novel・short

□花の香り
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 ふわり、と花の香りがした。





 暇だなあ、退屈だなあと思った時、彼女はいつも、僕の前に現れる。
 それがいつからだったかはもう忘れてしまったけれど、今日も例外ではなかった。いつの間にか、僕の前には彼女が立っていた。

「まーた退屈してるの?」

 人生楽しまなきゃ勿体ないわよ、と彼女は楽しそうに言って、僕の頭をくしゃりと掻き回した。
 ぼーっと窓の外を見つめていたのだけど、ちょうど目の前に彼女が現れたものだから、僕の視界は彼女が着ているワンピースのオレンジ一色になる。顔をあげて、彼女の顔を見れば、予想通りの楽しげな笑いを浮かべていた。

「セイカさんって、心読める人なの?」

 いつも僕が退屈してる時にやってきて、いろんな話をして、彼女が帰る頃には自分が退屈してた事なんてすっかり忘れてしまっている。セイカさんってそんな不思議な人。なんていうか、魔法使いみたいな。

「さあ? どうでしょう? 想像にお任せするわ」

 そう言って、セイカさんは年齢にそぐわない子供の様な笑い声を上げた。とは言え、僕が彼女の年齢を知っているわけではなく、僕が感じているのは年上だなっていうことだけだ。少なくとも同級生には見えないし、年下なんて以ての外。だけどそれ以上は何も分からなくて、僕が思っている二十代くらいだなっていうのは本当に想像でしかない。多分、当たらずとも遠からず、なんだろうけど。

「今日は何の話がいい?」

 聞かれて、少し考える。彼女は、楽しい話、哀しい話、いろんな話をしてくれるけど……。

「……ねえ、僕はセイカさんの話聞いた事ないんだよね。だから聞いてみたい」

 ずっと謎だったんだ、と言いかけて、口を噤んだ。彼女の表情の変化がはっきりと分かったから。ぎくりとして、視線が僕から外れる。そのままどこを見ているのか分からない目をして、思考しているのが分かった。もしかして、地雷踏んだ? そう思った時には、咄嗟に弁解の言葉が滑り出ていた。

「ごめん嘘。別に何でもいいんだ。話したくないことだってあるよね、そんなに気にしてないから大丈夫」

 早口でまくしたてる僕。彼女が離れていってしまうのが怖くて。何でもいいから、そのままずっと傍にいて欲しかった。ごめん、と繰り返す僕に、彼女は眉を下げて、哀しげに笑った。思えば彼女は笑ってばかりだ。哀しそう、だけど泣かない。微笑むだけ。不思議な人。

「いいよ、いつかは教えなきゃいけないと思ってたし。いつまでも謎ってわけにもいかないしね」

 どこから話そうか、と首を傾げた。その顔はやっぱり哀しそうなままで。

「……セイカさんが、話しやすいところから」

 それが僕の精一杯だった。もう何も聞けない。きっと僕の一言一言が、彼女を傷付ける。彼女の言葉を黙って聞くしかないと思った。
 僕の言葉に、そっか、と呟いて、彼女は話し始めた。





 私はね、人間じゃないのよ。確かに人型ではあるんだけど、……そうだね、君と同じじゃないってこと。それから、私は君と出会う前の記憶がぐちゃぐちゃなの。時系列順に並んでないし、前世っていうのかな、とにかく今の私のじゃない記憶もあるわけ。それがごちゃ混ぜになって私の頭の中に入ってるの。百年前の事だって普通に記憶にあるし。だから君にいろんな話を聞かせてあげられたのよね。
 神様? ううん、そんなんじゃないわ。だって私自身のことをよく分かってないもの。そうね、でも私は何かに宿ってるモノって前に言われた気がするなあ。それが何年も生き続けてるから、私は生きてるんだって言われた。誰に? 誰だろうね、それこそ神様かも。
 それに、私は人間が普通持てないような不思議な力を持ってる。そうね、さっき君が言ってた心を読める力っていうのも一つかな。君が思ってるのとちょっと違うかもしれないけどね。
 君と出会うまで、私は真っ暗な世界の中に居たわ。夜よりも深い闇の中、何も見えないの。辺りは全部黒で塗り潰されてて。手を伸ばしたって何も掴めないし、声を出しても響かない。そんな暗闇。そんなところから君は私を助け出してくれたの。私に気付いてくれたの。何もしてないって? それは君がそう思ってるだけで、私にとっては違うのよ。うーんと……言うなれば命の恩人? なんてね。でもそれに近いものではあるのよ。
 だから――……ありがとう。





 はっと俯いていた顔を上げると、そこには誰も居なかった。

「セイカさんっ!?」

 名前を呼んでみても、返事はない。僕の目の前にあるのは、変わらない景色。白い壁、花瓶に活けられた花。薬が置いてある棚に、水が置かれた机。見慣れた病室だった。違うのは彼女が居ないということだけ。
 ありがとう、という言葉を残して消えてしまった、不思議な不思議な、人間ではない“彼女”。
 花瓶に活けてあるのは金木犀だった。甘くて、どこか懐かしい匂い。どこで嗅いだのか考えて、彼女を思い出した。いつも彼女がまとっていた匂い、それが金木犀の香りだった。オレンジ色のワンピースが僕の記憶を曖昧にしていく。いつの間にか育っていた淡い想いをゆるやかに流していく。それが辿り着くのは一体どこだろう?
 窓の外には大きな金木犀の樹が見えていて、それは風に吹かれてゆらゆらと揺れていた。








『金木犀の花言葉:謙虚、真実――初恋』
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