:天空の庵:

□白青龍美華媛命
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{天命と使命} 命の仕事の始まり

2004年夏、エステティックサロンを経営して自由ヶ丘で12年、桜新町でそろそろ5年目をむかえる。        
そこそこテレビ出演依頼や雑誌取材が有り、美容家としてメジャーになりかけた頃のある日、東京駅ホームにいた。
ふと、伊豆の母の顔が見たくなって、(急に行って、驚かそう!)そう思った時、携帯がなった。
伊豆のナンバーで女性の声、とっさに「あ!お母さん?今から行くのどうしてわかったの?」それにしては声が若い。
その女性は「城ヶ崎海岸駅にスタッフを車で待たせてありますから・・・」と、
連れて来られたのは高台の白い二階建て一軒家、玄関には対のライオンの石像(もともとエジプトのスフィンクスだが日本の狛犬の原型といわれる)が居た。
窓からはオーシャンビュウーの大島、遠く薄っすらと房総半島が望める。
思い起こすと、10年前に海に浮かぶ赤い島の油絵を描いたことがある。
まったくその場所に来てしまったのだった。
あれは予知絵だったのか!その絵は今も二階への階段の壁にかけてある。
私は今までの顧客を整理し、服、装飾品、ブランドバック全て必要最低限以外、皆知人に分け、伊豆に引越しをした。
幸いなことに会社を経営していたが借金はない、あまりにも哀しく辛い人生を胸に、残りの人生このへんでもういいかな?
静かに暮して、そっと死ねたらいいかも、でも高齢の両親より先には逝けないなー、そんな思いで都会を後にした。
まさかこのような展開になるとは、考えてもみなかった。
その不動産屋、女性社長とは何の面識もなく、なぜ私の携帯を知ったか、今だに謎である。(04.09.26)
その様な経緯で伊豆に単身来て、富戸の庵主となった。
あくる月の10月は雨、風の暴風雨が吹き荒れ、家が倒壊するかと思う程に昼夜、毎日家が揺れた。
友人はメールで「龍神の美華媛さん、喜びすぎで、はしゃぎすぎですねー」という。
年も明け、半年間は何事も起こらず目まぐるしい都会から離れ静かな日々、今まで感じた事のなかった悠久の時間、心穏やかに居られる事に感謝した。
私はそれ程に自分を見失うほど疲れきっていたのかもしれない。
朝、小鳥の声で目が覚めると東の海に手を合わせ、南の森と山に感謝、部屋と身を清め、祝詞をあげ、勤行で始まる。
誰に教えられた訳でもなく、得度をいただいているのでもない、いたって自己流で縁ある神様、仏様にご挨拶をするだけ。
昔からなぜか{感謝}という言葉が好きで、チョットの事で「ありがたいなー」「うれしいなー」と思う。
小さい頃、美しい景色を見ると母にも見せてあげたい、美味しい物を頂くと妹に食べさせたいと思った。
学生時代に愛読した、英文の「幸福の王子」ヨーロッパの童話、私もそう生きたいと願っていた。
その頃何人かの女性達が出入りしはじめ私に会いに来てくれるようになった。
来れば何か作って食べさせて上げたい、心の痛みは一時でも食べる事により忘れて落ち着く事ができるのではないか?そんな気持ちで毎日を過ごしていた。
私の娘も何処かで誰かの世話になっているはず、私も彼女達を本当の娘のように気になる。
「ナルミ先生は人を癒しに来られて、自分も癒しに来られた」と彼女達が云う。
「そのとおり!アナタもワタシも皆たいして違いがないの」と笑った。

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