらった小町紅に目を落とした。猪口の内側に塗りつけられているのは、紅花だけから抽出されたという天然の紅。ただ、その色は「紅」のイメージからは程遠く、緑に近いようなきらきら輝く玉虫の羽の色をしている。知らなければ、これが紅とは思うまい。この玉虫色を水に溶いて、唇に載せれば、透きとおるような紅色に染まるのだから、禿の頃はこれが不思議でならなかったものだ。
前に紅を引いたのはいつだったか、必要に応じてしか化粧などしないものだから、いつのことだったか、もう忘れたけれどと思いながら、月詠は紅筆の柄に指をかけた。それを持つ女の白い指先が映えるようにと作られた細い朱塗りの紅筆は優美で美しい。僅か数センチ四方の顔の一部分を塗りつぶすというただそれだけの用途のために作られたその筆はあまりに贅沢な代物だった。月詠は、その筆の先に水を含ませ、昔、日輪がそうしていたように水杯の縁で余分な水分を落とす。塗りつけられた玉虫色の端から紅を水で溶かしていかなければならない。水が全体に混じれば、折角の玉虫の色が壊れてしまう。
紅筆を持ち直そうとした時に、その密やかな空間に無粋極まりない、ずたどた階段を上がってくる音が響く。日輪は階段を上がっては来れない。そして、晴太はまだ寺子屋のはず。となると、残るは一人。
月詠の眉根が僅かに寄った。
「月詠ー。邪魔するぜ」と太平楽な訪いの声とともに障子が開いた。行儀悪くも器用なことに足でぱーんと障子を開けた銀時を月詠は睨んだ。
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