テキスト(連載)

□秘密の関係(完)/こじゆう
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「あー、ゆうちゃんこんなとこにいたのー」
 もうどうにでもなれ――
 投げやりになって身体の力をふっと抜いた矢先。少し遠くの方からのんびりとしたトーンが聞こえて、二人は小さな身体をびくつかせた。
 振りかえらなくともそこに立っているのが誰なのかぐらい、声を聞けばわかる。それでもおそるおそる確認せずにはいられない。
「ごめん、邪魔し……」
 その声は最後まで言い切ることなく、尻すぼみになってやがて沈黙へと変わる。
 呆然と立ち尽くす陽菜の表情は、とても優子のことを苦手と思っているようなものではなかった。彼女がこんなに悲しそうな顔をしているところを、みなみは今までに見たことがない。
「あの、さ、優子。とりあえず私から離れた方がいんじゃね? この状態はさすがにまずいっしょ……」
 先ほどより距離はなくなったものの、はたから見ればキスの臨戦態勢。雰囲気だって、とてもじゃれているようには思えない程にシリアスそのもの。
「あー……そうしたいのは山々なんだけど、び、びっくりしすぎて、腰が抜けた……」
 困った顔で笑いながらも、声は枯れ枯れだった。飲み物なしにビスケットを食べ続けた時の、口の中の水分が奪われてしまったような感じに近い乾いた笑い。
「ま、まじかよ。何か、すげー修羅場っぽい雰囲気なんだけど」
「……巻き込んでごめん」
 陽菜の様子を窺いながら、二人はひそひそとやりとりを続ける。
 そんな様子を見せられては陽菜だって黙って突っ立っているわけにはいかなかった。
「あ……ま、待って!」
 動くことの出来ない優子を椅子に座らせてから、スタジオの入り口へ引き返そうとしている陽菜を追いかける。このまま出て行かれては自分にとっても良くない勘違いをされそうな気がしたのだ。
「待てってば!」
 止まる気配を見せない陽菜の手を強引に掴むと、触れてみなければわからないほど微かに震えていた。
「なんで引き止めるの? 別に誰かに言ったりしないし。だから離して、お願い……」
 涙交じりの声で切実に言われて、それがどういう状況を示唆しているのかを感じとったみなみは、なおさら掴んだ腕を離せなくなった。
 陽菜に苦手と思われていたことに落ち込んでいた優子の態度が普段からたまに見かける光景だったから、実のところ大したことではないのだろうと勝手に思い込んでいた。けれど、陽菜のこの様子を窺う限りそうとは見えない。
 事態は思っていた以上に深刻だ。
「そのお願いは聞けない。事情を説明したいから、向こう来てくんない?」
 ここは第三者の自分が一番冷静にならなきゃいけない場面だ。落ち着いて、何とか元の鞘に収めなければ。
「……やだ」
 しかしそう簡単にはいかない。あっさりと了承してくれるわけもなく、みなみに腕を掴まれたまま身体は完全に逃げ腰だ。
「無理。私のせいで仲違いさせたままとか絶対無理」
「やだッ……離してよたかみな!」
 出せる力を振り絞って拒否する陽菜を、みなみはさらに力づくで引っ張っていく。
 身体が小さくても力だけは陽菜よりも強い自信がある。今に至っては不可抗力で生じた亀裂を修復させなければいけないだけに、いつも以上に力が入った。
「座って。まずはえっと……乱暴にしてごめん」
 優子の前に用意した椅子に座らせ、みなみは深く頭を下げた。仕方のないこととはいえ、力を駆使して無理矢理引っ張ってきてしまったことはあまり気持ちの良いものではない。
 半ば強引に連れてこられた陽菜はもちろん無言で、表情は一変ともせず曇ったまま。正面に位置する優子も、心苦しそうにやり切れない面持ちになる。
 ただのメンバー同士のやりとりでここまで重い空気になるの、か……?
 実はさっきからずっとそこが引っ掛かっていた。
 楽屋では誰かと誰かのキスシーンなんてよく見かける光景だし、たとえ自分と仲の良いメンバーが他のメンバーと絡んでいたとしても、軽く嫉妬するぐらいの笑って過ごせる範囲内。けれど、今の二人の状態はどう見たって浮気現場を目撃された恋人同士そのものだ。日常からは感じたことのない異様な空気に、みなみは身の細る思いに駆られた。
「これ、聞いていいのか悪いのかわからんけど。二人って、その……付き合ってんの?」
 回りくどく言っては無駄な時間を使うだけだと思って、みなみはストレートに二人に訊ねた。
 首を縦に振るという確信はある。その時は全面的に自分が悪いことにして陽菜に土下座するぐらいの覚悟も出来ている。
「付き合ってねーし」
「……え? 付き合ってるんだろ?」
 予想していた言葉と違って思わず聞き返す。
「はあ? たかみなにはそういう風に見えてんの?」
「だって、そうでもなきゃこんな雰囲気ならんだろ!?」
 当事者外の視点から見た今の様子が、どれほど緊迫していることか。今すぐここから逃げ出したい程の緊張感が漂っていることは事実だ。
「ないない。だから、わたしが誰とキスしようがいちゃつこうが小嶋さんには関係ないもん」
 きっぱりと、その上切り捨てるように言われて、みなみの額にはじんわりと脂汗が浮かんでいた。
 陽菜を前にしてからの優子は開き直りすぎというか、攻撃的というか、どう考えても何か一悶着あったとしか思えない態度である。対する陽菜は腰を落ち着けて以来、一言も言葉を発することなく俯いたまま。
 対照的すぎる二人の間に一体何があったのか、まずそこから探らなければいけない気がした。
「メンバー内でギスギスされんのやなんだよ。頼むから事情を――」
 何とか解決策を見つけ出そうとみなみが口火を切ったのとほぼ同時に、楽屋に控えていたメンバーたちがぞろぞろとスタジオへ流れてきた。
 うわ、最悪のタイミング……
 壁に掛けられた時計を見て、みなみは苦渋に眉をしかめる。思っていたよりも時間が経過していて、もう間もなく次の収録が始まろうとしているところだった。
「たかみな、ここにいたのー? 探してたのに」
「ご、ごめん。気付いたら机に伏せって寝ちゃってたんだわ」
 拗ねるように口を尖らせる敦子を見て、可愛いなぁ、などと思う余裕は今のみなみにはない。心にもない嘘をついたことに申し訳ない気持ちを抱きつつ、目の前で起きている事件をさてどうすれば円満に収められるものか。
「にゃろもゆっぴーも具合悪い?」
 スタジオ内が賑わっている中、様子がおかしいと気付いた麻里子が心配そうに二人の顔を覗きこんだ。さすが年長者、少しの変化も見逃さない。
「んー。ちょっと眠いだけ。心配してくれてありがとまりちゃん」
「私もー。昨日、あまり眠れなくてー」
 いっそ麻里子に相談してみようか。そう思ったみなみだが、二人が揃ってとぼけているのを目の当たりにすると、喉まで出掛かった言葉を勝手に吐き出すことは出来なかった。
「大丈夫? 今日はちゃんと寝なよー。あ、でも収録中は寝ちゃだめだからね」
「はーい。お、そろそろ始まりそうかな? いこ、にゃんにゃん」
「うん。いくいくー」
 まるで何事もなかったかのように陽菜の手を取る優子。先ほどまでの気まずい雰囲気はびっくりするほどに垣間見えない。和気藹々とセットに向かって歩く二人をぽかんと眺めながら、みなみだけが疑問符でいっぱいになる。
「あ、もしかしてドッキリ……」
「ドッキリ? また何か仕掛けられてんの? ターゲットにされやすいもんねぇみなみは」
「あ、いや、そうだったらいいなぁって。や、でもやっぱいやかも」
「なにそれ。ほら、収録始まるみたいだよ」
「う、うん。すぐいく」
 うっかり口に出してしまってまだ隣にいた麻里子につっこまれる。とりあえず否定したものの、その可能性がないとは言い切れないなと思った。過去に何度ドッキリを仕掛けられたことか。今回だって『仲良しのメンバーが仲違いしているのを見て高橋がどんな反応を見せるのか』みたいな内容の企画に違いない。それを見てメンバーに大笑いされるのがオチなのだ。
「ほんとにそうだったらいいけどさ……」
 願うように小さく呟いて、ため息を吐く。
 またドッキリかと思うと切なくなるが、あの空気に比べたら何倍もマシだと思った。
 でも、もしそうじゃなければ――私は一体どうすればいいんだろう。
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