テキスト(SS)

□one step/にゃんみな
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 バレンタインデーの八分の一の確率。あれはもうほとんど賭けみたいなものだった。
 全部食べてもらえるという保障だってないし、たとえ食べてもらえたとしても彼女のことだからまったく気付かないことだって普通に考えられる。
 現に、あれから態度が変わったかと言えば否。まるで何事もなかったようにこれまでと同じような日々を過ごして、丸々一カ月が経過してしまった。
「そりゃそうだわな……」
 にゃんにゃんにしか作ってきていないという軽いジャブは打ったけど、やっぱり右ストレートぐらいの威力を持ってぶつからなければ伝わらないらしい。
「そりゃそうだよ」
「ほんとそれ」
「だよなー。ってひとりごとに横入りしてくんなっつの」
 いつからそこにいたのか両サイドから私を挟み込むように立っていたのはツインタワーだ。向かって正面にある鏡に映った三人の姿がM字に見えて、余計にむっとしてしまった。
「なんだよかりかりすんなよー。はい、あーんして?」
 佐江に言われるまま口を開く。何か放り込まれたと思ったら、舌が甘さに包まれた。
「こっちも。ほら」
 続けざまに才加から放り込まれた物は、佐江のに比べたら甘さは控えめだ。
 ――って雛鳥か私は!
「にゃ、にゃんだよふたりひて!」
『にゃんだよ』
 うまく喋れずにいると二人は声をハモらせて卑しく頬を緩めた。
 笑われると急に恥ずかしくなるもので、鏡に映った自分の顔は目に見えて真っ赤に染まっている。
「あいかーらずかわいいねぇたかみなは」
「もーなんだよぉ」
 背の高い佐江に後ろから抱き付かれるとそれだけで身動きが取れなくなる。抵抗したところで無駄に体力を使うだけだから、こういう時はあえて大人しくしてしまう私。
「元気なさそうだったから気になってさ。なんかあったか?」
 佐江は抱きついたまま、才加はその上から大きな手で頭を撫でてくる。
 いつもとさして違う様子を醸し出していたわけではないのに易々と察してしまうから、こういう気遣いに長けたところがこの二人のすごいところだと常々思う。
「なんもないよー。ちょっと物思いにふけってただけやし」
「ふーん。物思いねぇ。こじぱのことかな」
 ――なんで? 
 才加の読みがあまりにも的確すぎて、出そうとした声が喉元に引っ掛かる。
 わずかなやりとりの間にそんな雰囲気も、言葉も、何一つ手掛かりは出していないのに。
「たかみなわかりやすー。今日はこじぱ元気ないもんなぁ」
 だから何がどう一体わかりやすいんだよ……!
 今にも口をついてしまいそうなところをぐっと堪えて、余計なことを悟られないように平静を装うことに集中する。
「そんなんじゃねーわー。っつかにゃんにゃん元気ないん? 今日全然喋ってないからわかんないや」
 喋っていないのは紛れもない事実だ。律儀にバレンタインのお返しを渡しに来たメンバーたちとずっと一緒にいたから、近づきにくかったというか話のネタもなかったというか。収録の時も席は端と端だし、間に挟んだ休憩の時は優子や敦子とソファーに転がって寝ていたし。
「こじぱが元気ないのはそれが原因なんじゃないの?」
 真面目な顔のままに才加は言う。
「どういう意味?」
「たかみなが喋ってくんないから拗ねてんじゃね、って意味」
 相も変わらず表情を崩さないままの真剣な口ぶり。逆にこっちが笑ってしまって才加は眉を顰めた。
「ないない。ゆうちゃんと一緒にいた方が絶対楽しいやん」
「そー? たかみなといたら楽しいし元気になれるけどなー。いじった時の反応可愛いし」
「やめ……さえちゃんの楽しいは意味合いがちゃうやろー!」
 ほっぺたを指で突かれてくすぐったさに身を捩る。
「ばれた? かわいいなぁこいつぅ」
 それを制するようにぎゅううって音が漏れてもおかしくない力で締め付けられて、一瞬意識が飛びそうになった。頬ずりしてくるところなんでまるで犬みたいだ。どうみても大型の。
 いっそにゃんにゃんと佐江の性格が入れ替われば最高なのに。そんな野暮なことを考えてしまった。
「佐江、いい加減にしとけ。さっきからめっちゃ睨まれてんぞ」
「睨まれてる?」
 まさか、なんて淡い期待を抱いて佐江と一緒に振り返ると、じっとこっちを見ていたのはゆきりんだった。
 うわ、絶対怒ってるやんアレ。
 しかも嫉妬対象はどう見ても私だ。若干睨まれているのも佐江ではなくて自分のような気もする。
「勘弁してくれよー。これ以上悩みの種増やさんで……」
 ただでさえにゃんにゃんのことで頭がいっぱいなのに、よその痴話喧嘩に巻き込まれたら精神力なんていくつあっても足りない。
「ごめんって。最近忙しいからさー、主にゆきりんが。会える時に構わないとすぐ拗ねちゃうんだよねー」
 さり気なく惚気話を披露しながら、佐江は足取り重くゆきりんの元へと向かう。
 そっぽ向かれて、謝り倒して。後ろから見ているとまるで尻に敷かれる彼氏のようなシルエットだ。
「さえちゃんが彼氏で、ゆきりんが彼女みたいだよなーあの二人。じゃれてるだけで嫉妬するとかさ」
 でも実はちょっと羨ましい、とか。
 佐江のニヤけた顔を見ているとそう思う部分もあったりはする。
「いま嫉妬してもらって羨ましいとか思っただろ」
 ――まただ。またこの人は見透かしたように断言する。
「……なんで?」
「まぁ、野生の勘ってやつ?」
「野生って」
 いきなり野生なんていうからしっくりきすぎて笑ってしまった。
「笑いすぎじゃね?」
「笑かすようなこと言ったの才加やろー。さっきからなんか握ってる的な発言ばっかやし」
 まるで手の内が読めているようにことごとく鋭いところを突いてくる。野生の勘にしてはかゆいところに手が届きすぎているし、本当に何か握っているのではないだろうか。
「握ってるっていうか。こじぱのこと好きなんだろ? ガチで」
 笑いは一切ない。真顔のままストレートに訊ねられて、こっちまで真顔にならざるを得なくなった。
「……なんでいきなりそーゆー話になんの?」
 冷静を装っていても思いもよらぬところから核心に迫られて心臓が煩いぐらいに我鳴った。動揺していることを悟られないようにまっすぐ才加を見ていても、射抜くような眼差しに根負けして今にも逸らしてしまいそうになる。
「違うの?」
「それ、答えになってへんやろー」
「そっか。違うのか」
「ちが、わない、けど。ちょ、いい?」
 違うと断定したら自分の気持ちにも嘘をつくことになる。
 そう思うと否定することなんて出来なくて、才加の手を引いて楽屋のさらに隅へと移動した。
「才加、どこまで気付いてるん……?」
 楽屋に戻るメンバーが増えてきたから聞かれてしまわないように声を潜めた。
「どこまでもなにも、ただほんとにこじぱのことが好きなんだろうなって勝手に思ってるだけだよ。別に確証があるってわけでもないし、秘密を握ってるわけでもないし。好きなんだろー?」
「す、き、やけどっ……もうちょい声落と、う、わ」
 あからさまに声のボリュームを上げて喋るから慌てて口を塞ごうにも、身長差がありすぎて伸ばした手が空を切る。勢い余ってつまづきそうになったところを才加に抱き留められた。
「ご、め」
「……せっかくだし煽ってみるか」
「煽る?」
 一体なんの話をしてるんだ。
 そう思った矢先、力一杯才加に抱きしめられた。
「なんだよいきなり」
「思ったより抱き心地いいことにびっくりしたわ」
「い、意味わかんねっし。離せよっ」
「嫌だって言ったら?」
 私の言葉など聞く耳持たず、才加はさらに力を強める。体格差があるせいか才加の力が強すぎるのか、全力を振り絞ってもびくともしない。
「なん、で。才加はこんなことするようなキャラじゃないやろっ。離せってば!」
「っさいなー。犬みたいにきゃんきゃん吠えんじゃねーよ。キスしてその口塞いでやろうか?」
「っ……」
 耳元で囁かれる乱暴な言葉に、背中をぞくぞくとした感覚が走り抜けた。
「力抜いたってことはまんざらでもないの?」
「や、だぁ……耳元で、しゃべ……楽、屋、やんっ」
 才加が言葉を紡ぐたびに熱を持った息が耳を掠めて、つま先から上半身に掛けて徐々に力が入らなくなる。背中の神経をくすぐるような刺激が意識さえも眩ませる。
「そんな甘えた声出されたら本気で抑えられなくなるだろ」
 声のトーンが一層深くなった。耳朶を甘噛みされて、声が漏れそうになるのを唇を噛み締めて堪えながら才加の服をきつく握りしめる。
「さ、やか。も、ほんと、に」
 これ以上何かされたら本気で腰が砕ける。悔しいながらも、されるがままで手も足も出すことが出来ない。
「――っぶね。うっかりマジになりそうだった……たかみなはさ。好きな人に抱きしめてもらったり甘えたりする方が嬉しいと思う人?」
「そんなん、当たり前やん……」
 別に才加が嫌というわけではないけど、どうせ抱きしめられるんなら好きな人にしてもらった方が誰だって嬉しいに決まってる。甘えられるなら、それに超したこともない。
 ただ、私の場合は相手が相手なだけに見込みはほぼゼロに等しい。だからそういう場面を想像するだけで胸が締め付けられて目頭が熱くなった。
「泣くほど嫌か?」
 訊かれて首を振る。
「……こじぱからはこういうことしなさそうだもんなぁ」
 皆まで言わなくても私の考えていることはすべてお見通しなのだろう。さっきまでとは打って変わっての宥めるような口ぶりは余計に涙を煽る。
「泣かせて悪かった。けど、泣く必要はないみたいだぞ」
 ふっと力が緩められる。
「どゆ、いみ?」
 のろのろと顔を上げるとなぜかしてやったりな表情を浮かべた才加がいて、よかったな、と何がよかったのかわからない発言とともに私の頭を二、三度撫でた。
「こじぱが楽屋に入ってきたからちょっと餌まいてみたんだけどさ」
「は? え、さ?」
 にゃんにゃんが楽屋に入ってきたというから振り返ってみたけど、そこに彼女の姿はなかった。餌をまいたという、またしても謎の発言に頭の中ははてなマークでいっぱいになる。
「けど、ちょっとかわいそうなことしちゃったかな」
 考え込むように才加はひとりごちる。
「かわいそう? 誰が? わかるように話してよ」
「こじぱ。多分、たかみなのこと相当意識してる」
「は……?」
 何を言い出すのかと思えば。あまりにも突拍子のない発言に思わず目を丸くした。
「適当なこと言うなよー」
「適当じゃないって。何とも思ってなかったらこっちチラチラ見たあとに深刻そうな顔で出て行ったりしないだろ。それに確証はある。泣かせたお詫びに釣り上げてきてやるから才加に任しとけー」
「釣るって…」
 やけに自信に満ち溢れた様子の才加にそれ以上何も言うことが出来なかった。
 着替えて大人しくで待ってな、と手をひらひらさせながら楽屋を出て行く。その後ろ姿を見送りながら、崩れ落ちるように近くの椅子に座り込んだ。
 才加が何をしようとしているのか、まったく意図がわからない。突然抱きしめてきた意味も、餌だの釣りだの、何か目論んでいることはわかるけど雲を掴もうとしている気分だ。
「あー……なんなんだまじで……」
 着替えておけとは言われたものの色んな疑問が頭を渦巻いて動く気になれなかった。ため息ばかりが零れて、正直身体を起こしているのも怠いぐらいだ。
 一体、彼女は何を企んでいるのだろう。
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