歴代助っ人マイナー球場

【ふ】 14件

【ブルックス・リッチフィールド・コンラッド (ぶるっくすりっちふぃーるどこん)】
Brooks Litchfield Conrad
右投両打/三塁手/背番号42
米国カリフォルニア州サンディエゴ出身。2013年の一年だけ阪神タイガースに所属。阪神の歴代助っ人野手の中でも屈指のダメ外人。58打席連続無打点、シーズン本塁打0打点0は阪神の外国人野手として史上初の快挙。打率も.175に終わり当然この年限りで解雇。あのメンチでさえ2打点を記録し苗字の面白さなどからいまだにネタにされ愛される(?)が、コンラッドは阪神ファンにとって思い出したくもない存在なのか話題になることもない様子。何事も限度というものがあると身をもって教えてくれた選手。


【ブレイディー・ラジオ (ぶれいでぃーらじお)】
Brady John Raggio 右投右打/投手/背番号36
米国カリフォルニア州ロサンゼルス出身。福岡ダイエーホークスに2000年から三年間在籍し先発投手として活躍した。短気で好不調の波が激しく安定感を欠いたが、それでもホークスの外国人先発投手の中では優秀で、通算23勝は福岡移転後の外国人投手ではソフトバンク時代のホールトンに記録を破られるまで最多勝利数だった。
RADIOのラジオとはつづりが違うものの、やはり珍しい苗字なので記憶に残る選手。


【ブレット・デイヴィッド・ハーパー (ぶれっとでいびっどはーぱー)】
Brett David Harper 右投左打/一塁手
背番号:横浜42→楽天68
米国ユタ州ソルトレイクシティ出身の内野手。193cmの巨漢のパワーヒッターだが、あのサクラメント・リバーキャッツを解雇された2010年シーズン途中に横浜ベイスターズの新外国人選手として来日。7月6日の中日戦(横浜スタジアム)でいきなりエース左腕のチェンからホームランを打つと、64試合で.316 本塁打19 打点56と打ちまくり来季に大きな期待を持たせて、解雇されたカスティーヨに代わり二年目のシーズンを迎える。
しかし2011年は“加藤球”こと反発係数下限違反球という極端に飛ばないボールが使われた影響もあり103試合で.278 本塁打9 打点39と著しく成績を下げ(コックスやウィットやサラサーやセサルやメンチやコンラッドやユーキリスより遥かにマシだが)同年オフにスレッジとともに解雇。打撃以外にも鈍足で守備範囲が狭いなど欠点はあったが、何より振ったバットが捕手に当たる危険なスイングのため、2011年の交流戦で日本ハムの大野奨太の頭に4針縫う重傷を負わせたことがあり、改善の見込みがなければ解雇して正解だったと言える。
ところが翌2012年のシーズン途中に、かつてのウィットで懲りなかった東北楽天が獲得。恵まれた体格から.174 本塁打0 打点1というクソみたいな成績に終わり、わずか19試合で解雇。ウィットどころかメンチ級の役立たずであった。


【ブレント・アレン・リーチ (ぶれんとあれんりーちきこく)】
Brent Allen Leach 左投右打/投手/背番号24
米国ミシシッピ州フローウッド出身。横浜ベイスターズの2011年度新外国人投手だったが、開幕前の3月に東日本大震災が発生し、リーチは職場放棄して早々にアメリカへ帰国。前代未聞の“制限選手”とされた後、夏になってようやくのこのこ戻ってきて8試合に登板したが1勝7敗、防御率5.95に終わり解雇。毎年最下位だった暗黒横浜の極めつけとも言うべき選手。
単なるダメ外人というより196cmの大男が地震にビビって逃げ帰った事実は今でもネタにされ続け、地震があるたびに「リーチ帰国」と書き込まれるのは2chの定番になった。
一応巨人に1勝したわけだが、名前と地震帰国と成績も散々で解雇されたこと以外何も記憶に残っていない。


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