テキスト(SS)
□そこに背中があったから/あつみな
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あっちゃんって猫みたいだよね、と言ったのは誰だったっけ。
随分昔にどこかで言われたような気がするけど、それが誰だったのか明確なシルエットも出なければメンバーだったのかすら定かではない。
でも言われたことだけはしっかりと記憶に残っていて、ふとした瞬間にいつもその時の言葉が頭を過ぎる。
例えば今みたいに、みなみに対してわざと冷たい態度を取っている時とか。
「なー、あっちゃん。私、あっちゃんになんかしたっけ?」
困ったように眉尻を下げながら、みなみはずっとこんな調子で私の隣に居座っている。もうかれこれ十五分ぐらい経つだろうか。気のない返事ばかり返しているのに、彼女は一向に私の傍から離れようとしない。
「だから、別にって言ってんじゃん。しつこいよたかみな」
「別にって、そういう言い方するってことは怒ってるんやろー? 謝るから、理由教えてよ」
「なんですぐ自分が悪いって思うわけ? ただちょっと虫の居所が悪いだけし。だから近寄ってくんなよ。そこ居られたらずっと八つ当たりしちゃうじゃん」
「機嫌悪い原因はー? 八つ当たりしてすっきりするんやったら私は全然気にせんしさー」
大抵の場合ここまで言われたらすごすごと引き下がるはずなのに、みなみにはまったく効かない。というか、むしろ逆効果らしい。
みなみは私の機嫌が悪いと決まっていつも隣にやってきて、私が笑うまでそこに居続ける。嫌な顔ひとつせずに、ただひたすら私に話掛けてくる。
責任感が強いというか、義務になってるというか。
よくもまぁ、呆れずに来るよねというのが私の本音だ。
もし私がみなみの立場だった場合、こんなめんどくさいやつに構ってるだけ時間の無駄だって思ってしまう。
「べっつにぃ。ほっといたらそのうちいつも通りに戻るんじゃん? 私のことはいいからみんなのとこ行ってくれば」
収録の合間の休憩時間。何本かまとめて録る時はセットの交換やゲストの入れ替えがあって少し長めの休憩時間が与えられる。
仲良しで固まってお喋りしたり、テーブルに伏せって寝ていたり、ぼんやりしながらブログの更新をしていたり。過ごし方は様々で、みなみは大体寝ているか誰かと話しているか。ブログの更新をしているところなんてここ最近はめっきり見かけなくなった。
今日も楽屋のまん中で、優子を中心に楽しそうな会話が弾んでいる。その輪の中にみなみが入りたそうにしていることぐらい私にはお見通しだ。だから私のことなんて放っておいて向こうにいけばいいのに、みなみはまったく動こうとしない。私の機嫌が直るまでずっとここに居続けるんだと思う。
「どうせ行ってもいじられるだけやしー。前田さんは機嫌直してくんないしー」
「たかみながいるから機嫌悪いって言ったらどうすんの?」
さすがのみなみも今の一言には痛恨の一撃という顔になった。ほうれい線が少し浮いて、今にも泣き出しそうなほどの涙の膜が瞳に張られている。
「……冗談、だよ。ごめん。こんな風に八つ当たりしちゃうから、どっか行ってよ」
みなみの泣き顔を見ると、私の涙腺も一緒になって緩み始める。それを悟られたくなくて、ふいとみなみから目を逸らした。
気配は、まだすぐ傍にある。
なぜ彼女を試すようなことをしてしまうのか、自分でもよくわからなかった。
拗ねた時に、みなみはいつも傍にいてくれる。じゃあ、一体それはどこまで通用するのだろう。
単なる好奇心かもしれない。私のわがままに、みなみがどこまで許容してくれるのかという。
それからしばらく経っても、静かに佇むように私の隣から動く気配は見られない。
「あのさぁ、みなみ。私の話聞いてた?」
眺めていただけの携帯を置いてもう一度みなみの方に向き直ると、なぜか嬉しそうにニヤけているみなみの表情が一番に飛び込んだ。
「……なんでにやにやしてんの」
思わずつっこまずにはいられない。それぐらい、今のみなみの表情筋はゆるゆるだ。
「んー? だって、あっちゃんの機嫌、もうちょいしたら戻るやろー?」
「は? なんで?」
「名前呼んでくれたやん」
そういって今度は嬉しそうに目を細めた。椅子を引きながら、みなみはぐんと距離を詰めてくる。
少しだけ顔を近づけたら簡単に唇に届きそう――なんて。不毛な考えが頭を過ぎったけど、口元を意識してしまいそうになって勢いよく打ち消した。
「あっちゃんがみなみって呼んでくれるのは自然体でいる時やなぁって。最近気付いたんだよなー。へっへー。どお? 図星っしょー?」
涙なんて一蹴するほどのしてやったりなドヤ顔。私の頬を指の腹で突きながら、敦子のことならなんでもお見通しなんだぞーって自慢げに言って、子供みたいに無邪気に笑う。
「……うざ。たかみなうっざ!」
「いやいやいや、笑いながらうざいはないやろー。嬉しいくせにぃ」
まるで私の心を見透かすように歯を見せて、ぐにぐにと両頬を引っ張る。嬉しいくせに、なんて、またわかったようなことを口走るから、悔しいぐらいに腹が立つ。
「にゃんで」
「にゃん?」
「っ、なんで、そうやってすぐ人の心、読むのっ。むかつく!」
みなみの手を払いのけて、今度は身体ごとそっぽ向いた。みなみの言葉が的確すぎて、心が悲鳴を上げそうになったから。
「別に、読んでるつもりないしなー。長年連れ添ってると自然とわかっちゃうっつーか」
背を向けている私の頭をみなみの小さな手がくしゃくしゃと撫でた。スタイリングが崩れることなんてお構いなしで、優しい感触が何度も何度も往復する。
「長年連れ添ってるって、夫婦かよ……」
「……だめ?」
声がワントーン下がる。それがあまりにも寂しそうに聞こえて、衝動的にみなみの方へ向き直った。
じっと私を見つめるみなみの瞳には、ほんの少し不安の色が混じっている。期待させるようなこと言うなよって思ってんのに、そんな顔をされたら私はもう何も言えなくなってしまう。
「敦子」
真剣なまなざしで私の名前を呼ぶのは、まるで返事を催促しているよう。
「だめな、わけ。ないじゃん。だめなんて言うわけないし」
そう答える以外に選択肢なんてなかった。
嬉しそうにはにかむみなみを見ていると居てもたってもいられなくなって、小さくて華奢な身体へ飛び込んだ。みなみは一瞬驚いて短く声を上げたけど、すぐに背中を温もりで包んでくれた。
「ねー敦子さん。なんでご機嫌斜めやったん?」
「まだ気にしてんのそれ」
「夫婦に隠し事はなしやろー?」
……そういう言い方はずるい。むしろ、理由を聞き出すためにわざと夫婦という単語を出すように仕向けたんじゃないかとすら思い始めた。
「お腹空いてるとか?」
「それもあるけど」
「あとはー?」
「あとは……ほんとになんとなく、だよ。別に、理由なんてない」
みなみが他の子にばっか構うからじゃん、とは言わなかった。
やきもちを焼いているのがわかると調子に乗るのは目に見えたし、敦子には私が必要なんだろってドヤ顔するのも浮かんだし。
それはまぁ、悲しいかな、事実なのは確かで。でもなんか、主導権を握られるのはちょっとムカつくというか。
「なんとなくかー。あっちゃんってほんと昔っから猫みたいだよなぁ」
え、と思わず声に出た。
それと同時に記憶の引き出しがガタガタと音を立てて、中身をひっくり返すように手探りを始めた。