テキスト(SS)
□予約されたクリスマス/まりこじ
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「まりちゃん……」
悔やんだところでどうせ時間は巻き戻らない。
仕方なく床やテーブルに散乱したごみをまとめるために腰を下ろそうとしたその矢先、服の袖を掴まれて麻里子はぴたりと動きを止めた。
「な、に? どした?」
振り返った先にいた陽菜の縋るような視線に思わず固唾を飲む。
「陽菜のこと、嫌いにならないで……」
「はっ? い、いきなりなに言って……」
思い掛けない言葉に今度は戸惑った。嫌いにならないでというのはむしろこっちの台詞なのに、何がどうなってこの展開を生んだのか。
「さっき、怒った顔してたから……」
「あ、いや。あれは怒ったっていうか注意を促しただけっていうか……嫌いになったりとか、そういうんじゃないよ?」
「ほんとに? 好きなままでいてくれる?」
「ちょ、ちょ、ストップ! 落ちつ――っ……」
突然詰め寄ってくるから自然と後ずさりしてしまって、押し返すことも出来ずにいるとベッドの脚に引っ掛かって勢いよく背中から倒れ込んだ。その上に雪崩れ込んできた陽菜の重みが加わって、一寸呼吸が止まる。
「……酔っとる? 絶対酔っとるっちゃね?」
「よ、酔ってるのかな……ごめんなさい……」
「待って」
身体を起こそうとしていた陽菜の首根を引き寄せて、頭を抱え込むように両腕で強く抱き締めた。
「まりちゃん、苦し……」
「ごめん。でもこんな機会めったにないから、もうちょっとこのままでいさせて」
いくら仲が良くても年下メンバーほどではない。優子のように日頃からべたべたすることなんてほとんどないし、みなみのように見ていて恥ずかしくなるようなやりとりもしたことがない。感覚的には姉妹に近いような感じなんだと思う。麻里子はそう思っていなくても、陽菜の態度を見ていれば何となくそうなんだろうなという気はしていた。
「珍しく甘えんぼさんだぁ」
「篠田もたまには甘えたくなる時があるんだよ」
「まりちゃんこういうの嫌いなんだと思ってた」
「嫌いってなにが?」
思い掛けない言葉に麻里子は目を丸くした。
「んー……べたべたしたりするの、好きじゃないのかなって。あんまり触れてこないし……」
「触れて欲しかったの?」
「そっ、そんなんじゃない、もん……」
間髪入れずに弱々しく否定されても肯定しているようにしか聞こえず、麻里子は声を上げて笑った。
「嘘が下手だなぁ。クリスマスぐらい素直になりなー?」
「……まりちゃんだって」
茶化すような感じで言ったのに急に真面目なトーンになるから、思いもよらない切り返しに身構える他ない。
瞬く間にしてその場の空気がガラリと変わった。
「あたしが……なに?」
言ったきり押し黙る陽菜を促すように問い掛ける。
「まりちゃんだって……陽菜のこと、いつもリボンぐるぐる巻きにしてプレゼントとか言って素直になってくんないじゃん? お互いさまだもん……」
何もかも見透かしたような陽菜の言葉に心臓が大きく跳ね上がる。
「素直にならないって?」
それでもしらを切り通したのは、まさか陽菜が自分の気持ちに気付いているわけがないと思ったからだ。日頃から好きとは言っていてもふざけた要素が大きいから真に受けることはないだろうし、それを証明するようにあしらい方は一級品。とても気付いているようには感じられない。
「むー。なんで今日はそんなに冷たいの? 口でごまかしたってこんなにドキドキしてたらばればれなんだからなー」
「な、なにが?」
陽菜はゆっくりと身体を起こしたかと思うとそのまま腹部に馬乗りになった。麻里子を強く見つめる瞳は真剣そのものだ。
「陽菜なこと……好きなんだよね?」
麻里子の思い込みなど根底から覆すような科白に、短距離走を全力疾走した後のような息苦しさに見舞われる。身体中の血液がじわじわと沸騰するようなむずがゆい感覚。
「なになに、いきなりどうし」
「やめて、茶化さないで」
平静を装って作ったいつもの笑顔も、頬を包み込むように触れてきた陽菜の手の感触と雨が降り出しそうな表情で一瞬にして崩れた。まずいと思えば思うほどに動悸は速まる一方で、陽菜の真剣な面持ちに捉われたまま指一本動かすことが出来ない。
「……またまたー。酔っぱらってるだけだよね?」
懇親の切り返しがいつもの癖で軽薄になり、しまったと気付いた時には既に陽菜の眉間には皺が寄せられていて。
「ごめん……こんなこと言われるなんて思ってなかったからびっくりして……」
めったに見ることのない憤慨した様子に、さすがの麻里子も真面目にならざるを得なかった。
「いつから気付いてた?」
頬に触れている手に自分の手を重ねながら、麻里子は観念したように言葉を吐く。
「ずっと前から気付いてるもん……でも、言う気はないんだろうなって、思ったから……」
「篠田のことよくわかってんじゃん。一生黙ってるつもりだったのにまさかバレてるとはねぇ」
「一生って……それは、他のメンバーに遠慮してるから?」
普段はのんびりと緩い感じでいるのにこういう時に限って鋭く切り込んでくるところが陽菜らしいなと思った。一旦真面目スイッチが入ると、メンバーの誰よりもひたむきになる。
「まぁそれもあるけど。不毛でしょ、普通に考えて」
恋愛対象外に恋心を抱くなんてどう考えても建設的ではない。叶わぬ想いを持ち続けたまま接するよりもフランクでいた方が気持ち的にも楽になるし、変に嫉妬して燻ぶったりはしないだろう。
そんな考えの上で日々陽菜に接していたし、他のメンバーにも自然と同じような態度を取るようになって、篠田は楽天的だというイメージも植え付けることが出来た。
なのに、なんで?
これといってバレるような態度は取っていなかったのに、陽菜が自分の想いに気付いていることが不思議でならなかった。
「不毛、かな……」
「不毛でしょ、どう考えても」
頬にあった手を遠ざけてのろのろと身体を起こす。
「しかも本人に追求されるとか。あたしめっちゃかっこ悪いじゃん。っていうか、なにもクリスマスに言わなくてもよくない? 一生忘れらんないわ、今日のこと」
今日がなんともない日ならまだしも、よりによってクリスマス。楽しいことも記憶に残りやすければ、嫌な出来事も深く刻まれる。毎年クリスマスを迎えるたびに今日のことを思い出すのだと思うと、平気なフリをしようにも気分が沈んでしまって虚勢すら張れる余裕もなかった。
「……一生忘れられない日にしたいからわざと今日を選んだんだもん」
「うわぁ、なにその残酷さ……! あたしのことそんなに嫌いだった? あ、それかさっきの仕返し……」
「ざ、残酷? なに言ってるの?」
ストレートすぎる言葉に思わず涙を滲ませるも、なぜか困惑顔を浮かべている陽菜に麻里子は目を白黒させながらぽかんと口を開ける。
「ど、どういうこと?」
「……こういうこと」
あれ? さっきもこんな――
思い返す間もなくベッドに押し返されて、呆然としているうちに陽菜の顔が眼前まで迫っていた。
「ちょっ……ええ!?」
あまりにも唐突な行動には無意識に抵抗するように身体が反応する。
「もー。なんで逃げる?」
拗ねたように唇を尖らせる陽菜を前に妙な汗が額に浮かぶ。
「そ、それはこっちの台詞……なにしようとした?」
身体は依然押し返したまま。しかし上からの重力で押し負ける一歩手前である。
訊ねた麻里子に、陽菜は当たり前のように答えた。
「言わなくても、もう気付いたよね……?」
唇を噛み締めて、薄っすらと頬が紅潮して、熱を孕んだように瞳を潤わせて。
これで気付かなければよほど疎いか、それとも鈍いか。
雰囲気から察した麻里子は逸る鼓動を抑えるように喉を鳴らした。