歴代助っ人マイナー球場

【あ】 4件

【アーネスト・ウェズリー・ヤング (あーねすとうぇずりーやんぐ)】
Ernest Wesley Young 右投右打/外野手/背番号25
米国イリノイ州シカゴ出身。2000年シドニー五輪アメリカ代表の4番打者として、松坂大輔からヒットを打つなど活躍。米国の金メダル獲得に貢献した。その後ダイヤモンドバックス傘下の3Aツーソン・サイドワインダーズからシーズン途中で横浜ベイスターズに移籍。暗黒時代を彩る2002年の新外国人選手として来日。早速6月7日のヤクルト戦でホッジスから初本塁打を放ち米国代表の4番のパワーを見せつけた…が、終わってみれば.173 本塁打8 打点16という恵まれた実績からクソみたいな結果を残し(今思えばこれでもセサルやメンチやコンラッドやサラサーやユーキリスより随分マシだが)半年足らずでスピード解雇となった。
以後横浜ファンは「ヤング」という言葉を聞いただけで暗黒時代を思い出し苦々しい顔になることもある。


【アーロム・ウィルフレッド・バルディリス・ペレス (あーろむうぃるふればるでぃりす)】
Aarom Wilfred Baldiris Perez
右投右打/三一/背番号52
ベネズエラ・カラカス出身。2008年に育成選手として阪神タイガースに入団。育成といってもすでに米マイナーでの経験はメジャー直前くらいまでの実績があり、もっと積極的に起用して日本の野球に適応させれば阪神でも主力選手として活躍できたはずだが…支配下登録は果たしたものの二年で解雇され、阪神時代の恩師・岡田彰布が指揮をとるオリックス・バファローズへ移籍。
オリックスではメジャー経験者や国内トップクラスの実績をもつ数々の大物外国人選手が毎年次々と補強される中、厳しい競争を勝ち抜きレギュラーの座を勝ち取り、クリンアップの一角を担い専用応援歌も作られた。在籍年数も阪神の倍となる四年間活躍したが、契約面で折り合いがつかず2013年オフに横浜DeNAベイスターズへ移籍。
セ・リーグ復帰初年度となる2014年は.255 本塁打17 打点52と微妙な成績。しかし試合を決めるホームランなど要所で勝負強さが光り、主砲のブランコやポジションが被る中村紀洋の退団もあり解雇は免れた。新応援歌も作られ、ファンの期待は大きい。


【アルエバルエナ (あるえばるえな)】
→バルバロ・エリスベル・アルエバルエナ・エスカランテ


【アレックス・ラミレス (あれきさんだーらもんらみれす)】
Alexander Ramon Ramirez[アレキサンダー・ラモン・ラミレス]右投右打/左翼手
背番号:ヤクルト3→巨人5→横浜3
ベネズエラ・カラカス近郊のピニャンゴ・デ・ジャレ出身。ヤクルトスワローズの2001年の新外国人選手として来日。ペタジーニの退団に伴い翌2002年から4番・左翼手として活躍。長いキャリアの中で野球だけでなく日本の文化にもよく馴染み、打撃成績もトップクラスの選手に成長した。温厚で明るく“ゲッツ”に代表される数々のお笑い芸人のネタを積極的に取り入れ、ホームランを打ったときやヒーローインタビューで毎回見せるパフォーマンスもあり、近年の外国人選手では人気と知名度もナンバーワン。
2008年から讀賣ジャイアンツへ移籍し、ヒゲを剃って四年間プレーした。守備のまずさは目立ったが打撃成績は申し分なく主砲として活躍。巨人の暗黒時代を終わらせる救世主となった。しかし2011年に悪名高い“加藤球”こと反発係数下限違反球が採用されると成績が下がり始め、出場機会が減ったためオフに横浜DeNAベイスターズへ移籍。
2012年は.300 本塁打19 打点76と幾らか持ち直したものの、どん底に沈むチームを押し上げるには至らなかった。翌2013年は新外国人モーガンの獲得もあり出場機会が激減。わずか56試合で.185 本塁打2 打点14に終わり(ウィットやサラサーやメンチやコンラッドよりマシだが)解雇。長年親しんだNPBから姿を消すことになった。



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