本sdr2
□ハッピー・ミュージック・アワー
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私は息を呑んだ。背後の足音の正体は、なんだろうか。
確認したいけれど、こわくて振り返れない。もし、なにか大きな動物で、振り返ったことが刺激になったら。でもこのままでいるわけにもいなかい。
ゆっくり、ゆっくりだ。おそるおそる首を動かす。
すると、足音を発したものを視界に捉える前に、私を呼ぶ声がした。
「…雲月?」
「!田中、くん?」
ゆっくりと思っていたのに、待ち焦がれていたクラスメイトの声に、勢いよく振り返る。聞こえてきた通り、背後にいたのは田中くんだった。
「田中くん…!!」
やっと見つけてもらえた…!うれしくてもう一度名前を呼ぶと、田中くんは私の横に来てしゃがんだ。
「雲月。貴様どこへ行っていた?いま全員で探していたところだぞ」
少しだけ険しい顔で言われて、ごめんなさい、と返す。怒っているのかもしれないけど、私は何より、安心の方が大きかった。
「…いや、謝ることはない。俺様は、貴様がいなければ封じられた時への扉の開け方を失うことになる。それを恐れたまでのことだ。よって決して!貴様のためではない!」
こんなときでもポーズを決めて言う田中くんだったけど、きっと私を気遣って言ってくれてるんだろう。見つけてくれたうれしさと、田中くんの優しさで、泣きそうになった。
でも今泣いたら、田中くんが驚いてしまう。私は涙が出ないように、わざと明るい声をだした。
「えっと、ごめんね。ありがとう」
無理に笑顔をつくってそう言うと、田中くんはフッと笑った。
「意地を張る必要がどこにある。貴様は見事、この瘴気渦巻く山中での孤独な闘いの果てに、こうして覇王である俺様に迎えられたのだ。今こそ喜びの涙を流さなくては、これ以上の幸せが訪れることなどないのだぞ」
「う…ありがとう…」
低い声でゆっくりと語られる言葉は、私の心を落ち着かせた。我慢したはずなのに、目元がどんどん熱くなって、視界がにじむ。瞬きをすると、一粒涙が落ちた。
田中くんは、驚くこともなく、緩やかに口角を上げた。そして、彼の左手は私の背中をゆっくりと擦っている。
「…田中くん、毒が」
「案ずるな。貴様は今浄化の魔法を使っているのだ。いつの間に身に着けたのか知らんが、…今の間だけは俺様の毒に耐えうることができるだろう」
そう言い終った時、電話の音がした。田中くんはハッとした様子で上着の内ポケットからケータイを取り出す。背中の手が離れて、少しさびしく思ってしまったのは、今まで心細かったからだよね?
「もしもし」
そこは普通に出るんだ、とちょっと思ってしまったけど黙っておこう。
電話から漏れ聞こえてくるのは左右田くんの声だ。田中くんは、私を見つけた旨を伝えてから電話を切った。
「…田中くん、ケータイ持ってたんだね」
「いや、これは雑種のものだ」
「え?だって今左右田くんとしゃべってたのに」
「奴は狛枝のものからかけてきた」
「?なんで田中くんは左右田くんの持ってるの?」
「…フハハ、奴はこの俺様に敵わぬことを重々理解しているのだ。俺様が雲月を探すとなったら喜んで差し出してきたぞ」
「そ、そうなんだ」
なんか、帰ったら左右田くんにまず謝らないといけないかもしれない。それからみんなにお礼を言おう。複雑な気持ちで私は笑った。
「…貴様がよく、言霊のやり取りをしているのが左右田だからな」
「え?」
でも、笑っている私に反して、田中くんは神妙な面持ちでぽつりと言った。ケータイを見つめていた視線を、ゆっくりと私に移す。
「…左右田からの連絡の音であれば、それを頼りに貴様を探せると考えてのことだ。だがそれも、途中で叶わなくなってしまったが」
「あ、えと、じゃああのメールも田中くんからってことなんだ。ごめん、電池が切れちゃって。…でも、なんで左右田くん?私そんなに左右田くんとメールしてないよ?」
「む…?」
話を聞いてみると、田中くんと二人でいるときに私に来ていたクラスメイトからのメールは、すべて左右田くんからだと思っていたようだった。確かに、みんな着信音は一緒にしていたし、田中くんが初めて聞いたときは左右田くんからのメールだったのかもしれない。
私がそのことを言うと、田中くんは顔を赤くして視線を逸らした。
「なるほど…理解した。どうやら俺様は愚かにも謝った認識をしていたようだ。貴様は雑種と親密にしているとばかり…!!」
そこまで一息に言ってから、思い切りしまった!という顔をこちらに向けてくる。
「か、勘違いするなよ!俺様は別に!悔しいなどと思ったことは…。!!」
「た、田中くん、落ち着いて」
「…っ!!」
しゃべる度にボロが出る田中くんはいよいよ、顔をすっかりストールで隠してしまった。
えーと、なんて言えばいいんだろう。
「…ありがとう」
とりあえず、ストールの中で真っ赤になっているであろう田中くんにお礼を言った。そっと肩に触れると、大きく体を跳ねさせたけれど、やがてゆっくりと頷いた。
「…そういえば、田中くん、よく見つけられたね」
ふと疑問に思って聞いてみる。田中くんはストールの中から返事をした。
「貴様の声が、聞こえたからだ。本来ならば、雑種のケータイと呼応させて辿る予定だったが」
「あっ…聞こえて、たんだ」
田中くんはストールを下げた。顔の赤色は少しだけ引いていた。
「貴様は自分の力で俺様を呼び寄せた。喜べ。雲月、貴様は常々、自分の才能に自信を持っていないようだったが、その力は俺様の封じられた時への扉の鍵となり、自らを守る術でもあるのだ。だから、いいか。今から待っている我ら仲間の元へ戻ってからは、これまでのように肩身の狭いような顔をするな」
わかったか!?と、またもやポーズを決めて言う田中くん。
…そうか。私の才能、誰の役にも立たないって思っていたけれど、田中くんを喜ばせることはできるし、なにより今日、自分自身のためになった。田中くんはずっと、気にしてくれていたんだ。
わかった、ありがとう。
私がそう言ったのを見た田中くんは、満足そうに微笑んだ。この顔は、今までも何度か見たことがある。田中くんが言ってきた歌を歌ったときに、いつもする顔だ。この顔を見ると、私はうれしくなって…。…あれ、なんだろう。顔が熱い気がする。
こんなときに、唯吹ちゃんの言葉を思い出してしまった。『やどりちゃんと眼蛇夢ちゃん、付き合ってるんすよね!?』少なくとも両想いでしょう!なんて、私の頭の中で無邪気に笑う彼女。
それで、一気に自覚させられる。田中くんが喜ぶのが私は嬉しくて、田中くんは私と左右田くんが仲が良いのが嫌で。…もしかして、私は。私たちは。
「雲月」
「えっ、な、なに?」
「貴様のその、メール…の着信音のことだが。今度それを、ゆっくり聴かせてくれないか。人間が喜ぶ音楽というものも、知っておくべきかもしれん」
どんな内容の歌だ?と、一人田中くんへの恋心と、両想いだということを確認したばかりの私に尋ねてくる田中くん。
えっと、言いづらいけど。
「あのね」
「あーっ!雲月!探したぜ!!」
「雲月さん!田中さん!ここにいらっしゃったのですね!」
「よかった、やっぱりボクは幸運だなぁ」
口を開いた途端に、後ろから聞き慣れた声がした。振り返ると、左右田くんとソニアちゃんと狛枝くんだった。
「みんな…!!」
「心配させんなよ!」
「とにかく、ご無事でなによりです!」
「ほら、ボクの言う通り、上級者コースを歩いてきてよかったでしょ?」
「…え?上級者コース?」
「あれ、雲月サン、気づいてなかったの?ここは上級者コースだよ。頂上はボクたちが歩いて来た方」
「え!」
「ま、この道のどちらかに歩き続ければすぐに山から出られたってことだね」
「え!」
そんな…!道理でなんかちょっとここの前後だけ地面が平だなと思っていたけど!じゃあ私の不安な気持ちは一体…!?がっくりと肩を落とすも、ソニアちゃんが優しく励ましてくれた。
「雲月さん、禍を転じて福と為す、ですよ!」
…うん、今使う言葉じゃない気がする。でもありがとうって言っておいた。
帰ろうって言うみんなに続いて立ち上がろうとしたけど、足首をくじいている私はよろけてしまった。それを見た左右田くんは、田中くんから受け取ったケータイをポケットにしまいながら近づいてくる。
「ったくよォー…ほら、肩貸すよ」
「下がれ、雑種が」
「なっ、んだよハムスターちゃん!!」
「雲月。立てるか」
「あ、うん…」
「ふうーん、左右田クン、フラれちゃったね」
「うるせーー!!」
涙目になった左右田くんに、ジェスチャーでごめんねと伝える。田中くんに支えてもらうと、思っていたよりも彼の顔が近いことに気がついた。わ。どうしよう。恥ずかしがってる場合じゃないんだろうけど、これはちょっと。
『雲月さん、禍を転じて福と為す、ですよ!』ソニアちゃん、ごめん。正解かもしれない。
前を歩く左右田くんたち三人に続いて、私たちも他のみんなの元へと歩き出した。
ちらりと田中くんの方を見ると、私の視線に気がついたのか、田中くんは小さな声で、痛むか、と聞いてくる。田中くんの声は、いつでも優しくて、遠くにいても、小さい声でも、いつだって、私の心にちゃんと届く。
そう思うと、胸の中で、どんどん気持ちが膨らんでいくのがわかった。ふふっと笑った私を、不思議そうな顔で田中くんが見る。
「ううん、大丈夫。ありがとう。…ねぇ、田中くん」
「なんだ」
「さっきの、歌の話なんだけど。どんな内容の歌だ?って言ったよね」
「あぁ、聞いたが」
「…それはね」
‐ハッピー・ミュージック・アワー‐
(あなたが好きですって歌だよ)