テキスト(SS)

□そこに背中があったから/あつみな
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『あっちゃんって猫みたいだよね』

 あの時私に向かってそう言ったのはみなみだったのだろうか。
 薄っすらと霞掛かったままの記憶。晴れそうで晴れなくて、胸のあたりを鈍色の靄が渦巻いた。
「どしたー? なにびっくりした顔してんの?」
 驚いた拍子に身体を押し返してしまったらしく、不思議そうに首を傾げるみなみと目が合った。
「……猫みたいって、言ったから」
「あー。だってほんとに猫みたいやもん。気まぐれやし、ツンケンしたかと思えば甘えてきたりすっし」
「あの、さ。みなみ。前も、私のこと猫って言った?」
 昔から、という言葉が引っ掛かっていた。そんな風に言うから、もしかしたら本当にみなみだったのかもしれないと勝手な期待が高まった。
「んー……言ったような、言わないような。なんでぇ?」
 可能性がないこともないと少しは思ったけど、思い当たる様子がないところを見るとやっぱり違うのかもしれない。ぼんやりと浮かぶシルエットがみなみっぽい気がしたのは、思い込みによる記憶の擦り込み現象なんだろう。
「昔、誰かにも同じこと言われた。あっちゃんは猫みたいだねって。でも誰かわかんなくて、たまたま思い出してたらみなみが同じこと言ったから、みなみだったのかなって」
「そっかー。ごめん、覚えてないや。案外ともあたりが言ったんじゃね?」
「そうかなー。まぁいいや。なんとなく思い出しただけだし」
 みなみだったらよかったのにって、思ってしまった。あれが本当にみなみだったとしたら、今頃きっと高らかに運命が鳴り響いていたはずだ。
「……そだ。敦子さ、収録の後ってまだ仕事あるー?」
 話が途切れて少しだけ沈黙した後、思いついたようにみなみは言った。
「あー、うん。雑誌の取材が二社あって、それで今日は終わり」
「そかそか。じゃあ、待ってるからご飯いかーん?」
「……なに、どしたの急に。みなみのおごり?」
「おー。敦子の食べたいもん考えといてよ」
 冗談で言ったのに奢ってくれるなんてどうしてだろうと思ったけど、さっき不機嫌な理由にお腹が空いたをあげたからかもしれない。
 ただ、割り勘でと言ったところで人より多めに出しちゃうのがみなみの性分で。普段からほとんど奢られてるようなもんだから、自分で言っておきながらかなり引け目を感じてしまう。
「二人?」
「優子とか誘ってみる?」
「……やぁーだ。みなみと二人っきりがいいもん。二人でいこ?」
 他の人は呼ばないでという意思を込めて衣装の袖をぎゅっと掴むと、目を泳がせながら、おう、と照れ臭そうに一言だけ相槌を打った。
 たまには甘えてみようかなと思って柄にもなくとびきり甘い声を出してみたけど、こういうところが猫みたいって言われる要因でもあるような気がする。
 そのままみなみの腕に絡みついてみると、なぜか拗ねていた時以上に困った面持ちになった。居た堪れないほどに顔が赤面して、目を合わせようとしても不自然に逸らされる。
「なんで抱きついた時よりも照れてんの?」
「て、照れてねーわ! あー、な、なんか喉乾いたなー。今日あっちーしなー」
 あからさまというか、単純明快とでもいうのか。
 嘘がつけない素直な性格ゆえに、ひとつひとつの言葉が可笑しいほどに白々しい。
 そういうところが幼気で、愛おしいなって思うけど。
「私も喉渇いたー。何か飲んでこよっかな」
 みなみからするりと腕を解く。その瞬間に、頼りなげなまなざしが私へ向けられた。
「あー。今寂しそうな顔したー。くっついてて欲しいの?」
「……べっつにぃ」
「んだよ。素直じゃねーなー」
「ちょ、それ私の台詞やーん!」
 間髪置かずに返ってきたのは芸人かよって言ってやりたくなるぐらいのオーバーリアクション。もう何年も見ているけど、どうしていつもこういうノリなんだろう。
 いつからだっけ。昔からこんな感じだったかな。
 思い出そうとしてはみたけど、やっぱりぼかしが掛かったようにはっきりと浮かんではこなかった。
「なんでいきなし小難しい顔してるん?」
「みなみがさー」
「わたしが?」
「……まぁ、でもこれがみなみらしいか。いいや。そういうことにしよ」
「なんだよそれー。自己完結かよ。意味わかんねっし」
 拗ねるように唇を尖らせたかと思えばすぐに頬を膨らませて、みなみは私から顔を背けた。ぶつぶつと独り言を言いながら、いじけるように足で床を爪弾く姿はどうみても子供そのものだ。
 そのやさぐれた背中を見ているとなんだか無性にうずうずして、気が付いたら容赦なくそこに跳び掛かってしまっていた。
 ――マタタビに翻弄される猫か、私は。
「なんだよぉ、いきなりっ」
「んー。そこに背中があったから?」
 咄嗟にも関わらずしっかりと脚を支えてくれたことにはびっくりしたけど、私よりも背の低いみなみからは耳を澄まさなければ聞こえない程の微かな唸り声が上がっていた。
「……おまえさー、今重いって言っただろ。しつれーだなー」
「や、や、体格差考えろよ! いきなり来られたら誰だって自然と口走るやろぉ……」
「冗談だって。降りるから手、離して?」
「あー……いいや、もちょっとこのままで」
「なんで? 重いじゃん」
「なんとなく、そういう気分だから」
 なんとなく、なんて言いながらも耳を真っ赤にしているから、やっぱりくっついていたかったのかなと思った。素直にそう言えばいいのに、そうしないところが照れ屋さんというか、みなみらしいというか。
「よーし。じゃあこのまま自販機までれっつごー」
「うわぁ、どSやんそれ!」
 口ではそんな風に言いながらも、歩き出したみなみの足取りはとても軽かった。

 たくさんの見えない何かを背負っている小柄な身体。
 負ぶさってみたらその重みを少しでも感じられるかなって思ったけど、わかったのは優しすぎるほどの温もりと、小さいくせに背中は大きいんだという意外な事実だけだった。
 もちろんそれは面積的なことではなくて、心の広さや頼りがいのあるところ、そして、近くにいるだけで絶対的な安心感で包んでくれる天井知らずの包容力。なにより、私に向けて余すことなく不器用な愛情をぶつけてくれるところも含めての、実存的な比喩の意味で。
「なぁ。なんでくすくす笑ってんの?」
「べっつにぃ。なんとなく、かな」
「うおーい、またそれかーい。ほんっと気まぐれ猫だにゃー前田さんは」
 ちょっとだけ呆れるような言い回しにも、どこか愛を感じてついついニヤけてしまう私。もはや一種の病気のような気さえする。
 一瞬でも試すようなことしてごめんね。
 とりあえず心の中でそう謝っておいた。
「たかみにゃの背中がきもちーからにゃー」
「そりゃそうやろー。なんてったって特等席やからなー。って自分で言うなって感じ?」
 言ってから恥ずかしくなったのかすぐにセルフツッコミが入って、別に面白くもなんともないのに一緒になって笑ってしまった。
 みなみの言う特等席は、温かくて、柔らかくて、ゆりかごみたいな揺らぎを感じて眠気を誘われるスペシャルな席だ。
 身体が温かい人は心が冷たいなんてよく言うけど、みなみは違う。彼女の場合は心がぽかぽかしているから、その熱が身体に伝わってすべてが温かく感じるんだと私は思う。
「ねぇ、みなみぃ」
「んー?」
「……私、もうちょっとここにいてもいいかなぁ」
「お? そんなに居心地いいのー?」
「うん。前田敦子の人生において一番最高かもしんない」
「そ、れは、大げさすぎなんじゃ……でも、いいよー。敦子の気が済むまでここにいれば。高橋さん頑張るわー」
「……ありがと。頼りにしてるから。これからもよろしくね?」
「まかしとけー。ってこれからもって……?」
 私の言ったその言葉に、深い意味が込められているなんて彼女はきっと気付いていない。今はまだ告げるべき時ではないから、気付かせるつもりだってない。
 私は答える代わりに、想いを託すようにみなみの身体をきつく抱きしめた。
 何かを察したのか、口を閉ざしたことに対してただ諦めただけかはわからない。だけど、それ以上みなみは何も言ってこなかった。

 もう少し――あともう少しだけでいいから。
 せめて、ぐらぐらと安定しない心の揺らぎが収まるまで。
 ここから飛び出す決意が固まるその日が来るまで。

 私を、ここに居させて。


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