テキスト(連載)

□不器用ラバーズ/ゆうみな
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 いくら会場自体が広いからとはいえ、私たちが移動に使うスペースなんて逆に限られている。その限られたスペースを行き来する中で見つからないというのであれば、使えるスペースではあるけど死角になっている場所を探せば案外すんなり見つかるんじゃないかと安易な考えが浮かんだ。
 なら、死角になる場所ってどの辺なんだろう。
 ぱっと目に付いたのは天井からぶら下がっている階段の案内板。視線を下に落とすと扉らしきものがそこに在って、立ち入り禁止的に人が守っている様子も窺えない。
 ……いや、まさかね。こんな空調もまともに効かない非常出口みたいなところにいるわけがないって。
 頭ではそう思っているのに手はもう扉を開けに掛かっていて、コンコースに比べて生温い空気に一瞬怯みながら、中の様子を窺いつつゆっくりと扉を引いた。

「……あー、マジで犬やん私」

 勘がいいだけなのか優子の匂いを嗅ぎ付ける嗅覚が備わっているのか。
 手すりにもたれ掛かるように階段へ座り込んでいる優子の背中を見つけた瞬間に、安堵ともため息とも言える呼吸とともに苦笑いが零れた。忍び足で近くまで寄ると寝息が聞こえてきて、一定の間隔で吸ったり吐いたりしているところを見るとどうやら本気で寝入っているらしい。
 よくもまぁ、こんな暑苦しいところで寝てられるよね。
 顔を覗き込んで見れば薄っすらと額に汗が浮かんでいて、それでも平然としている寝顔に心底感心してしまった。
 どこでも寝れる人というか、どこでも寝てる人というか。そういうイメージはあったけど環境にも準じないってある意味すごいなって思う。

「優子。おい、優子ってば」

 とはいえこのまま寝かせておくわけにはいかないから、気持ち良さそうに眠っている優子の肩を揺さぶりながら呼び掛ける。にゃんにゃんに比べたら目覚めはかなりいい方で、小さい身体は低く唸りながらもゆっくりと瞼を押し上げた。

「起きた? 優子が行方不明だってスタッフさん大騒ぎしてるから。早く戻ってやれよ」
「……おまえさぁ。もうちょっと可愛い起こし方できねーの」

 大きく伸びをしながらがっかりしたようにため息をつく優子は、数時間前に比べたらかなりご機嫌斜めのように見えた。私の起こし方云々ではなく、ただ疲れて当たり散らしているような、そんな感じだ。

「可愛く出来なくてごめん……」

 わざわざ探しに来て起こしてやったのになんなんだよその言い草――なんて。思ったりもしたけど、こんなにしんどそうな顔を見せられてはいつもみたいに突っかかっていけるわけがなかった。

「あー……」

 掠れた声を出しながら不機嫌顔が急にしょんぼりし始める。

「ど、したん?」

 ゆるりと両手が伸びてきたと思えばそのまま優子が私に抱きついてきた。

「ごめん、八つ当たりした。ちょっと疲れてて」

 くぐもった声。それすらも疲れを感じてしまう。

「昨日も最後やったっけ」

 枚数の限られている個別の握手会と違って好きなレーンに並ぶことが出来るのが全国握手会だ。だからレーンによって人数にばらつきがあるのは当然で、その中でも敦子と優子のレーンは群を抜いて長蛇の列になる。個別に比べて拘束時間が短い分、人数が多ければ多いほど必然的に休憩が削られるわけで、ほとんどノンストップでの握手会が二日も続けば、他の仕事で溜まった疲労も相まって身体に負担が掛かるのは必至。笑顔も絶やせないし、生返事するわけにもないし、精神的なしんどさだって間違いなくある。
 めったに弱音を吐かない優子の口から疲れてるなんて漏れるぐらいだから、相当疲労困憊しているのだろう。

「昨日はあっちゃんと同じぐらいだったかなぁ。今日は少しサボっちゃったからわたしの方が遅いかも」

 ありがたいことではあるけどね、と顔を上げた優子は疲れた顔のままにえくぼを見せた。

「さーて、戻んなきゃ。呼びに来てくれて助かったよ。たかみなは早く終わりそうなの?」
「優子よりは、早いと思う」
「そっかー。じゃあ、もっかいぎゅーしとこ」

 離れそうになっていた手が再び背中に回されて、今度はさっきよりも強く抱きつかれた。もしかして甘えてんのかなって思って、躊躇いがちに抱きしめ返そうとした途端に優子はぱっと離れてしまい、疲れている割には機敏な動きで立ち上がると私の頭をぽんぽん叩きながら「じゃあね」と扉の向こうにさっさと消えてしまった。
 時間がないとわかってはいても、やけにあっさりしすぎていて妙に寂しくなる。
 けど、今日の優子は明らかに無理をしているのがわかるから。冷たいとかそっけないとか、そういうのじゃないから。
 久しぶりの二人きりな時間だったけど拗ねるべきところじゃないと自分に言い聞かせて、今しがた優子が抜けていった扉を追いかけるように開け放つ。

「まだ握手会の途中、だし」

 コンコースは明るい。握手会の会場はもっと明るくて、さらに熱気にも包まれている。
 そんなキラキラとした空間に沈んだ気持ちを持ち込むなんて自分で許せなくて、切り替えるように両頬を思いきり引っぱたいた。
 握手会が終わるまで優子のことは考えんなという戒めを込めて。
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