テキスト(SS)

□春に一番近い場所/まりみな
1ページ/8ページ

「レコ大獲れたらさ。みなみに言いたいことがあるんだ」

 あの時あたしが言った言葉を、キミはまだ覚えているだろうか。
 もう四ヶ月近くも前の話になる。
 あれから色んなことがありすぎて、雪が桜の雨へと変わるまでの毎日は息つく間もなくあっという間に過ぎた。

 春。
 出会いと別れの季節。何かが終わって、また始まろうとする季節。
 去りゆく物悲しさと迎える高揚感の、ちょうど狭間にいるような気持ちを抱える四月の初め。
 そして、かけがえのないキミが産声をあげた、麗らかな春の風が頬を撫ぜる心地良い季節。

*

「よ、さっき、ぶり」
 夜も遅々に押し掛けたせいか玄関の扉を開け放った時のみなみのしかめっ面に思わず浮かんだ苦笑い。何しに来たんですかと言わんばかりの怪訝な表情に気圧されて、ほんの一瞬怯んでしまった。
「何してんスかまりこさま……」
 予想を裏切らない言葉はやや呆れ混じりときたもんだ。
 そりゃそうか。朝から晩まで丸一日の握手会で、やっと終わって一息つこう、むしろもう寝ようと思っているような時間帯に自宅に押し掛けられたら誰だって同じ反応をするに決まっている。
 勢いだけでやってきたのはいいものの、実際に迷惑そうな顔をされてしまっては後悔しか生まれないわけで、思い立ったが吉日という考えに至った数時間前の自分にダメ出ししてやりたい気分になった。
「あー……ごめん。出直すわ」
 わかってはいたけど早くも心が挫けそうになって、まるで逃げるように足が自然と後退する。
「や、や、家まで来るぐらいなんだからなんかあったんしょ? とりあえず中入ってよ」
 玄関から身を乗り出してあたしの腕を掴んだみなみの手はいつも以上に温かかった。
 髪の毛も半乾きで、スウェットにキャミソール一枚。そして、ベッドに突っ伏したら十秒も数えない内に閉じてしまうんだろうと思えるほどに重そうな瞼。
 状況からどう考えても、お風呂から上がったばかりのタイミングでのこのこやってきた完全に空気の読めないやつみたくなっているあたし。
「……いやー寝る間際の乙女の部屋に上がり込むなんて篠田にはできな」
「乙女なんて微塵も思ってへんやろー。なに急にかしこまってんスか」
 小さな手は容赦なくあたしを玄関へと押し込んだ。
 物音に反応したのか、部屋の奥から子猫の鳴き声が聞こえる。
「あ、ここでいい。大した用じゃないから」
 手を引いたまま部屋へあげようとするから、抵抗するように反対側の手でみなみの腕を掴んだ。
「冷えた身体で帰すとか私が無理なんで」
 そんな風に言われたら一つ返事をすることしか出来なくて、半ば強引に部屋の中へと招かれた。
 適当に座ってて、とあたしをリビングにおいてキッチンに立つみなみ。言われるがままに腰を下ろして、BGM程度に掛けられたテレビ画面をぼんやりと眺める。
 ダイジェストとともに流れている阪神巨人戦の結果。プロ野球はさして興味がないから、視線はすぐにテレビから外れてキッチンのみなみへと向いた。

『乙女なんて微塵も思ってへんやろー』

 少し不貞腐れるようにみなみは言ったけど、湯上りでシャンプーと石鹸の匂いを漂わせて、しっとりと濡れた髪にそこそこの露出となるとそれだけであたしの胸は逸る。
 確かに総合的に見ると男らしいみなみの比率の方が高いかもしれない。だけど、こういうプライベートな時間だったり気の許せる休憩時間に見せる顔は、無垢で、年相応よりも幼く見えて、ギャップという相乗効果でより可愛らしい女の子になる。
 そのことに当の本人がまったく気付いていないし、気付く気配すらないし。
 他のメンバーのことを可愛い、可愛いという前に自分が一番可愛いということをいい加減自覚して頂きたいものである。

「ちっちゃいねぇほんとに……」
 視線の先にある、きつく抱きしめたら壊れてしまいそうなほどに小さな身体を眺めながらひとりごちる。
 その小柄な身体ひとつで、みなみはいつもたくさんの荷物を抱えていた。
 目に見えるもの、見えないもの。時には重責までも背負い込んで、まるで自分を極限まで追い詰めながら、がむしゃらに生きているように見える時すらあって。
 みなみはいつも強がっているけど、ほんとは無理してることだってあたしにはわかっている。そんな姿を見せられたら、誰だってその荷物を軽くしてあげたいという一心に駆られるはずだ。
 だから近くにいる時はなるべくに視界に入れて気に掛けるようにはしているけど、あいつはいつもあたしがいない時に限って荷物をぽんぽんと増やしていく。わざとかよってぐらい、あたしの見ていないところでワラを掴みながら溺れそうになっている。
 それに気が付くのは大抵事後で、そのたびに傍にいてやれなかった自分に対して勝手に腹を立てているのがここ最近の定番のパターンだ。
 まぁ、あたしごときが傍にいたところで、溺れかけているみなみを救うことが出来るのかと問われても力強く肯定することは出来ないんだけど。
「私、まりこさまになんかしたっけ……?」
「なんで?」
「いや……さっきからすげー睨んでるっしょ、高橋のこと」
 遠回しに視線が痛いと言われて初めて眉間に力が入っていることに気がついた。
 いかんいかん。不甲斐ない自分に苛々して、つい顔に出てしまった。
「そ? 可愛いなぁって思ってガン見してただけだよ」
「ま、またそうやってすぐ茶化――あっ、つぅ……」
 シンクから鳴り響く鈍い音と、くしゃくしゃに顔を歪めながら左手を押さえるみなみ。
 声はまったく出なかった。
 みなみが短く声を上げたと同時に、身体が勝手に走り出していた。
「はやく、冷やして」
「だ、大丈夫やって、ちょっと触れたぐら」
「も、いいや、みなみは黙ってな」
「え、ちょ、ええっ?」
 平気なフリをして取り繕うみなみを後ろから羽交い絞めにして、水栓レバーを思い切り押し上げた。火傷した左手を冷水にさらしている間、シンクに転がったやかんからは零れた熱湯の湯気が絶え間なく上り続けている。
 ――これ絶対百度はあるだろ。
 幸か不幸か、赤みを帯びているのはほんの一部。まともに掛かっていたら水で冷やすレベルでは収まらなかった。
「まりこさま、もういい、から」
 すっぽりと収まったあたしの腕の中でみなみは小さく身を捩る。
 抱き付かれてるのが嫌なのかなとも思ったけど、力を込めるような感じはしない。
「だめ。水ぶくれにでもなって痕残ったらどうすんの」
「うー……アイドルたるもの傷は作らずってやつですかぁ……」
「なにいってんだか。アイドルの前に女の子でしょーが。それとも、実はほんとに男だったりして」
 冗談で言いつつも無意識に右手が伸びてしまって、あ、やばい、と思った時にはもう引っ込めるタイミングというものを失っていた。
「……そいやお風呂上がりだった、よね。生で揉んじゃった」
 びくっ、と震えたその振動が背中から伝って、ものの数秒で我に返ったあたし。
「な、まとか、言うなぁ……」
 吐き出されたのは涙交じりのか細い声。
 触れてる間、みなみは一切の言葉を発せず、暴れることすらしなかった。
 予想していた反応と違いすぎて慌ててキャミから手を引っこ抜いても、掌に残る生々しい感触がいつまでも消えずにそこに残ったまま。
「や、うん、女の子、だった」
 直に触ると案外膨らみがあったというか、想像していた以上には確かな感触があったというか。
 ほんの一瞬の出来事を思い返すように指が自然と動いてしまう。
「て! 手! おっさんか! まりこさままでゆうちゃんみたいなことすんなよぉ……!」
 聞き捨てならない台詞と固有名詞に、指の動きがぴたりと止まった。
「ゆっぴーにも触られたの?」
 パチン、とスイッチが入る音とともに、自分でもわかるぐらいに声のトーンがぐんと下がる。
「ふ、服の上から、やけど」
 それを感じとったらしいみなみの声は少し怯えているようにも聞こえて、一瞬だけ合った目を逸らすように伏せられた時に、自分がどれだけ不機嫌な顔をしているかが想像出来た。
 ほんとに、どこが魅惑のポーカーフェイスだよ。
 少なくともみなみのことに関しては感情を表に出さずにいるなんて、今のあたしに出来るわけがなかった。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ