novel・short

□絶対的な距離
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「あれで良かった?」

 外回りのあとそのまま直帰だという紫に押しきられる形で一緒に電車に乗った彼女は、開口一番そう尋ねた。

「上出来」

 彼は口角を上げて愉しそうに笑った。
 互いの知り合いがいるとき、特に紫側の知り合いがいる場合はあくまで初対面もしくは少々の面識がある程度のふるまいをする、というのが約束だった。お互いを守るためにも。そういうわけで、あのスーツの二人がいる前ではあくまで『上司の親戚を会社で見たことがある』というような設定で話をしていたのである。もちろん、単に『見たことがある』だけではないしそれどころかある一定以上の関係という実態。上司の親戚であることは本当のことなのだが。

「でもさあ、妹ってさ……」

 いくらナンパを追い払うとはいえ、扱いがひどすぎやしないか。

「一番早いだろ」
「そうだろうけど……」
「はいはい、悪かったな夏希(なつき)」

 ぽん、と夏希という彼女の頭に右手をのせて、全く悪いとも思っていない様子でなだめる。

「紫さん絶対反省してないよね」
「まあな」
「やっぱり……!」
「仕方ないだろ、未成年のガキにたぶらかされてるなんて言えるか」
「ガキとか! たぶらかしてないし!」
「うわー無自覚なの? タチ悪いな」
「はい?」
「いやこっちの話」

 降りるぞ、とさりげなく夏希の手を引いて立ち上がる。結局彼女は食い下がることができずに二人は電車を降りた。



 駅から歩くこと数分。去年できたばかりの真新しい白いマンションに到着した。夏希はもうすっかり覚えてしまったその建物を見上げ「相変わらずでかいなあ」とこぼす。

「紫さんお金持ちだよねえ」
「そりゃ社会人五年もやってればな」
「独身だしね?」
「ほう? 俺が夏希に全く何もしていないとでも?」

 エレベーターの中で紫はおもむろに手を伸ばして夏希の首元に見え隠れするシルバーの鎖を服の上に引っ張り出した。長めのその鎖の先には三つのリングが組み合わさった指輪が下がっている。

「ゴメンナサイ」

 知っている。八つも年下の自分が隣にいることを許してくれている優しさも、自分が余計な心配をしないように気遣ってくれていることも、――端から見れば不釣り合いだということも。むしろ、『気を遣われている』から気付いてしまう。

「……夏希?」

 紫は無言になってしまった夏希の顔を覗き込み、「どうしたー?」と顔の前でひらひら手を振った。

「着いたんだけど。ほら、靴」
「え?」

 いつの間にかエレベーターは目的の階に着き、紫の部屋まで来ていたらしい。夏希は急いでショートブーツを脱ぎ既にリビングへ向かう彼の背中を追った。
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