ゆめめめーん
□不幸せ
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※カトレット家はお金持ちです。
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「もうリオンとは付き合えないから」
突然呼び出されたと思ったら、唐突にそんなことを言われた。わざわざ我が家の前でそんなこと言うか、この女。話があると朝っぱらから人の家にきておいて、それだけだからときびつを返す。そしてつかつかと歩き、停めてあった黒いリムジンに乗り込んだ。僕が何も言わずにその光景を見ていると、女が乗っているだろう後部座席の窓が開いた。
「は?追いかけないのっ?理由も聞かないの!?もういい!私のこと嫌いだったのね!本当に別れるから!出して!」
女の言葉と同時に車は発進した。ヒステリックさと話の自分勝手な進め方はまるで姉のようだとため息をつく。もともと家柄だけで付き合っていた女だ。僕の好みじゃないし悲しくもないが、なぜか怒りがおさまらない。それはあいつの今までの身勝手を思い出してのことか、僕のプライドが傷つけられたかは分からない。いずれにせよ、機嫌がよろしくないことは間違いなかった。
「あれ、リオン君」
心がモヤモヤしているせいか、いつもより鈍感になっていた。普段なら気配で気づく人の存在を、声をかけられて初めて気づく。
「何してるの、こんなところで」
「僕が我が家の前にいて不思議なことなんて一つもないはずだが」
「そういやそうか」
たいして興味なさそうに返事をして、時計を見る。確か時間は正午前。空腹感もあってか、怒りはなかなか収まらなかった。
そんな僕の様子に気づいたんだろう、名無しさんは僕の顔を覗き込んで、わぉ。と一言呟いた。
「…なんだ」
「眉間のシワがすごいですよオニーサン」
「いつものことだ」
「そうだっけ?まあどうでもいいけどさ。やなことあったらためないで吐き出した方がいいよ。楽になる」
「…どうしてそう思う?」
「やなことあったかってこと?適当にきまってるじゃん」
当たり前でしょ、と淡々と返される。こいつは僕に寄ってくる女共と違って、媚びを売ってきたりはしない。常に自分の意志を持って行動し、他人に流されるような人間ではないのだ。
しかしそれは正義感が強いだとか、そういうことではない。興味がないのだ、他人に。
「…聞かないのか、理由」
「聞かないよ、興味ないもの」
そこまで会話をして、先ほど同じやりとりがあったのを思い出した。
『理由も聞かないの!?』
…興味がない、か。確かになんだかばかばかしいな。興味が無い人間に怒りを覚えるなど。
「…ありがとう名無しさん。少し楽になった」
「?まあ良かったね」
ふふっとはにかむ彼女はすごく魅力だった。古臭い言い回しになるが、僕はきっと癒されたのだと思う。少なかれ悪かった機嫌がなおり、心に余裕までできた。同情するわけでもなく話を聞くわけでもなく、それでも必要な言葉をかけてくれる名無しさんに僕はきっと、惹かれている。
「そういえばお前は何をしていたんだ。家は逆だろう」
「ん?ああ。買い物行こうと思ったら、彼氏と女の子が歩いてて。気づかれて面倒なことになりたくないからもういっこのスーパーに行く途中だったの」
「…怒らないのか?」
「彼氏を?やだよ面倒くさい。あいつの為に怒る気力も体力も酸素もストレスももったいないし」
何が面白いのかクスクスと笑い続ける彼女の手をぎゅっと握る。突然の僕の行動に驚いたのか、双眸は見開き頬に少しだけ朱色が差していた。
「なぜそんな男と付き合ってるんだ!僕だったら、お前にそんな思いはさせない!僕はお前が…っ」
「ばかだなあリオン君」
遮るように言葉をきる。顔をあげると、彼女の表情はあまりに穏やかだった。
「気のせいだよそれは。一時の気の迷いってやつ。だから言っちゃだめ。後悔するよ?」
じゃあね。と僕の手を離し、名無しさんは本来の目的の場所へと歩きだす。
僕はそんな小さくなる彼女の背中を見つめながら、音にならない言葉を呟いた。
『好きだ』
そしてこれが名無しさんの最後の姿となった。
『ニュースです。本日正午頃、××スーパー前の歩道で一人の女子高生が自動車に跳ねられ、即死しました。容疑者は「お腹が空いていてイライラしていた。スーパーが見えたのでアクセルを踏み込んでしまった」と話しているということです…』
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それからどうやって過ごしたかは覚えていない。
気づけば18年の月日がたち、僕もいい年になった。
結局名無しさんのことは何一つ知らないまま彼女は死んでしまった。名字も、彼氏のことも。きっと名無しさんも僕のことは何も知らない。
…いや、僕は一つだけ知っている。
あのときの気持ちは、気のせいではなかった。
そうして今も、後悔していないことを。
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