テキスト(連載)

□Dream×Dream(完)/にゃんみな
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「――い熱があって。病院の方がよかったかなぁ……」
 話し声が聞こえて、みなみは重い瞼をゆっくりとこじ開けた。
 見慣れた天井。落ち着く匂い。時折聞こえる子猫の鳴き声。
 ああ、自宅か――ほっとして、深く息を吐く。
「あ、たかみな気付いたみたい。ゆうちゃん、また後で電話するね」
 まだ混濁している意識の中、ゆうちゃん、という呼びかけで声の主が誰なのか瞭然だった。
「気分どう? あ、喉乾いてるよね……お水入れてくるから待ってて」
 心配そうに覗き込んだあと、思い立ったようにキッチンへと駆けていく。静まり返った部屋に、冷蔵庫を開ける音とコップに注がれる水の音がやけに耳についた。
「起きれる?」
 陽菜に支えてもらいながら、鉛のように重い身体をのろのろと起こす。
「あっつ……これ飲んだら一回着替えよっか。あ、こらー、ゆっくりでいいってば。一気に飲むからむせてんじゃんもー」
 困り顔を浮かべながらも背中をさすってくれる陽菜の手はとても優しかった。
 普段とは段違いの態度に、これは夢だとみなみは思う。陽菜が自分の家にいること自体まずありえないし、甲斐甲斐しく世話をしてくれる様がどうにも陽菜らしくない。きっと、こうだったらいいのにという願望の表れだ。とうとう夢の中で具現化出来るレベルに達してしまったらしい。
「汗ふいて着替えないとねー。着替えは――あのタンス?」
「ん……そう」
 しかも、会話まで出来るようになっている。これまでの夢は一方的なカメラワークのように追いかけるだけだったのに、彼女の私物を持ち帰ったことによる変化なのだろうか。
「お水替えてくるから、ちょっと待ってて」
 着替えをベッドに置いて、近くにあった洗面器を持って流しへと向かう。その動作があまりにも機敏すぎて、やっぱり夢に違いないと確信した。
「着替えよっか」
「じ、自分でやるから」
 言いながらボタンを外されて、突然すぎる行動に恥ずかしくなったみなみは身をよじって抵抗した。
「そんな覚束ない状態でなにいってんのー。やったげるから大人しくしなさい」
「あ、はい……」
 有無を言わさず次々に外されていくボタン。積極的な陽菜に、なし崩し的にされるがままになる。
 まぁいいか、どうせ夢だし――
 脱がされながらそう思って、みなみは抵抗をやめた。夢の中の出来事だと思えば羞恥心などないに等しい。
「んっ……」
「ごめん、冷たかった?」
 あっという間に上半身を剥がされ、ひんやりとした感覚が背中に訪れる。
「大丈夫。きもちい」
「よかったー。汗いっぱいかいてるから気持ち悪かったでしょ。はい、次は腕だしてー」
 手慣れている気がしたのはこうあって欲しいというイメージなんだろうか。母性心があって、手際が良くて、潜在意識の表れなのだとすればこれが自分の中の理想の陽菜なのかもしれないとすら思う。
「しゅーりょー。はい、バンザイして」
「え。い、いいって、自分で着れっし」
「バンザイ。しよっか?」
「……はい」
 拒否権はないと言わんばかりの笑顔に、首を縦に振る以外の余地はなかった。
 相手が自分だからこういう風に扱われるのか、それとも普段からこんな感じなのか。これがもし陽菜じゃなかったら頑なに拒否していただろうか、なんて。子供のようにシャツを着させられながら色んな考えが頭を巡る。
「よし。じゃあ私行くねー」
「帰っちゃうの……?」
 ベッドに横になった途端に陽菜が立ちあがって、不意に寂しさが込み上げた。
「ううん。お薬とか熱冷ますシートとか、あとおかゆとスポーツドリンクと栄養剤? ドラッグストア閉まる前に買い物行ってくる。なにか欲しいものある?」
「……なんもいらんから。行かないで、ここにいて」
 スカートの裾を弱々しくきゅっと掴む。自分の口からそんな台詞が出たことにびっくりしたが、それ以上に驚いていたのは陽菜の方だった。
「弱ったら甘えん坊になるタイプとか、調子狂っちゃうじゃん」
 屈みながら困ったように微笑んで、ぐずる子供をあやすようにぽんぽんと優しく布団を叩かれる。
「わがままでごめん……」
「いいよー。ってか別にわがままじゃないし。寝付くまでここにいるね」
 スカートを掴んでいた手をそっと握って、ベッドの脇へと腰を下した。
 等間隔の揺らぎは、まるでゆりかごの中にでもいるように心地良く、たったこれだけのことなのに簡単に眠りに誘われそうになる。
「にゃんにゃんの手、冷たくて気持ちいい」
「私の手が冷たいんじゃなくてたかみなが熱すぎんのー。ほんとさー私が戻んなかったら救急車で運ばれてワイドショーのネタになってたよ?」
 怒っているような、心配しているような、どっちつかずの表情。
「そうなんだ……ごめん、ありがとね」
 ただ、彼女が何のことを言っているのか理解出来なくて、話を合わせるようにお礼を言うことしか出来なかった。わかっているのは夢の中で高熱を出して、なぜか陽菜に看病してもらっている。それだけだ。
「たかみなはいつも全力だからさー。公演終わってほっとしたのもあるかもしんないね」
「そう、だね」
 やけにリアルな夢だと思った。時系列がここまで現実世界とリンクしている夢なんて、めったなことでは見ることはない。
 これは夢じゃなくて現実なんじゃないか?
 そんな考えが浮かんでしまうぐらい、陽菜の手の感触も、いつになく優しい声も、夢とは思えないほどの現実感があった。
「明日仕事休み――なわけないよね。一応マネージャーに連絡入れとこっか?」
「ん、大丈夫。ちょっと寝たら下がると思う」
「ほんとかなぁ。朝までに下がらなかったら連絡すればいっか……」
「えっ。朝まで一緒にいてくれるん?」
「当たり前じゃん。病人一人にはしとけないもん」
「でも、にゃんにゃんも明日仕事……」
 嬉しい反面、申し訳ない気持ちの方が大きい。陽菜だって休む暇がないぐらいに仕事が詰まっているのだ。いくらこれが夢だとはいえ、やはり気は遣ってしまう。
「大丈夫だよー。明日はちょっと遅めでいいから、今日はたかみなんちに泊まるつもり。だから安心して寝なよ」
「……なんで」
「なに?」
「なんでそんな優しくしてくれんの? いつもめっちゃ――あ……」
 冷たいのに、と続くはずだった言葉は突然鳴った携帯の着信音に遮られて喉の奥へと追いやられた。
「いい、優子だからあとで掛け直す。それよりいつもなに? なんて言おうとしたの?」
「あ……や、なんでも、ない」
 問い詰めるように訊ねられて言い淀む。現実世界でも機嫌を損ねて、夢の中でも同じことを繰り返そうとしていて。無意識のうっかり発言には自分自身でも嫌気が差す。
「なんでもなかったら泣きそうになったりしなくない?」
「な、泣いてなんかねーし」
「うそつきー。めっちゃ潤んでんじゃん!」
「や、やめ」
 空いている右手の指の腹で頬を押されて、目尻で堪えていた涙が伝う。
 冷たかったり優しかったり、自分の言動に対する自責の念だったり。色々なものが入り混じった涙は一度流れ出ると、とどまることを知らずに溢れてくる。
「泣いてる原因って……やっぱり私? 最近避けてたのも、なんか関係してんのかな」
「それ、は……」
「お願い、言って。避けられたままとかやだし」
 口を噤むように布団を被ろうとしたところを、縋るように制止される。そんな風に見つめられたらもう観念する他に術がない。
「……泣いてる理由、は。そうだったり、違ってたり。でも、避けてたわけじゃないし、泣いてる理由とは関係ないから……」
「……よくわかんない。具体的に言ってよ」
 握られたままの手にぎゅっと力が込められる。
「いつも……そっけないのに、優しくされて嬉しくて。なのに、踏みにじるような言葉掛けそうになって、そんな自分がめっちゃ嫌だなって、思って」
 言いながら自己嫌悪に陥って、また涙が込み上げてきた。
「それに、ほんとに避けてたわけじゃないんだよ。ここのところ毎日夢の中ににゃんにゃんが出てくるから、なんかまともに顔、見れなくて……」
「毎日? うそだぁ」
 冗談にしか聞こえなかったのだろう。表情がふっと崩れて笑い声が上がった。
「ほ、ほんとだって! じゃなきゃ顔見て逃げたりせんやろぉ……」
 体験している本人としては、思い出すだけで顔から火が出そうになるぐらいに恥ずかしい。
「どんな夢なの?」
 苦渋の表情を浮かべるみなみに、まさかと思いながらも陽菜は首を傾げる。
「にゃんにゃんを、ずっと目で追ってるだけ。喋ったりとかもしないし……それがもう二週間ぐらいずっと続いてる」
「二週間!?  一方的に見てるだけ?」
「うん……ごめん、きもいよなぁ……」
「別に、夢の中だからきもくはないけど……」
 まるで現実だったら無理と言われているような気がして、みなみの気持ちはますます沈んだ。そういう風に思われると踏んでいたから、対面した時に視線を合わせないようにしていたのかもしれないとも思った。
「たかみなさー。もしかして私のこと好き……とか」
「え……え?」
 不意の質問にみなみは戸惑った表情になる。
「夢の中で見てるだけなんでしょ? それも毎日。なんか、そういう気持ちが夢に現れるのかなって思って」
 陽菜の予測は確かに的を得ている。リアルでの強い気持ちが夢に現れているのだとすれば、その一説も十分に考えられた。
「好き、だけど」
「え?」
 もちろんライクで、と慌てて付け加えたが和らいでいた陽菜の表情が一瞬だけ強張った気がした。
「でも……そういう意味で好き、なんかなぁ……?」
「そ、そういう意味って?」
 その一言で、今度は陽菜が面食らったような困り顔を浮かべる。
 言うつもりはなかった。けど、夢の中でぐらいは素直になろうと、ずっと考えていたことをぽつりと吐き出した。
 陽菜ばかりが夢に出て、夢でも現実でも彼女のことばかり考えて。実はメンバーという枠を超えて本気で好きになってしまったんじゃないかと薄々感じていた部分はある。
 ただ、あくまでも夢に出てくるというだけの話で、確信に変わる決定打がなかった。
「つまり、好きの意味が――あー……ごめん、なんでもない。忘れて」
 言いかけて、喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。優子とのことを思うと入り込む隙は一ミリもないし、二人が好き合っていた場合、気持ちを伝えることによって陽菜を困らせてしまうかもしれないと思ったからだった。彼女の困惑する顔は、夢の中とはいえあまりみたいものではない。
「そこまで言っといて忘れるとか、出来るわけないじゃん」
 煮え切らないみなみに対して陽菜の中にわだかまりが芽生える。言おうとしていた言葉は予測出来ているが、本人の口からはっきりと聞かないともやもやする一方だった。
「んー……じゃあ、夢から醒めたらちゃんと言うわ」
「夢から醒めたら? なにそれ。なんではぐらかすの? そうやって逃げる気なんでしょ?」
「に、逃げないって。っつか今日どしたん? いつも、私のことなんか興味示さんやん」
 やけに突っかかってくる陽菜に対して自然と疑問が湧いた。普段なら話を聞いているのかいないのか、ひとつ返事をして軽く流されるのに。
「別に、興味を示してないわけじゃ……それに気になるだけだもん。たかみながなんて言おうとしてたのか」
「そ、そんな顔するなよー」
 いつもなら見せることのない泣きそうな表情に、みなみは思わず身体を起こした。
「だって」
「……言ったら思い込みじゃ済まんくなるやん。絶対にゃんにゃんと気まずくなるもん」
「そんなの、わかんないじゃん」
「わかるよ。にゃんにゃんは優子のこと好きっしょ?」
「……好きだけど。でも」
「優子だってにゃんにゃんのこと大好きやん。それってさ、負け戦とわかってて敵地に突っ込むのと同じやと思わん?」
「じゃあ聞くけど」
 ここまで言ったんだからいい加減に引いてくれ、という願いは通じることなく、逆に強い眼差しで見つめ返されてみなみの方が怯んだ。いっそ布団を被って逃げ切ろうかとも考えたが、手をしっかり握られている状態ではうまく身動きすら取れない。
「たかみなはゆうちゃんのこと好きじゃないの?」
「……好き、だよ?」
 突然何を言い出すのかと思えば。好きじゃないの、なんて言われて好きという以外に答えるべき言葉など見つからない。
 ――あれ?
 同じ質問を返されて、陽菜に掛けた言葉と自分の思いに矛盾が生じていることに気が付いた。
「好きでしょ? なんて断定的に聞かれて、好きじゃないなんて言えるわけないじゃん。好きだよ? 好きだけど、そういう好きとは違うし、ゆうちゃんに対する私の好きとたかみなの好きは同じ好きだもん」
「好きだけど好き違いで、私の好きとにゃんにゃんの好きは同じ……?」
「私、たかみなのこと好きだし、たかみなの好きも私の好きと同じだと思う。って言ってる意味わかってる?」
 同じ好きだとか違う好きだとか、熱に浮かされた頭には疑問符ばかりが浮かんで思考が混線状態になる。
「……ごめ、意味わかんなくなっちった」
「ここまで言ってほんとに気付かないの?」
「ごめん……なんかあんま頭働いてくんなくて……」
「そっか、そうだよね……私こそごめん」
 謝罪合戦の後はお互いに口を噤んでしまって、部屋はしんと静まりかえった。
 そもそもなんでこんな雰囲気になったんだっけ?
 それすらもうまく思い返せない。



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