本sdr2
□ハッピー・ミュージック・アワー
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あれから田中くんはときどき、私が一人でいるのを見かけるとこっそり曲名を囁いてくる。今もそうだ。
「雲月、ウシのいぶくろだ」
「あ、あぁ…4つあるってヤツね…」
それも頼んでくるのはニッポンのたぬきの番組の曲ばかり。よっぽど好きらしい。
周りにばれたくないのは変わらないようで、私も小さな声で歌う。田中くんはそれを聞こうと、普段よりも近くに身を寄せてくる。
一度、小さすぎて聴こえないかな、と普通の大きさで歌ったら、『騒がしいのは好かん』って言われた。でも、田中くんの全身には毒が流れているんじゃないのかな。もしかしたら夢中で忘れているのかもしれない。
歌いながら、ちら、と田中くんを見ると、腕を組んで目を閉じている。口元は満足げに笑っていて、喜んでくれているようだ。
田中くんは不思議な風貌をしているけれど、こうしてじっくり近くで見るときれいな顔をしている。すっと通った鼻筋と、くっきりした縁取りの瞳。顔も小さくてきれいな輪郭だと思う。
こんなに長い時間彼の顔を見つめたことあったっけ。クラスのみんなは、田中くんがこんなに穏やかな表情を浮かべるって知らないんだろうな。…田中くん、かっこいいかも、しれない。
♪〜〜
「なんだ?…!」
そのとき私のケータイが鳴った。田中くんは邪魔された!とでも言いたそうな表情で目を開けたけど、田中くんをじっと見つめていた私と目が合って思い切り体を反らした。
「ご、ごめんね、喜んでくれてるなと思って見ちゃってた」
「ふ、大したことはない…。ただ貴様の体が腐り果てはしないかと案じたまでのことだ…」
田中くんは私と距離をとると、そっぽを向いてストールで顔を隠してしまった。少しだけ見えている部分は赤くなっている気がする。
あれ。どうしよう。恥ずかしがってるのかな?田中くんがそんな風にしてると、なんだか私まで恥ずかしくなってくる。顔が熱い。私も赤くなっているんだろうか。
「あ、ケータイ…誰からだろう」
場を取り繕うように口に出してポケットからケータイを取り出すと、唯吹ちゃんからだった。新しいパフォーマンスを考えたから見に来て、というメール。
断れないしなぁ、と返信しようとすると、田中くんがしゃべりだした。
「雲月、また電子の世界で言霊のやり取りをしているのか。以前もその音楽のあと左右田からだと言っていたが」
前も田中くんといるときにメールが来て、なんの音だって聞かれたときに左右田くんからメールが来たからって答えた。それを覚えていたようだ。クラスメイトからの着信音は全部同じにしてる。私の好きな歌だ。
「ん?うん、メールの着信音だよ」
田中くんの質問に答えると、なぜか眉間に皺を寄せてしまった。
「…そうか」
低くそう呟くと、背を向けて歩き出す。
「え、田中くんどこ行くの?」
「そろそろ魔獣に魔力を分け与えに行かねばならない…。雲月、時間をとらせたな」
振り返らないままそう言って、田中くんは歩いて行ってしまった。途中でメールが来たから集中が途切れたとかかもしれない。申し訳ないことしちゃった。
でも、目が合ってからちょっとどきどきしてたから、今日だけはこれでよかったかも。
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