星の夢を見る人
□お名前なあに?
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荒れ狂う海に飛び込んだのは何日前だったか。
死に物狂いで泳いだ後に炎天下を歩き続け、激しい夕立に遭い、雨風をしのげる場所を探して彷徨っているうちに力尽きた。
気づいたときには全身ずぶ濡れのまま、白くて暖かい床の上に倒れていた。
ひとまず生きていたことに安堵し、虚ろな目で排水溝へ流れる水を追う。
排水溝?ここはどこだ?と顔にかかる毛を避けた次の瞬間、シリウスはカッと目を見開いた。
視界に入った手が、完全に人間のそれだった。
「――っ」
バネのように飛び起き、身構えながら周囲を見回す。
バスルームだ。
石鹸の香りと湯気に包まれた白い空間にタオルとシャワーヘッドが転がっている。
(いつだ。いつ人間に戻った)
雨の中、誰かに声をかけられたところまではしっかり覚えている。
女性だった気がする。
その後はあいまいだ。
病院がどうとかいう話を最後に、プツリと記憶が途切れている。体を擦られているうちに、安心するように意識を手放してしまった。
服が汚れることも厭わず泥だらけの体を抱えて運び、必死に呼びかけてくれていたはずの女性の姿はない。
悲鳴を聞いた覚えはないが、半開きのドアが慌てて出て行ったことを示しているようにも見える。
「くそっ」
不覚だ。
気絶をして人間に戻るだなんて警戒心がないにも程がある。
(どうする……どうすればいい)
通報されていたら事だ。
今すぐ逃げなければならない。
しかし見られていないのだとしたら、下手に動けば逆に怪しまれる。
(声は聞こえないな)
そっとドアの隙間に近づき耳をそばだてるが、どこかに連絡している様子はない。
とすると何か取りに行っただけか、家の外まで逃げたか――。
濡れた床を見ながら眉根を寄せているうちに、近づいてくる足音がした。
シリウスは焦った。
変身し直すかこのまま強行突破するか迷い、こんなところに人を転がしておかないだろうという判断で犬の姿に戻る。
そしてその判断は正解だった。
女性は驚きつつも意識を取り戻したことを喜び、水分の残っていた体を拭いてくれた。
おいでと言われてついていくと、暖炉の前に案内され、ふかふかの毛布をかけられた。
出されたミルクから甘い匂いが立ち昇っている。
『大丈夫よ。ちょっと着替えてくるだけ。ここでいい子にしててね。あとでご飯作ってあげる』
わしゃっと犬の頭を撫で、女性がバスルームへ引き返していく。
シリウスはその後姿をじっと見つめたまま、しばらく呆然としていた。
自分は夢を見ているのだろうか――。
その女性は、かつて恋人だった女性にそっくりだった。