novel・short

□秋の扇
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『別れよう』

 久しぶりのあの人からのメールはたった一言で、それはわたしをどん底に突き落とした。
 携帯に表示された無機質な文字。何度読み直しても書かれているのは四文字で、間違えようがない。どうして、ドウシテ。わたしが何か嫌われる様な事したの、ねえ。教えてよ。

『どうして? 理由を教えて』

 返事を書いて送ったけれど、数秒のうちに「あなたが送ったアドレスは、現在使われておりません」という事務的なメールが返ってきた。もうわたしのことは断ち切ったってわけ? 何よ何よ何よ、わたしがどれだけ我慢したと思ってるの。あなたの為にどれだけ友達との予定を変更したと思ってるの。二ヵ月よ、二ヵ月。たった二ヵ月しか経ってないの。それなのに、こんなに簡単に切れてしまう物なの?
 近くにあったクッションを手に取り、思い切り壁に投げつける。それはそのまま、壁にかかっていたあの人との写真が入ったフォトフレームとともに落ちていく。ああ、割れちゃうかもと思ったけれど、もうどうでもよかった。ガシャンと音を立てて、それは床に落ちる。周りにさほど飛び散らずひびの入っただけのガラスは、わたしたちの間を綺麗に割いていた。
 それさえもわたしに現実を突きつけているようで、酷く憎らしくなった。拾い上げて、分別なんか気にせずにゴミ箱にぶち込む。他にもあの人に関わりのある物があることを思い出した。それらを全て探し出し、ゴミ箱に棄てる。全部全部、もらったアクセサリーやその他の写真、そして思い出も一緒に。
 狭い部屋がぐちゃぐちゃになってきた頃、やっとあの人にかかわりがある物が全てなくなった。もうこれで終わり、忘れられる、そう思った瞬間に、頬を伝って何かが落ちた。拭っても拭っても、止め処なく溢れてくる。
 ――何でわたし、泣いてるんだろう。何であんな最低な人のために泣いてるんだろう。
 泣かなくていいじゃない、と思うのに、どうしても涙は止まらなかった。涙が出るほどに、わたしはあの人が好きだったのだと、初めて気付いた。あの人にとっては遊びだったかもしれない、だけどわたしにとっては全てだったのだと、気付いてしまった。
 思い切り泣きたくて、でも誰にも知られたくなくて。必死に声を抑えてベッドに突っ伏して泣くしかなかった。





 人の噂は流れるのが早いもので、次の日大学に行ったら、わたしとあの人の関係を知っていた人たち皆が、わたしを可哀想な目で見てきた。
 ふられた、ってことも知ってるわけね。いったい誰がそんな噂流すのよ。それに、知ってるのよ、あなたたちがわたしを陰で笑ってる事。声に出して言いたかったけれど、自分で自分をそんな可哀想な子にしたくなかった。
 黙って座ってれば、友達がやってきて口を揃えて言う。「元気出してね」「あの人だけが男じゃないよ」「きっといい人が現れるよ」だから何だと言うんだろう。結局わたしの話は、噂話の好きな女子大生の格好のネタでしかなく、それもその内に薄れていってしまう。
 気遣われるのが嫌で仕方なかった。今日は大事な講義が入っていたけれど、それはサボる事にして大学をあとにする。そのままの足で街に出て、アーケードの中をぶらぶらと歩いた。





 いくつも並んだショーウィンドウを見ていると、みんなきらきらしていて、今のわたしとはまるで正反対のような気がしてくる。秋冬物の洋服が飾ってある店、ジュエリーショップ、全国チェーンのカフェ。一人で歩いているのに、あの人と歩いた時を思い出してしまって無性に悲しくなってきた。涙を堪えるのに神経を集中させなきゃいけなくて、それさえも嫌になった。
 そんな感情を振り切ろうと足早に大通りを通り過ぎて、細い裏通りに入ると、今まで一度も気付かった小さなストーンショップが目に付いた。お店の名前は……英語じゃないことは確か。知っている言語じゃなさそう。よく分からない文字の羅列だった。
 なんとなく気になって、その店のドアを押してみる。からんころん、と鐘の音が鳴って、「いらっしゃいませ」と呟くような声が聞こえた。
 一瞬身構えて、ここはお店なのだから当然なのだと思い出す。自分がドアを開けたのに。
 棚に飾ってある、きらきらした宝石みたいなものを見回しながら中に入ると、わたしよりはいくらか年下だと思う店番の子がわたしをじっと見つめた。そして、ふうん、なるほどね、と頷く。

「フラれたんだ、秋の扇みたいに」

 寒気がした。何で知ってるの、という言葉は声にならず、間抜けに口を開けたままになってしまう。
 「秋の扇」。そういえば昔習ったことがあるなあ、なんて場違いな事を考えて、今のわたしは人から見ればそういう状況なんだという事を思い出した。
 ていうか自分より年下の子にそれを言われるってどうなの、わたし。よく、分かりやすいとは言われるけど。数秒の間に無造作にそんなことを考えた。

「あのさ、いろんな人に気遣われて逆にイライラしてるでしょ」

 溜息をつきつつ、鬱陶しそうにその子は前髪をかきあげた。見えた瞳は湖のように深い藍色。黒髪に藍色の目って相当不思議なのに、それに気付いたのは随分後になる。
 わたしは図星を指されて慌てていたのだ。

「ねえ、外に石ころが転がってるの見える? 今のあんた、そんな感じだよ。変に威圧感出してるから気を遣わなきゃいけない、だけどどかすのも面倒。ただ邪魔だなって思われてるだけの石ころ」
「なっ……」
「でも磨けば化けるよ、石ころは」

 失礼すぎるわよ、と声に出しかけて、その子から出た言葉に首を傾げる。

「磨いてやれば光るの。ダイヤモンドだって元は炭素だぜ? 女は特に磨けば変わるし」

 よし、と満足気に頷いて、その子はぽーんと無造作にわたしに向かって何かを放った。
 反射で思わず受け取ると……石? それも周りに飾ってあるみたいものみたいにきらきらした……。

「それ、やる。普通はそこまで磨いたものだと結構金取るんだけど、特別にタダであんたにやるよ」
「え、これもしかして普通の石を磨いたものなの?」
「当然。まあそこらへんに転がってる普通の石ってわけじゃないけど、結構どこにでもあるものでそんなに高価じゃないし。そんな風に、磨けば何でも光るから……まあ、頑張って」

 それだけ言うと、もう用事は済んだとばかりに、その子は店の奥へと消えていってしまった。
 店番が居なくなってしまったから、店の中にずっといるのも居た堪れなくて、とりあえず外に出る。さっきもらった石を陽の光にあててみて、ああ綺麗だなって心の中で呟いた。そのまま両手をあげて伸びをして、気合を入れ直す。
 あの子はわたしを励ましてくれた、って取っていいはず。磨けば光るんなら磨いてやろうじゃないの。まずはこの長ったらしい髪をばっさり切る事から始めようかしら、とわたしは歩き出した。
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