短編集

□遠くて、近い。
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一ノ瀬くんは、学校一のモテ男だ。

彼が動けばキャー。彼が喋ればキャー。四方八方からの黄色い声がなかなか鳴り止まない毎日。眉目秀麗、頭脳明晰──そんな言葉がお似合いな彼が女子の注目の的なのは火を見るより明らかというやつだ。


しかし一ノ瀬くんは他の男子とは違う。

なぜならついこの前、彼は学校一のマドンナを振ったからだ。すれ違えば女子である私でさえ振り向いてしまうほどの美少女ちゃんを、だ。しかも振り方が結構酷かったらしく、可愛いお顔を涙でぐちゃぐちゃにしていたのを目撃したのは記憶に新しい。

恐るべし一ノ瀬くん。あのマドンナちゃんをあんな顔にするなんて。私みたいな一般人が告白したら一体どんな反応をするのだろうか。

……考えただけでも恐ろしい。



だから怖じ気づいてしまったのだ、私は。



私もまた……一ノ瀬くんが好きだから。







* * *





『ごめんね、遅くなった!』


「……いえ、私も今来たところですから」


『よかった!……それじゃあ始めよっか』


「ええ」





さて、今誰とこのような会話をしているのかといいますと、それは紛れもなく一ノ瀬トキヤくんである。 しかし別にデートの待ち合わせをしていたわけではない。はい、決して違います。

だって彼と会話をしているこの場所は、何を隠そう図書室なのだから。


そう、私たちは図書委員なのだ。放課後、担当の委員はこのように集まって仕事をする。まぁ仕事と言っても本の整理とか、貸出状況の確認とかその程度だ。それらを二人組で行うのだが、偶然にも私のペアが一ノ瀬くんで。地味だからという理由で押しつけられたこの係が役に立つ日がくるとは誰が想像しただろうか。


すごく神様に感謝したい気持ちでいっぱいなんですが。



(し、死にそう……)

幸い今図書室には誰もいないのだが、好きな人がそこにいると思うと心臓がどうにかなりそうで。会話ができるとかもはや奇跡としか言いようがない。

思わず落としてしまいそうになる本を抱え直し、私は震える手で一つ一つ本を棚に戻していく。





『っ、』





一ノ瀬くんがこちらに近づいていることは、足音でわかる。その音が大きくなるほど私の緊張も増していくわけで。あああ気にしちゃ駄目だ、落ち着け私。今は本を片付けなければ……ってこの本、上の段のやつだし。くそ、届かないな。あ、そういえばここら辺に台があったはず。確か奥の方に





「届かないんですか?」


『!!!!』





びっくりしすぎて、声も出なかった。

突然背後から低い声が聞こえて、振り返れば間近に一ノ瀬くんがいて。顔を上げたら、一ノ瀬くんの瞳が、こちらを向いていて。

目が、合っていた。






「……ほら、貸してください」


『あっ、ありがとう……』


「いえ」





私が控えめに本を差し出すと、それを受け取って軽々と一番上の棚にしまう一ノ瀬くん。お礼を言えば今度は小さく微笑んでくれた。危うく死にそうになった。


こ、これはアレだよね、少女漫画でよくあるシーンだよね。ここで女の子はドキッとしてしまうんだよね。私もしちゃったけど。
でも相手は一ノ瀬くんだからドキドキするのは当然のことだし、それ以前に手の届かない人だからいくらドキドキしても仕方ない。あとで後悔するだけだ。


なんか、一ノ瀬くんってあの本みたいだな。

高くて遠い……そんな存在。


はあ、とため息をつく。もう考えるのはやめよう。虚しくなる一方だし、それより仕事しないと。ええっと、次の本は……

そう考えたのと同時に、抱えていた本の山を一ノ瀬くんに取り上げられた。反射的に手を伸ばしたけど、伸ばした私の両手に再び積み上げられたのは、また違う本の山で。





『これ……?』


「下の段に仕舞うべき本です。上段の本だと片付けづらいでしょうから」


『え、』





手元の本をまじまじと見つめる。リストで確認すれば、確かに私の届く範囲に置いてある本ばかりで。





『す、すごいね。一目でその本がどこに置いてあるのかがわかるなんて……』


「そうですか?……まぁ、誰かさんに間違って片付けられても困りますし」


『う……すみません、』




返す言葉がありませんでした。
あろうことか一ノ瀬くんに迷惑をかけてしまうなんて……絶対ファンに殺されるよ私。私もファンだけれども。

しかしいろいろと想像して顔が青くなる私を見て、一ノ瀬くんは吹き出したように小さく笑った。





「ふ、冗談です。むしろ、君は誰よりも丁寧に仕事をしていると思いますよ』


『……へ、』


「熱心に図書室を動きまわっている君を、いつも見てきましたから」


『っ!!』


「だから、何もかも一人でしようとせず少しは私も頼ってください。その方が効率も良いでしょう?」





そしてまた柔らかく微笑む一ノ瀬くん。
な、なんでいちいちそんな顔するんだろう。息が、苦しくなるのに。ほんと、反則すぎる。


しかも、いつも見てるって………私を?
彼は私を、見ていてくれたのか。こんな、何の取り柄もない、地味な私を。

優しい人だなぁ。こんな私のために彼は、わざわざ気を遣ってくれて。彼にとってはそれが普通のことなのかもしれないけど、でもやっぱり、嬉しくないはずないわけで。


彼の優しさに、ドキドキしないはずないわけで。

私は熱の集まる顔を本で隠しながら、小さくありがとうと呟いた。




(……なんか、あのマドンナちゃんが惚れてしまうのもわかる気がするなぁ)

だってこんなにかっこよくて、優しくて。
ただ同じ委員というだけのこの私にでさえ、気を遣ってくれるんだもの。きっと彼に優しくされたら、マドンナちゃんでなくても惚れてしまうだろう。現に私だってその一人だ。

だけど、マドンナちゃんが振られたと聞いて、あんなに泣いている姿を見て、少しホッとした反面どうしようもない絶望感に襲われた。

私は特別何かに長けているわけでもなく、可愛いわけでもない。言うならば、人より少し地味な図書委員。そんな私が一ノ瀬くんのことを好きとか、すごく恐れ多くて。レベルが、違いすぎるから。まさに月とすっぽんの関係だと思う。私は彼を、見上げることしかできない。月のような、あの本のような彼を。



だから、この恋は諦めないといけないのに。


彼の優しさに触れて、浮かれている自分がいる。期待している自分がいる。



そんなの、自惚れだってわかってるのに。

あとで傷つくことも、わかってるのに。






「名無しのさん?どうしたんですか、急に黙り込んで、」


『え、いや、別になんでもないよ?』


「……本当ですか?どこか具合が悪いとか、」


『──ッ、さ、触らないでっ、!!』





一ノ瀬くんの大きな手が私に伸びてきて、私は思わず叫んでいた。しまったと思い見上げれば、驚いたような、少し傷ついたような顔の一ノ瀬くんと対面してしまう。

──違う、そうじゃないの。
これ以上近くにいたら、私は……





『駄目…だよ、一ノ瀬くん。そんな簡単に女の子に触れたら……勘違い、しちゃうよ……っ』





そんな愚かな私を、どうか許してください。
私も一ノ瀬くんが好きだから。どうしようもないくらい、大好きだから。


いつの間にか目頭がじんわり熱くなって、徐々に視界もぼやけてきた。

やだ、泣きたくないよ。
そう思っても雫は溜まっていくばかりで、私はそれを隠すように腕の中の本へ顔をうずめた。





「…………それなら、」





そしてしばらくして、一ノ瀬くんの凛とした声が聞こえて。

足音が徐々に近づいてくるのがわかって私も一歩ずつ後ろへ下がった。しかし、数歩下がったところで背中が本棚に当たってしまう。逃げられない。だからと言って顔も上げられなくて。

結局何もできず、足音も止まる。きっと彼は、私の目の前に立っているだろう。どうしよう。私は、一体どうすれば……





『っ、あ、』





と考えるのも束の間、私の顔を隠していた本をいきなり取り上げられて。

つまりは、一ノ瀬くんにこの酷い顔を見せてしまうということで。

私は慌てて手を伸ばすが、既に届かなくて。

逆にその手首を掴まれ、そのまま彼の方へと引っ張られてしまう。


気づけば、一ノ瀬くんの綺麗な顔がすぐ近くにあって、息の仕方もわからなくなる私に一ノ瀬くんはまた小さく微笑んだ。


目が、離せなかった。






「勘違い、すればいいじゃないですか」






一ノ瀬くんのその言葉が、すぐに理解できなくて。

でも彼の瞳がまっすぐこちらに向いていて、心臓が、馬鹿みたいに騒ぎ出した。そしてとうとう、今まで溜まっていた涙が一筋、頬を伝った。


どうして……?
こんなの、私が想像していた答えじゃない。

だって彼は、





「そもそも、他の人にそんなことしませんよ」


『う、嘘だ』


「……というか、むしろ勘違いしてもらった方が好都合です。君は鈍感ですからね」


『っ、ち、違うよ。だって一ノ瀬くんは私にとって、遠い存在で……どうやっても届かなくて、だから』





そんなの、ありえないよ。と。

そう言おうとしたのと同時に、掴まれていたままの私の手首を一ノ瀬くんが持ち上げて、そのままそれを自分の頬へ添えた。

すると手のひらに感じる、彼の体温。
途端に顔が熱くなるのがわかった。顔だけではない。彼に触れられているところも、彼に触れているところも全部熱くて、溶けていまいそうだった。





「ほら、近い」


『!!!』


「これが遠いと、言えますか?」





そう言って不敵に笑う一ノ瀬くん。

ずるい。ほんと、ずるいよ。






『……ッ、好き…です。一ノ瀬くんが、好き……っ』






言葉が溢れ出した。



ずっと、好きだったんだ。

一年前、読みたい本が届かなくて困っていた私を助けてくれた──あの時からずっと。

目が合う度にドキドキして。

話をする度に苦しくなって。

彼が笑う度に死にそうだった。



でもやっと言えた。私の気持ちを、やっと伝えることができた。

そう思うと安心したのか、次々と涙がこぼれ落ちる。拭おうとしたけれど、それより先に一ノ瀬くんの唇が降りてきて、目元に口づけられた。






「……私も、ずっと好きでした」






ほんのりと頬を赤く染めながら笑う一ノ瀬くん。


そんな彼が、とても近くに感じた。










遠くて、近い。


(じ、じゃあ、マドンナちゃんを振った件は?)

(マドンナ?……あぁ、あの方には普通に断っただけですけど、どうかしたんですか?)

(だって振り方が酷かったって聞いて……しかもあのマドンナちゃん相手に)

(……相手が誰だろうと関係ないですよ。私は、君が好きなんですから、名無し)

(!!、な、名前っ……!?)







─ ─ ─ ─ ─



ちょっと書きたくなってトキヤ夢。
またもやアイドル設定そっちのけorz










2013.01.14.

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