ゆめめめーん

□距離。
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ピンポーン。


朝の10:00。そろそろ買い物に出ようかとした時に、部屋のチャイムが鳴った。

…本当に来たのかな。

そう思いつつ玄関を開けると、案の定の人物がニコニコと立っていた。


「やぁ名無しさん。おはよう」
「、おはようございます」


普段見慣れない私服姿に、少しだけ見とれてしまった。思わず顔を伏せると「どうしたの?」と顔をのぞき込まれる。


「格好良すぎて照れた?」


一般の人なら殴られても文句は言えないような台詞をサラリと吐いても、殴れないのがこの人だ。私は苦し紛れに「…そうですね」と返して慌てて話題を変えた。


「それにしても、本当にいいんですか?大事な連休の初日に私なんかと一緒に過ごして」
「僕は連休の初日から女の子と過ごせるのすごい嬉しいよ」


そうだった。この人は無類の女好きだった。そんな人にとって、誰と連休を過ごすより女性と連休を過ごすという事実の方が大事なのかもしれない。
そう思った私はまた簡単に「そうですか」と返すと、玄関にかけてあったバッグを肩に掛ける。


「お待たせしました。では行きましょうか?」


車のキーを取ろうとバッグを漁ると、白澤さんが私の手首を優しく握る。


「デートは男が運転するのが当たり前でしょ?僕の車で行こう?」
「デート…?」




『デートってことでさ、名無しさんちゃんと買い物行きたいな』




…確かにそんなこと言ってた気がするな。
まあこの人にとっては男女の買い物は全てデートなんだろう。


「わざわざありがとうございます」
「いいよ。僕も名無しさんを助手席に乗せたかったんだ」
「…はぁ…」


ニコニコとあの顔で言われてしまうと、流石に照れてしまう。赤くなってしまった顔を隠すように下を向いてパンプスを履けば、もう一度「行きましょうか」と声を掛けた。


出やすいように先に出てドアを抑えていてくれた白澤さんにお礼を言いながら踊場に出る。
初夏らしい日差しが照っているのがここからでも見えた。


「…暑そうですね」
「エンジン付けてあるから車内は快適だよ。あ、助手席に座ってね」








彼の言うとおり、車内はとても涼しかった。
白澤さんのイメージカラーに合った白い普通車。
指示通りに助手席に座ってシートベルトを締める。
買ってからあまり日にちが経っていないのか、真新しい匂いが残っていた。


「名無しさん、どうかした?」


ぼんやりとそんなことを考えていたため、名前を呼ばれてはっとする。


「い、いえ…昨日鬼灯さんの車に乗ったんですけど、それとは色々対称的だなあと思って…あの、色とか、年数とか…」


苦しい言い訳だった。

でも白澤さんは、内容よりも気になったことが合ったらしい。げっという顔をしてグイッと身体を此方に近づけた。


「アイツの車に乗ったの!?」
「え?あ、はい…昨日会社から帰るときに遅くなったので送っていただきました…一応断ったんですけど…」


そういえば鬼灯さんとはあまり仲が良くなかったな。NGワードだったのか、難しい顔をして「…アイツ…」と呟いた。


「あんまりアイツと2人きりにならない方がいいよ」
「…そう言われても同じ部署で2人しかいないので」
「うーん…そうなんだけどさぁー…」


白澤さんは困ったような複雑そうな表情を見せ、「じゃあ、」と一旦言葉を区切る。


「遅くなるときは僕が送っていく。同じ家だし。ね?」
「そんな、わざわざいいで…」
「ね?」


珍しく白澤さんにごり押しされて、戸惑いながらも大人しく首を縦に振った。
そんな私を満足そうに見て、彼は車を発進させた。


「そういえば買い物って何買うの?洋服とか?」
「ごっそりと生活必需品無くなっちゃったんで、それを買いに行こうかと…」
「あー名無しさんまとめ買いするタイプなんだ?」
「はい…。一気に無くなるんで困るんですけど癖が治らなくて…」
「名無しさんってマメそうで案外粗雑だよね。まあそこが可愛くて守ってあげたくなっちゃうんだけど」


そ、粗雑って…。


昨日やっと親しく慣れた相手に粗雑呼ばわりは案外傷ついたが、この際気にしないことにした。
…これが原因なんだろうな……。


一方白澤さんはニコニコと楽しそうに会話を続けていた。


「駅前だったら色々揃ってるよね。そこでいい?」
「あっ…はい」


連休初日ともあってよく賑わう駅前の駐車場に運良く停めることができた。車から下りると先ほどより少しだけ高くなった太陽の日差しが照りつける。


「あっついなー。名無しさん、早く中に入ろう」


眩しそうに手を翳しつつ、私の手を優しく握って構内へと引っ張られた。無理やりではなく、誘導的に。
振り払う勇気を持ち合わせているはずもなく、私は大人しく手を引かれて構内を歩く。


「何から買おっか?」
「あ、えっと…シャンプーとか…」




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結局手を繋いだまま私の買い物が終わってしまった。白澤さんの反対の手にはさり気なく私の今日買った荷物が握られている。重いものを結構買ったはずなのに、持ち替える素振りすらしない彼に、やはり男性なんだなと改めて考えてしまった。…なんだか恥ずかしくなってきた。


「? 名無しさん、顔赤いよ。疲れた?」


定番のように顔をのぞき込まれて、慌てて首を横に振った。


「だ、大丈夫ですっ!」
「そう?まあそろそろ歩き疲れたよね。ココで待ってて、車持ってくるから」


言うが早いか白澤さんはタタタッと駆け足で駐車場に走っていった。そんなに疲れていた訳でもなかったし、なんなら荷物を持っていた白澤さんの方が疲れたんじゃ…。


…なんだか気を使わせてばかりだな。


見えなくなった彼の背中を思いつつ、無意識に私はため息をついた。




「おや。名無しさんさんじゃありませんか」


吃驚するほど抑揚のない低いバリトンボイス。聞いたことある声だななんて考えながら振り向くと、見慣れた上司がそこに立っていた。


「あれ…鬼灯さん、お疲れ様です」


休日というのに普段とあまり変わらない格好(白いシャツに黒のパンツ)は、更に白澤さんとの対称さが浮き彫りになる。


「お疲れ様です。お一人で買い物ですか」
「いえ、あの…」


無意識にまた彼らを重ねてしまってはっと我に返る。前からの癖は治らないらしい。

彼の質問にもどう答えようか迷っていたところに、タイミングが良いのか悪いのか白澤さんの車が目の前に停まった。


「ごめんね。その子僕の彼女なの。だからナンパはー……ってお前かよ!」


ビシィッ!とお手本のようなノリツッコミを白澤さんからいただいたところで、鬼灯さんが「ほう、」と意外そうな声色で口を開く。


「いつから名無しさんさんはアイツの彼女に?」
「な、なななってませんなってません!」


ブンブンと勢いよく手を振って否定する。
運転席から窓辺に肘を置いて顔を出している白澤さんにも顔を向ける。


「白澤さんもっ、へ、変なこと言うの止めてください!」
「変なことじゃないよ。名無しさんに変な虫が付かないようにするのは当たり前だからね。特にあの黒い虫には注意しないと…」


シッシッと手を払う動作を鬼灯さんに向けてすれば、「名無しさん、はやく車に乗りなよ」と声を掛ける。


「あ、あの、では、失礼します…」
「えぇ。有意義な連休をお過ごしください。お前は地獄に落ちろ」
「お前が落ちろォオ!」
「……」


ビシッと白澤さんに指を指して捨て台詞を吐き、クルリと向きを変え人混みに消えてしまった鬼灯さんに呆然としつつも、白澤さんに「名無しさん?」と名前を呼ばれ、慌てて車に乗り込んだ。


「ぼうっとしてたけど大丈夫?暑さにやられた?」


心配そうに顔を覗き込んでくる白澤さんに、思わず顔を逸らす。まともに見たら、また顔が赤くなる…。


「な、なんでもないですから…」


そう言って逃げるように窓の外を眺める。正面を向いてもまた顔のぞき込まれるし、かといって今の状態で白澤さんと向き合って平然としてられる精神は持ち合わせていない。







「名無しさん」









ふと、不機嫌そうな声で名前を呼ばれた。

それでも振り向く勇気はなくて、下を向いて「はい?」と返事を返す。




「そんなにあいつがいいの?」
「え?」




唐突に言われた言葉を理解できず、思わず顔を上げて白澤さんと向き合った。








瞬間。







チュッ。と。









「アイツには渡したくないよ。好きなんだ、名無しさんが」








唇が、柔らかく、触れた。






















距離。


(『名無しさんちゃん』から、『名無しさん』への変化とか、)
(物理的距離感、とか、)


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