:天空の庵:

□富士神界高天原
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{富士神界高天原}伊豆高天原

天皇の居られる所を「高天原」と云った。
実は九州宮崎高千穂は一番新しい高天原であり、「神皇紀」によるとそれ以前に富士山麗「高天原朝」が存在していたとある。
これは始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求め渡来した徐福が神代文字を漢字に書き替えたものである。
それには天之御中世七代は中央アジア、メソポタミアに発祥し、300年程で部族が統合した。
東進し中国黄河そして満州から朝鮮半島へ、その700年程の間に10万8000人が35万人になっていたと記されている。
国常立尊初代神皇で能登半島から不二山麗に南下し高天原朝を開いた。
イザナミ、イザナギはその時代の優れた神皇だったと云うことである。
それから何世代か経てウガヤフキアエズ朝の時九州高千穂が高天原となり、2000年続いたとある。
又ユダヤ民族を一部では世界の悪魔と誤解しているが、神に義、国に忠、家に孝の民族である。
そのユダヤ人が大和民族に混血を重ね同化していったとみられ、朝鮮半島から能登半島へそして富士山麗へとも考えられる。
ちなみにモーゼの出エジプトのエジプトをギリシャ語でラフェロ(雲)と云う、出雲の語源かもしれない。
さて富士高天原では鉄剣を鍛え、砂金、銀を以て通用金に用いた。
初代天照大神となる天ツ神の神託に「佐渡島より金、銀、鉄の三種を掘り来りて製すべし」とある、よって宝剣を製作していたとみられる。
五世紀以前の事である。    しかし後の秦氏達が渡来した時期に書かれた、「古事記」「日本書紀」にはその事がまったく記載されていない。

*謎・秘文を解く! なぜ?富士山麗、伊豆地方が日本の古代歴史上、重要地と思われるのに何も語られず数々の古文書から伏せられてきたのか。

1300年前、五世紀以前の歴史の隠蔽は何の為におこなわれたのか。そしてなぜ今なのか。
大国主(出雲)の国譲り時、息子の建御名方は諏訪で敗走し、封じ込められる。
もう一人の息子、事代主は伊豆半島、を南下し富戸の海で抗議の自殺をし、伊豆島々の守り神となった。
大国主も巨大な社を要求し黄泉の国へ隠れ、天ッ神伊勢の時代となった。
これは{弥勒の霊ライン}の逆走なのではないか?
伊勢神宮の歴史は2000年である、ところが20年毎の式年遷宮は1300年前から始められ、交互に隣の土地に新しく建築し移転される。
これも何か関係があるのかもしれない。
能登から富士、伊豆そして伊豆八島への1300年語られなかった、神、人、地、歴史、「弥勒の霊ライン」光の道、それを開けと云うのだろうか。
古代、大陸からは多少、地つづきであり、渡来は出雲だけでなく、日本海側に須佐、江崎などの地名があることから、渡来した地は様々で能登の宝達山にモーゼが降り立った、との説もある。
モーゼは牛頭神(バール神)ともスサノヲとも云われている。
スサノヲも牛頭天王と呼ばれ鬼神である。
古代は言霊信仰があり、言葉に対して特別な畏怖をもち、‘言挙‘(願いや恐れを口に出して云う)で名を知ると‘呪租‘をかけ敵を失脚させたとある。
ゆえに多くの名を語ったり、本名が明かされなかった事を考えるとニギハヤヒやスサノヲ、太子にいたっては同一人物であるとも、ないとも、云えないのである。

*時空を超えて古代大和の神々が「大和再蘇生」を願っている。

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