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□世界一初恋〜黄瀬涼太の場合〜
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「……よし、ここだ」
小さく呟き、黄瀬は目の前のビルを見上げた。

近年、相田出版という出版社が急成長を遂げている。まだ40代の若い社長が立ち上げ、文学作品を中心に新たな有名作を次々と世に送り出していた。
その部のなかに、少女漫画雑誌『月刊KISEKI』を刊行する部があった。会社を立ち上げた当初は全く売れず会社のお荷物とされていた
しかし一年前、とある若い編集が編集長となりその実力と感性を発揮すれば、世間の評価は反転した。一躍少女漫画雑誌のトップへと登り詰めたのである。しかも現在その部はかなりの曲者揃い
雑誌の名前と会わせて、
『キセキ部』と呼ばれていた

そんな会社の前にたち、黄瀬は悩んでいた。周りにはモデルの黄瀬を知っている女性たちが集まり甲高い声をあげていた。まあ、あくまで今は“元”モデルなのだが。
黄瀬が悩んでいるのは周りには集まる女性たちのことではない。世間から見て所謂美男子に値する黄瀬にとって、そしてそれを自負する黄瀬にとって、この状況はただの日常でしかない。彼はひとつため息をついた

黄瀬はモデルを止めて、きちんとした会社で働くことを決めた。理由はモデルという不安定な職種で続けていく自信がなかったからである。
親の知人の紹介でこの相田出版の面接を受けることが出来、無事ここで働けることとなった。
黄瀬は今、少なからず浮き足だっていた。黄瀬が今日から働くのは急成長を遂げている少女漫画部、キセキ部なのだ。元々女性を相手にする仕事だった黄瀬は少女漫画にも抵抗がなく、この会社ならと少女漫画部を希望した。会社側もまた、そこは社員が少ないからと喜んで受け入れてくれた。
そして今日を迎えた。同じ部署の者で案内をつけると言われたが、全くこない。と言うより、黄瀬はまだ、同じ部署になる人間に一度も会っていない。歓迎されるとは思っていないが、少なからず無下にはされないと思っていた黄瀬はまたため息をついた。まったく、初日早々先が思いやられる。
「……曲者だらけって聞いたけど、 どんな人たちがいるんすかね〜……」
「すみません」
「案内の人はどこに……え」愚痴を溢す途中、自分に声をかける声が聞こえた。少し高いが男性の声。しかし姿は見当たらない。
「ここです」
「え……っうわぁ!?」
声のした方を見れば自分よりかなり小さい、少年が目の前に立っていた。幾ら自分より身長が低いとはいえ気づかなかったのは申し訳ない。
「どうしたんすか?」
「どうしたじゃないです」
少年は少し不機嫌そうに頬を膨らませた。黄瀬よりもかなり小さな身長がその可愛らしさを引き立てた。
「えと……」
「……少女漫画編集部の黒子テツヤです。 今日からここで働く黄瀬君の案内を頼まれました」
言葉とともに黒子は名刺を取り出した。本人と名刺がいうにはどうやら少年ではなかったらしい。
「き、気付かなくてすみませ― 」
「良いですよ、 別に。 気づかれないのと子供に見られるのにはなれてます」
バレてる……。黄瀬は己の顔を触るが特に変わった様子はない。黒子はそんな黄瀬の様子を気にしないかのように会社へ向き直り、
「早く行きましょう」
一言発し、歩き出した。

会社の中はさすが新設会社、とても綺麗に保たれているし、大きめの窓が明るい印象を与える。
黄瀬の勤務する少女漫画部は5階だ。エレベーターに乗り込み向かう。静かなエレベーターは尚更緊張を煽った。
「黄瀬君、別に緊張しなくても大丈夫ですよ
ここの人たちは皆さん個性があって面白い職場ですから」
黄瀬の心を知ってか知らずか、黒子はそんなことを口にした。むしろそんな職場だからこそ不安なのだと黄瀬には言えなかった。

「うわー……すご」
5階に降りた途端、目に飛び込んで来たのは鮮やかな桃色だ。花柄の壁紙は可愛らしさを演出し、飾り付けられた少女漫画のマスコットたちは一層会社を楽しげにしてくれている。
「これ、 なんでこうなってるんすか?もしかして、この階全部……?」
「違いますよ、このラウンジ少女漫画編集部だけです。編集長の判断でこうなったんですがね」
黒子がいうには編集長はかなりのかわいいもの好きらしい。一年間で会社を立て直したと聞いていたから、少し意外だと黄瀬は思った。黄瀬のイメージの中では真面目で堅物のような人なのかと思っていた。もっとも、そのイメージでは逆に漫画編集と見えなくなってしまうのだが。
「黄瀬君、ここが編集部ですが何があっても驚かないでください」
編集部の扉の前で、俯きながら黒子はそんなことを言った。
変人だらけと言えども常識内のことだろう、黄瀬はそう思い大丈夫だと黒子に伝えた。
そうですか、黒子は一言呟くようにいい扉を開けた。黄瀬はそのとき、自分の中の考えが浅はかだったと気づいた。
扉を開けた先に広がっていたのは、桃色。ラウンジとも比べ物にならないほど乙女チックな空間だった。
机の上には綺麗に並べられた資料と可愛らしい置物。壁に掛けられた時計はかの有名な不思議な物語をモチーフにしたもの。そして何より、可愛らしいものに紛れてところどころに置かれた奇妙な物体……狸の置物、美少女のフィギュア、某有名なねずみの国のつけ耳など仕事場として似つかわしくないものが空間の異様さを引き立てていた。
「新入社員の黄瀬涼太君、ようこそキセキ部へ」
凛とした声はちょうど正面のほうから聞こえた。黄瀬はその方向に視線を向け、また驚かされた。
正面にあったのは編集長席だ。そこに座っているのはおそらく黄瀬より若いであろう青年。身長も黒子より少し高いくらいで決して大きいとは言えない。赤髪でオッドアイ、日本ではあまり見ないであろう容姿で腕にはグルーミーのぬいぐるみを抱えていた。幼い印象すら受けるその人はとても1年で会社を立て直すような人間には見えない。対して隣にたつ青年は大人の雰囲気を醸し出している。長身に緑がかった髪、眼鏡をさりげなくあげるしぐさは見た女性たちを虜にしてしまうだろう。しかし、それだけではない。彼の手には子供が風呂に浮かべて楽しむようなアヒルのおもちゃが乗せられている。
自分は何処に来たのだろうか、黄瀬は必死に考えた。しかし、結果は同じで自分は彼の有名な編集部に来たのだと認めざるをえないのだった。
「あれ、 何だかちょっと引かれてるの?真太郎、僕変なこと言ったっけ?」
「赤司、お前は自分のことを自覚したほうがいい……貴様は黙っていても充分変だろうが」
ふたりに対して言っているのだとはとても口に出せない。
「ふたりに引いているんですよ、少しは自重してください」
そんな黄瀬とは裏腹に、黒子はふたりに対してはっきりといった。静かに見えて意外と自分の考えをはっきりいうらしい。
「テツヤもそんなにいわなくたっていいじゃないか」
不機嫌そうな言葉はそうとは見えない微笑と落ち着いた声で紡がれる。なるほど掴みにくそうな人だと黄瀬は思った。
「自己紹介がまだだったね僕は赤司征十郎。ここ編集長だ。基本僕のいうことは絶対だからよろしくね」
先程の幼さとはうってかわってやけに大人びてみえた。金と赤の目は全てを見透かされるような印象を受けた。
「俺は緑間真太郎だ。副編集長を勤めているがここの勤務は一番長い。分からないことがあれば聞いてくれて構わない」
差し出された手は真面目な印象とは違い意外に大きかった。片手はアヒルを持ったままだ。
「テツヤ、会社案内はしたの?」
「いえ、まだです」
黒子の言葉を聞き、赤司はふむ、と口元に手を当てて考える素振りを見せた。
「テツヤに案内してもらおうと思ったけど、そう言えば〆切明けだったね。
君は疲れやすいからもうあがっても構わない。鑑先生とゆっくりしてくれ」
「……ありがとうございます」
黒子はぺこりと頭を下げると荷物をまとめ小走りで会社を出ていった。そんなにも楽しみなことがあるのだろう。
赤司の言った“鑑先生”とは今月刊KISEKIの売れっ子漫画家、鑑あかねのことだ。前作はあまり売れなかったが、一昨年から始まった新作が大ヒットしている。女性の心理描写が綺麗に描かれており、共感できると感じる女性が多いようだ。しかし、サイン会や握手会など、顔を出すイベントは行わず、仮面漫画家となっている。女性たちの間では天使か妖精のような絶世の美女だろうと噂されているらしい。もっとも、これも黄瀬が女性たちから聞いた話だが。
「それじゃ、涼太。君は少し社内を見学してくればいい。生憎、僕はこのあと会議、真太郎は出張でね。立ち入り禁止の区域はないだろうし、もしあったりしても僕の名前を出せばきっと見せてくれるよ。鍵は後で僕が閉めるから気にしなくていいからね」
赤司はそう言うと軽く手を振って部屋を後にした。椅子の上には先程まで抱えていたぬいぐるみが置いてある。緑間もまた一礼すると荷物を持って出ていってしまった。アヒルも持っていたようだ。
急に誰もいなくなった部屋は妙に静かで広く感じた。黄瀬はこの感覚が嫌いだ。寂しがり屋なのだ。

この会社で上手くやっていけるだろうか……。
編集部の人間は確かに少し、かなりおかしかったがそれでも悪い人間ではない(と思う)。
黄瀬のことをどうこうすることはないように思えた。

廊下にでると社内が少し慌ただしかった。赤司がいっていた会議のせいかもしれない。
「くっそ、会議とか面倒いっての……」
人の慌てる音や声、そのなかで黄瀬は唐突に懐かしい声を聞いた気がした。気だるげに歩きながら伸びをする人間のその声は、黄瀬の知っているものだった。
「あお…峰っち…?」
「え…、黄瀬…?」
口から漏れた言葉は相手に届いたらしい。目の前の青髪も黄瀬の顔を見た。

黄瀬は小学校2年生のころ、いじめられていた。女子に人気のあった黄瀬は上級生や男子たちに疎まれていたのだ。
その当時泣き虫で意気地無しだった黄瀬はどうすることも出来なかった。先生や両親に相談することも出来ず、ひとりぼっちで泣いていた。それが日常となっていたのだ。
しかし、そこに手を伸ばしてくれた少年がいた。青峰大輝、黄瀬と同じクラスの人気者だった。わんぱくを絵にかいた様な青峰はいつもクラスの中心にいた。

その日もいつものように、黄瀬はいじめを受けていた。トイレの個室に入ったとき、上から水が降ってきた。雨漏りなどではない、人為的なもの。黄瀬はやはりどうすることも出来ずに、トイレのなかで泣いていた。
「おい!!」
どんどん、どんどん、ノックの音が響いた。少し大きめの青峰の声が聞こえた。黄瀬はその音と声に身体を震わせた。
「あけてくんない?」
今度は先程よりも静かに、青峰は言った。黄瀬は断る理由もなく、扉を開けた。本当は嫌だった。何をされるか分からない。顔は涙で腫れていた。身体もすでにびしょ濡れだった。
「な、に……?」
出来るだけ普通に、そう思った黄瀬とは裏腹に声は、涙声だった。
「なあ、」
青峰は黄瀬の目を見た。真っ直ぐに、迷いなく。
「俺と友だちになってくれ」「……ふぇ…?」
手をさしのべながら青峰が言った言葉は黄瀬にとってあまりにも予想外だった。いつもは、出たあとにまた何かされるのだ。叩かれたり、何かを盗られたり。しかし、青峰はちがかったのだ。
「いや、なんかさお前っていつもやさしいじゃん。女の子もさ、黄瀬くんはやさしいっていつもいってっから…なんか憧れてたんだよ」
黄瀬の気持ちを知ってか知らずか、青峰は少し恥ずかしそうに言った。黄瀬はさらに動揺した。黄瀬はいじめられるものだと思っていたのに、青峰はまったく別のことをした。なんでなんでなんで……。動揺して、同時にとてつもなく嬉しくなった。まだ僕に気付いてくれる人がいたんだ、それが嬉しかった。
「……あ」
「おい、どうしたんだよ!?」気づけば、涙が溢れていた。それは何度拭っても、止まらない。
「どっか痛いのか?平気か!?」
「…っひぐ、わか、んな…っ」
結局その時間、黄瀬の涙が止まることはなかった。そんな黄瀬を心配してくれた青峰が、黄瀬は可笑しくて嬉しくて、そしてまた泣いた。ふたりはその後仲良くなっていった。
黄瀬は青峰に憧れていた。少しでも近付きたくて、一人称を俺にした。泣かないようにも努力したけど、泣き虫はなかなか直らなかった。
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