■桜蘭高校ホスト部■

□魔王様の視線には
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いつもなら乗客もまばらなはずの土曜の夜。だが今夜の電車は浴衣姿の若者達でごった返していた。

車両が大きく揺れるたびに、吊り革の軋む音に混じって、カップル達のじゃれ合う声や、少女たちの集団のかしましい嬌声が上がる。

運よく座席には座れたが、電車移動に慣れていない鏡夜は、どっと疲労感に襲われ、背もたれに沈み込むように体を預けた。


「楽しかったですね、花火大会。綺麗だった」

「…そうか?」


俺は花火など見る余裕はなかったがな、と口の中だけで呟いて、隣に座る浴衣姿のハルヒに目をやる。

白地に菖蒲の花が大きく描かれた涼しげな柄、花と同じ紫色の髪飾り。
帯を潰さないようにと、背筋をシャンと伸ばして腰掛けている。

襟元から覗くうなじ、なだらかな肩。浴衣姿は小柄なハルヒをますます華奢に見せていた。

普段は男子の制服に身を固めているので気付く者はいないが、素顔のハルヒは間違いなく美少女の部類に入るだろう。派手さはないが可憐な野花のような美しさを持っている。今も自然と周囲の視線を集めているのだ。

ハルヒの前に立っている男2人連れも、その後ろにいるカップルの片割れの男も、チラチラとこちらを盗み見ている。

鏡夜はギロリと周囲の乗客を見回し、浅ましい男たちを牽制する。鏡夜のメガネが不敵に光りを放ち、その鋭い視線は車内の温度を氷点下まで凍えさせた。鼻の下を伸ばした男たちは、ぶるりと肩を震わせると慌てて目をそらすのだった。

当のハルヒはもちろん気付いていない。今夜の花火をいたく気に入ったようで、鏡夜の憂いの元であるその魅力的な笑顔を見せている。

「行きはすごい混雑でしたけど、河川敷は意外と空いてましたよね。あんな穴場をよく見つけましたね」

「たまたま、いい場所が取れただけだ」

「へぇ。来年は友達にも教えてあげようかな」


あっけらかんと言うハルヒに、鏡夜はムッツリと不穏なオーラを撒き散らす。
たまたま、なわけがないだろう?と不満が舌先まで出かかるが、そんな不恰好な真似ができるわけがない。

この花火大会は近隣地域でも有名な、数万人が集まる大イベントだ。どこもかしこも人だらけ。今さら穴場などあるわけがないのだ。

「誰のせいで、しなくていい苦労をしてると思ってるんだ…」

「え?なにか言いました?」

「…べつに!」

本当ならば夏休みはハルヒを連れて、鳳家の別荘で静かに過ごそうと思っていた。
だがハルヒに、「地元でいいじゃないですか。夏期講習の課題やらなきゃいけないし、あんまり時間ないですから」と、計画はあっさりと却下されてしまった。
しかたなく、一般客の大群に紛れながらの庶民的デートをする羽目になったのだ。

もちろん鳳家のプライベートポリスを各所に配置し、警備は万端。観客の中にひそかに紛れさせた側近たちに、ハルヒの半径1m以内に人を寄り付かせないよう命じ、鉄壁のガードをしていたのだが。

それでも無防備で無自覚なハルヒは、鏡夜がちょっと目を離すとすぐに浮かれた男たちに声をかけられてしまう。
その度に相手を凍りつかせる一睨みで撃退するのだが、ちょこまかと夜店を巡るハルヒの後を追いかけながら、気を緩めるひまがない。この数時間で、鏡夜の疲労は極限に達していた。


まるで子供の手を引く母親の心境だ……。


無邪気にはしゃぐハルヒの隣で、鏡夜は本日何度目かのため息をついた。


「来週は海に行く約束、覚えてますよね?」

「ああ、もちろん」

「よかった。新しい水着、買いましたから。思い切ってビキニにしてみました」

ぐっ、と息を飲んで、鏡夜は不愉快に眉間を寄せた。急に黙り込んだ鏡夜を、ハルヒは不思議そうに見上げる。

「先輩?」

「……予定変更だ」

「へっ?」

「芋を洗うような海水浴場なんかに行けるか。行き先は沖縄の鳳家のプライベートビーチに変更だ」

「え、でも夏期講習があるし」

「だれがお前に意見を聞いた?これは決定事項だ。海鮮づくしの豪華ディナーに、なんなら職人を呼んで花火も打ち上げてやる。それならどうだ文句があるか」

泊まりなんて無理ですよ!?と慌てふためくハルヒを、憮然としたポーズで見下ろしてやる。
鏡夜が強く言い張れば、最終的にはハルヒが折れる事になるだろう。それがわかっているから、つい命令口調になってしまう。


「鳳家の財力を甘くみるなよ?花火がそんなに気に入ったなら、今日の倍は用意しよう。まさか行かないとは言わないよな、ハルヒ?」


お前が望む事はなんでも叶えてやる。

だから…これ以上、俺を不安にさせるなよ。


本当に言いたい言葉は、不恰好すぎて口には出せないけれど。
ハルヒを見守るその視線には、押さえきれない愛しさが滲み出ていた。


=end=
 

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