テキスト(連載)

□Dream×Dream(完)/にゃんみな
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「あのさ」
「あのね」
 ほとんど同時に呟いて、また黙り込む。
「なに?」
「たかみなから言ってよ」
「は、陽菜からで」
「……名前」
「名前? ……あ、ごめん。つい陽菜って……」
 二人きりの空間に、いつになく真剣な面持ちの陽菜。そして、辺りを包むのは目が逸らせない程の緊張感――
 無意識に普段呼ばない名前で呼んでしまうぐらい、みなみは今の雰囲気に完全に飲まれてしまっていた。
「ううん。呼んでくれてすごい嬉しい」
 その瞬間に見せたはにかむような表情に、心臓をぎゅっと鷲掴みされているような感覚に襲われた。胸の周りの血液がものすごい速さで循環していることを感じ取れるぐらいに躍動して、身体がカッと熱くなる。
「……そういうの、ずるいわほんと」
 いてもたってもいられず、突き放されてもいい覚悟で衝動的に陽菜を抱き締めた。
「た、たかみな?」
「だから、思い込みじゃ済まんくなるって言ったやん」
 細身だけど丸みを帯びた身体も、柔らかい髪も、焦ってうわずっている声も、すべてが愛おしく見えた。いつも遠くにある温もりが今は自分の腕の中にあって、それだけで泣きたくなってしまう。
「さっきより熱上がっちゃったかな……」
 いつもと同じ反応が来るかと思いきや、嫌がる素振りも見せず、むしろ甘えるようにそっと身体を寄せてきた。抱き締め返すように回された手で優しく背中を撫でられる。
「い、いやじゃないん?」
「なんで?」
「だって、いつもたかみなの触り方はいやとか、たかみなはなんかやだとか、言ってっし……」
 自分で言ってるうちに悲しくなってきて、だんだんと尻すぼみになる。
 普段の自分に対する遠慮のない拒絶は、いくらポジティブシンキングのみなみとはいえ、じわじわと効くボディブローのように精神的ダメージを受けていた。その場で笑い過ごしてはいても、その実、裏で涙を堪えているだなんてきっと彼女は知らない。
「たかみなは優子とは違うから」
「で、ですよね……」
「あ、違う、そういう意味じゃない!」
 否定しながら身体を押し返されて、みなみは唖然とした。窺うように陽菜を見ると、心持ち頬が赤らんでいるようにも見える。
「今のは、なんていうか……ゆうちゃんに触られてもなんとも思わないんだけど、それがたかみなだと緊張しちゃう、から? 理性を保てなくなるというか、動けなくなるというか、なんか……意識、しすぎてるからだと思う、多分……」
「い、意識? 私を? なんで?」
「……鈍感」
 一言だけ呟いて、ふて腐れたように背中を向けられる。
「お、怒んなよー。今日のにゃんにゃん、やっぱおかしいよ」
「そんなの、自分でもわかってる。でも、たかみなだって……いくら熱があるからっていっても鈍すぎるんだもん。ほんとバカみな」
「うわぁ、病人相手に容赦ねぇ」
 自負していることを他人―しかも陽菜―に言われることほどショックなことはなく、項垂れるようにベッドに倒れ込んだ。陽菜の言葉は連想ゲームみたいで、考えるたびに意識がくらくらと歪む。
「にゃんにゃんー。機嫌直してよぉ……喉渇いたし……」
「どういうこと!? もー、ほんと最低!」
 何ら脈略のないみなみの発言にプリプリしながらも冷蔵庫に向かうところが陽菜らしい。怒っている分手つきは荒っぽいが、しっかりと水を入れてみなみの元へと戻ってきた。
「はい。喉渇いたんでしょ」
「飲ませてくれな――冗談ですごめんなさい……」
 冷たい視線を感じて言葉を引っ込めざるを得なかった。数分前にあった温もりはとうに消え、まるで冷気に包まれているかのようなこの雰囲気。心なしか身体まで凍えているような気さえする。
「あー……水、やっぱいいや。このままちょっと寝てもいいかな」
「いいけど……喉渇いてるんじゃないの? こういう時は水分いっぱい取って汗かいた方が熱も下がりやすいって優子が言ってたし、飲んだ方がいいって」
「わかってる、けど……」
 優子が、という発言がやけに耳についた。
 目が覚める直前の電話でそういう話をしたのだろうか。さっきも電話が掛かってきていたようだし、二人の気心知れたやりとりを想像するだけで悶々としてしまう。目の前にいるならまだしも、離れていてもいつでも繋がっているような関係に見えてしまうから余計だった。
「ほら、飲ませたげるから起きて。熱下がんないよ」
 陽菜の手が促すように背中を揺する。
「……今は飲みたくないからいい」
「なんで。喉乾いたって言ってたじゃん」
「乾いてなかったみたい。ごめん、せっかく入れてくれたのに」
 もちろんそれは嘘だったが、素直に応じることが出来なくてみなみはそっぽ向いた。陽菜の言葉に優子の影がちらついて、一言一言がちくちくと胸を突き刺す。
 ああ、これが決定打なのか――ここへきてようやくみなみは確信した。
 優子の話をされただけで息苦しくなって、何かされたわけでもないのに嫉妬してしまう。
 例えばここにいるのが陽菜ではなく他のメンバーだったとして、同じように彼女の名前を出されただけでここまでやきもちを妬くかといえば、そんなことはない。陽菜が別のメンバーの名前を出しても、きっと何とも思わない。第三者からみても特別仲の良い二人だからこそ、こんなに苦しい気持ちになるんだと思った。
「もー。乾いてなくてもいいから水分とりなって。明日が辛くなるんだよ?」
「やだ。飲みたくない」
「やだって。なんでいきなり不機嫌になってんの? 意味わかんない」
 呆れるような言い回しに、涙腺が緩んだ。思いとは裏腹の言葉ばかりが口をついて、素直になれない自責の念が今にも零れそうな涙を後押しする。峯岸のことを散々面倒くさい女だと思っていたが、自分も同じぐらいに面倒くさいとわかって本気で嫌になった。
「黙ってないでなんとか言ってよ」
 ベッドが軋んで軽く沈む。
「ってか、泣いてる?」
 まずい、と思った時には既に遅く、覗き込んできた陽菜と目が合って浅く息を呑んだ。
「今度はほんとに身に覚えがないんだけど……」
「ちが、くて」
 壊れ物に触れるように指でそっと涙を拭われて、心配そうな眼差しにじっと見つめられて。
 泣いたことで呼吸が乱れ、不整脈が出ているのではないかと思うぐらいに心臓が激しくがなり立つ。陽菜の温もりを感じるたびに胸が締め付けられて心を掻きむしりたくなる。
 こんなに苦しい夢なんて早く覚めてしまえばしまえばいいのに。
「……ごめん」
 前触れもない唐突な謝罪。何に対する言葉なのかわからなくて、みなみは燻った表情を浮かべた。
「体調悪いのに、問い詰めるようなことしちゃってさー。看病しにきたのに疲れさせてどうすんのって感じだよね」
 ふいと陽菜が遠くなる。
「私、なんでこんなに焦ってるんだろ」
「あせ、る?」
「……そっか。チャラみなだからか。最近ほんとチャラすぎだよね。ムカつくぐらいに」
「え、え……な、なにが? 何の話?」
 会話をするわけでもなく、自己完結する陽菜にまったくついていけずちんぷんかんぷんになる。
「たかみなのことだから寝たら忘れちゃいそうだし。今日はもうやーめた。私、そろそろ買い物行ってくんね」
「ま、待って、陽菜っ」
 飛び起きて慌てて伸ばした手が、弱々しく陽菜の手を掴む。
「……ずるいのはどっち」
 ため息とともに吐き出される言葉。
「な、なにがだよぉ」
「そういう風に鈍いとことか、ナチュラルにチャラいとことか、ほんっとムカつくんだけど」
「っ……」
 唐突に胸倉を掴まれて、びっくりした衝動で喉が鳴った。前代未聞の今にも殴り掛かってきそうな勢いに、脊髄反射で目を瞑ってしまう。
「でも」
 胸元がふっと緩んだ気がして、みなみは怖々と瞼を押し上げる。
「仕方ないよね。落ちた私が悪いんだもん」
 瞳に映った陽菜は眉根を寄せながら表情を滲ませていた。吸い込まれるような瞳孔で力強く見つめてくる姿にとらわれて目を逸らすことが出来ない。
「……好きだよ、たかみなのこと。鈍いとこもチャラいとこもムカつくところも、全部含めて」
 茫然としている内に陽菜の顔が近くなって、言葉を返す間もなく額に柔らかい感触が訪れた。
「え……ど、どういう――」
 意図を確認しようと口を開くと、続きを遮るように陽菜の指で唇を押さえられた。
「買い物行ってくるねー。なんかあったら電話して」
 ちゃんと水分取るんだよ、と付け加えて陽菜が離れてゆく。
 頬をうっすらと紅潮させているのが目に入って、みなみはようやく事の意味を理解した。しかし、驚きのあまりに開いた口が塞がらず、身動き出来ないまま彼女の背中をただ見つめているだけ。
 玄関の扉が閉まる音とともに静まり返る空間。子猫の鳴き声が聞こえて、呪縛から解けるようにベッドへと崩れ落ちた。
 好きって、どういう意味の?
 聞けなかった言葉が頭の中でループする。
 ライクなのか、それともラブなのか。どっちの意味にも取れる態度にもやもやは募る一方で、考えれば考える程に身体が熱くなる。頭が逆上せて、意識が白くなる。
 鈍感、チャラい、ムカつく。
 胸元をぎゅっと掴んで、そこに至るまでの陽菜の言動を手繰り寄せるように記憶を呼び起こすも、もはや印象に残っている単語はその三つと――
 
『好きだよ、たかみなのこと』

「頭いたい……」
 繰り返し再生される陽菜の言葉が麻薬のように思考を麻痺させる。
 少し眠れば冷静に考えられるようになるだろうか。そもそも、夢の中で眠るという行為自体が可能なのだろうか。
 夢と現実の狭間? それとも夢と夢の狭間?
 なんだかよくわからないことを考えているうちに目を開けていることが億劫になってきて、みなみはため息とともに瞳を閉じた。
 ああ、そういえば水分取れって言われてたっけ――
 落ちる瞬間に陽菜の言葉を思い出す。しかし、茹だりきった思考のみなみに身体を動かせる気力など残ってはいなかった。
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