遥か3

□絶対温度
1ページ/1ページ

【絶対温度】

 雪もまだ降り続く如月の頃。縁側に座りながら溜め息をつく望美の姿があった。
「この時代に、ないもんなぁ…」
「何がですか?」
「チョコレートです」
「それは何でしょうか?」
「…えぇ!?」
 そこでようやく望美は顔を上げた。
 そこに居たのは。
「べ、弁慶さん!」
 慌てる望美に、再度弁慶は尋ねる。
「はい、僕です。それで、ちょこれーと、とは何ですか?」
「えっと、私達の時代にある、甘いお菓子です。色も形も様々なんですよ」
 望美の答えに、弁慶は首を傾げる。
「想像がつきませんね。でも、望美さんはどうして、それを欲しがってたんですか?」
 苦笑しながら更に問いかける弁慶に、望美はぎくっとして言った。
「いいえっ。何でもっ」
 望美に言えるわけがない。
(まさかそれを、弁慶さんにあげたいなんてっ)
「…おや、望美さん?顔が赤いですよ?」
 ひょいと覗きこまれ、更に赤くなる望美。
「なな、何でもないですっ。私はこれで失礼します!」
 慌てて駆けてゆく望美。
 あとには、ぽかんとした弁慶だけが残った。
「望美さん…?」

「チョコレートが駄目なら何をあげればいいか、なんて俺に訊かないで下さいよ、先輩…」
 譲の部屋で、もじもじしている望美に譲はぼやいた。
「だ、だって譲くん、色々知ってるから、何か分かるかなって…」
「…すいませんが、俺は分かりません」
 溜め息と共に譲はそう答えた。
「うん。ごめんね、譲くん」
 しゅん、としながら譲の部屋を出るべく立ち上がった望美だが。

 ―――ばったんっ!―――

 倒れた。
「えっ!?せ、先輩!しっかりしてください!」
 驚く譲が望美を抱え起こすと、熱が伝わり、かなりの熱があるのが分かった。
「な…何やってるんだ、この人は…」
 半ば呆れた譲は、結局。

「ものすごく癪なんですけど、先輩を診て下さい!!」

 と、何気なく失礼な台詞を付け加えながら弁慶を呼んだ。
 譲に呼ばれた弁慶は、望美を診て一言。
「知恵熱です」
 とのたまった。
「しばらく休めば熱も下がりますよ。ところで、望美さんは何をこんなに悩んでたんですか?」
「…さあ。本人に訊いて下さい。俺は失礼します」
 不機嫌に言うと、譲は行ってしまった。
「…僕、何かしましたっけ…?」
 腑に落ちない弁慶の横で、ふと望美が動く気配。
「う…ん、弁慶さ…」
「はい?」
「……で、す…」
 まだ熱に浮かされている望美の微かなうわ言は、弁慶の耳には届かず。
「――――え…?」
 思わず訊き返すが、望美はまた静かに寝息をたてる。
 無防備なあどけなさは、幼子の様に可愛らしく見えて、くすっと弁慶は笑みを漏らす。
(…ああ、幼子とは失礼ですね)
 そう心で呟き、惹かれるままに指先でそっと望美の唇に触れる。
 柔らかく温かいその感触を、ずっと感じていたくなる。
「…ん…」
 再び、望美が動く。その声にはっとして、弁慶は弾かれたように指先を離した。
 だが、目覚めてしまったようで。
「弁慶、さん…?私…」
 ぼんやりと瞳の中に弁慶を映す望美に、柔らかな笑みで弁慶は教えた。
「譲くんの部屋で熱を出して倒れたんです。知恵熱…だったようですが、君がそれほどまでに心奪われる存在が気になりますね」
 ほんの微かな嫉妬が顔を出す。
 だが、それよりも望美の行動に弁慶は驚いた。
「えっ、熱…嘘っ、じゃあ…」
 慌てて起き上がり、しどろもどろになって赤くなり、口許に手を当てる。
「…望美さん?」
「い、いえ…別に…」
 どう見ても「別に」とは思えない態度である。
「…もしかして、まだ具合が悪いのを隠してたとか…」
「違いますっ。知恵熱…って事は…さっきの夢…あ、いや、気にしないで下さいね」
 ざくざくと墓穴を掘り続ける望美。それが何だかおかしくて、弁慶はくすくすと笑った。
「本当に君は、退屈しませんね」
「そ…そうですか?」
「ええ。…何だか気になってしょうがないですね。…君の夢が」
「そっ、それより、弁慶さん、誕生日おめでとうございますっ!」
 いきなり祝われ、弁慶はぽかんとして望美を見た。
「誕生日…ですか?」
「く、九郎さんから教えてもらいました」
 なるほど、と弁慶は納得する。
「しかし、いきなり祝われるとは思いませんでした」
 苦笑して弁慶は言う。
「でっ、でも、プレゼント何にも思い浮かばなくて…だから、バレンタインのチョコレートとか考えたんですけど、この時代にはないから…」
「もしかして、それで熱を…?」
「う…は、はい…。何か、あまりにも分からなくなっちゃって…」
「…可愛い人ですね、君は。…そうなると、僕は僕に嫉妬していたのかな」
「え?」
「君が熱を出して、その原因に少し、嫉妬していたんです」
「っ…」
 驚く望美は、うつむきがちに言った。
「…バレンタインって、大好きな人に想いを告げる日なんです」
「――――」
「チョコレートはないですけど…私…弁慶さんが好きです」
 震えているのが分かる。
 それでも、伝えたかった。
「…ありがとうございます、望美さん」
 ふわりと望美を抱き寄せ、弁慶は囁いた。
「僕も、君が好きです」
「…っ」
 涙が溢れる。慌てて袖で拭おうとし、止められる。
 そして、浮かんでいた涙の粒を舌で掬いとる弁慶。
「っ…!」
「擦ったら赤くなってしまいますよ」
「で、でもっ」
「…嫌、でしたか?」
 困ったような目で見られ、望美は赤くなりながら否定する。
「い、いえ…」
「そういえば。先程の夢…教えてくれませんか?」
「……弁慶さんと、キスする夢…です」
「きす…とは、口接けの事ですか?」
「ぅ…は、はい。…どこで聞いたんですか?」
 恥ずかしそうに尋ねる望美。
「将臣くんに一度、教えてもらいました」
(まっ…将臣くん!!)
 心の中で望美は幼馴染みを恨んだ。
 だが、それよりも。
「もしかしたら、僕のせいかもしれませんね」
「え?」
「望美さんに口接けたい…そう思いましたから」
「えええっ」
「…もし良ければ…ちょこれーとの代わりに、君の甘い口接けを僕に下さいませんか?」
 聞いてる方が落ち着かなくなる弁慶の台詞に、望美は動揺しながらも頷いた。
「じゃ、じゃあ…目、閉じてて下さい」
「はい」
 言われた通りに弁慶は目を閉じる。
 そして望美は、ゆっくりと弁慶の唇に自分のそれを重ね合わせた。

-了-

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ