ゆめめめーん
□歯車。
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ジリリリリリリ。終業ベルの音が響いた。
「では今日もお疲れ様でした」
「みんなお疲れ様〜。ちょっと連休に入るから、僕に会いたい子は連絡していいからね」
「組合に連絡するなら今ですよ皆さん」
「なんでだよ!」
漫才のような掛け合いを聞き流し、私は小さくため息をついた。
今日伺った意見は、データとしてファイリングしてあの鬼のような上司に提出しなければならない。今後の業務の効率化や新製品の開発の為の資料になるからである。そのデータの提出が遅れれば、何を言われるかわからない。しかも私は、そんなに仕事が早い方ではない。
不幸なのか幸いなのか、家から会社はそんなに距離がない。
今から残業かー…。
そんなことを思いながら、未だにお互いを罵り合う2人に小さく「お疲れさまでした」と口を開いた。聞こえていないみたいだったが、気にせずにそのまま背を向けて歩き出す。
「名無しさんちゃん、」
またあの声に呼び止められた。
顔を見るのが怖くて、視線を向けないように首だけ振り返る。
「お疲れさま」
ニコニコと愛想良く手を振る彼に、軽く会釈をして足早に棟から出た。
胸が苦しくなるような思いと何故か酷く懐かしい思いは、心の底に押し殺して。
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彼女が棟を出る姿を視線で追いながら、僕は隣にいる不機嫌そうな彼に小声で話しかけた。
「…なあ」
「何ですか」
僕らの掛け合いを喜んでいた女の子達も徐々に帰り支度を始めだして、幸い近くには誰もいない。
「名無しさん、思い出したかなあ」
「やっぱりお前何かしたのか」
「そんなズルできるわけないだろ」
「…でしょうね。神という立場1人の人間に固執し過ぎるというのも問題です」
ふぅ。と、呆れたようにため息をつかれた。むかつく。彼は今日のデータをまとめたファイルを小脇に抱えて、再び僕を見て口を開く。
「私まで巻き込んだ罪は重いですよ」
「うっ…」
痛いところをつかれた。
言葉に詰まる僕を至極楽しそうに見て、彼は彼女を追って棟から出て行った。
くそ鬼野郎。
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自分の部署に戻った私は、早速データの打ち込みを始めた。
カタカタカタカタ…と、テンポよく指を進めていく。
この調子だと、20時前には帰れるかな。
明日から4連休に入る。その前に終わらせて、連休中くらい仕事のことなど忘れてしまおう。
大分時間が経った頃。ようやく終わりが見えてきた時に、ガチャリとドアが開く音が聞こえた。思わず振り返れば、それはうちの上司だった。
「あ、お疲れさまです」
「まだいたんですか」
「もう帰りますよ。鬼灯さんに出すもの出すんでちょっと待っててください」
そう言って、再びパソコンに向き直って作業を進める。
カタカタカタカタとキーボードを叩く音が響く中、鬼灯さんが「名無しさんさん」と名前を呼んだ。
「はい?」
私は振り返らずに返事だけを返す。
「貴方はクソ豚…いえ、白澤さんのことをどう思ってますか?」
「どうって言われても…」
カタカタカタカタ。
もうすぐで空白が埋まる。
「同じ会社の人、としか言えません。あ、あとモテますね、すごく」
「ふむ…他には?」
カチャン。エンターキーを小指で押す。
更に聞かれれば、『デバイスを外す』をクリックしながらキャスター付きの椅子をぐるりと回して鬼灯さんと向かいあった。
「女癖が悪そう。お付き合いはしたくないですね。あ、このデータ打ち込んだので週明けにでも確認お願いします」
引き抜いたUSBを渡しながらそう言うと、何故か肩を震わせる彼が目に入った。
正直な気持ちを伝えたはずなんだけどなぁ…。
首を傾げる私に気づき、「…失礼」と未だに珍しくニヤニヤしながら差し出したそれを受け取った。
「白澤さまの印象が何か?」
「…いえ、気になっただけですよ。お仕事ご苦労様です。遅いですし、送っていきます」
「え?いや、いいですよ。私家近いので大丈夫です」
「こういう時、女性は大人しく男性に従うものですよ」
「はぁ…」
珍しいこともあるものだと思った。
それでも一応好意としてうけとった私は早々と自分の荷物をまとめた。当の本人は既にまとめ終わった荷物をかかえ、車のキーをクルクルと回していた。
「できました」
「では行きましょうか」
会社を出て駐車場まで歩く。(当たり前だけど)前を歩く鬼灯さんに、ふと疑問に思ったことをぶつけてみた。
「この時間までお仕事してたんですか?」
「それ以外に何か」
「いえ…」
貴方を待ってました。
とかだったらドキッとするじゃないか。1000%有り得ないけど。
「貴方を待ってました」
え?
「色々とお尋ねしたいことがありまして」
「はぁ…」
び、びっくりした…。
彼の車に乗り込みながら、私は破裂しそうな心臓を抑える。青春的なドキッ…ではなく、今からきっと彼から仕事についての説教が始まるからだ。
すごく嫌だ。車なんか逃げ場がない。普段も逃げるわけではないけれど、密室というのはどうも、怖い。彼が。
「…何をそんなに怯えているんですか」
「へ?え、あ、や、だって、今から説教タイムですよね…?」
思いの外優しい声色にびっくりして顔を上げると、彼ははぁ?という表情で首を傾げる。
「そんなに説教してほしいなら身も心もズタズタになるまで責め立ててあげますけど」
「結構です!」
ぶんぶんと首を横に振ると何故か残念そうな表情になる。おい、何でだ。
「じゃああの、聞きたいことって…」
「ああ。それは車を出しながら伺います。少し聞きづらいので」
ガチャンとキーを回してエンジンをかける。今時珍しいマニュアル車。彼はスムーズに発進させて会社を出た。
「率直にお尋ねします」
「はい」
ギアが変わる。車は、静かな国道でスピードに乗った。
「名無しさん、何か思い出しました?」
「な、にをです、」
ズキン。と、頭が鳴った。
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『名無しさん、さよならの時間だよ』
『…では、いずれまた会いましょう』
『いやっ、白澤さま、鬼灯さまっ行きたくない!』
『またね、名無しさんちゃん』
『や、まって、まって!行かないで!』
『 』
『はくたくさまっ…!』
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一瞬の頭痛と共に、走馬灯のように知らない映像が頭の中に流れた。
あれは私なのか、白澤さんなのか、鬼灯さんなのか。わからない。知らない。
本当に一瞬のことだったのに、息が上がってしまい思わず言葉をどもらせた。
「何の、ことやら…」
「…そうですか」
けれど、彼は何も触れずに会話を終了させた。
彼は何か知っているんだ。ただ、私が、わからない。
「家どこでしたっけ」
ふと、今までの空気を断ち切るような声色で尋ねられた。私もなるべく普段通りの声で道順を答える。右折して、次の信号を左折して。特に難しくないような道。しばらく走ると、見慣れたアパートが視界に入った。
「あ、あれです」
「わかりました」
スイスイと車を走らせ、家のすぐ前に停めてくれた。
降りながら、鬼灯さんに頭を下げた。
「わざわざありがとうございました」
「此方こそ、変な事を聞いてしまってすいません」
「あ、いえ…」
「しっかり休んでください。お疲れ様です」
「は、い。お疲れ様です」
もう一度頭を下げると、鬼灯さんはまたスムーズに車を発進させた。
私はしばらく彼の車のランプを見つめてから、家に入ろうと踵を返した。
巡る。
(歯車がかみあう。カチャリとかみあう。)
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