□よみきり短編□

□睡蓮の城・2
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「主は具合がすぐれませんもので…ご無礼をお許しください」


屋敷の前にはすでに豪奢な装飾の馬車と従者が待機していた。
公爵夫人の見送りを嫌がって逃げ出した主の代わりに、執事は深々と頭を下げる。

「いいのよエドガー、いつもの事だわ。あの子の強情にも困ったものね」

夫人は不愉快そうに眉をひそめた。美しい顔を下品にゆがめるその仕種をエドガーは黙って見下ろす。

「大伯父様はトレイシー家の名前を残すためこのまま後見人を続けるつもりらしいけど、私と夫は当家に引き取ったほうがいいと思うのよ、あの子のためにも」

親切ぶってそう言う夫人だが、お荷物でしかない5才の子供よりも財産を引き取りたいのだと、その顔には書いてある。名門貴族といえどその体面を保つためには金はいくらあっても足ることはないのだ。

エドガーは夫人の強欲そうな顔から目を背けるために頭を下げた。

「亡き当主の意志をご理解くださった事に感謝いたしております。僭越ながら主に代わりまして心から御礼申し上げます」


しなやかな動作でドアを引く執事の手に、夫人はそっと自分の手を重ねる。

「屋敷にはあなたも連れて行きたいと思ってるのよ、わかるでしょ?」

むせるような香水の匂い。薄い手袋ごしに感じる生暖かい体温。
振り払うわけにもいかず、エドガーはその手を受け入れる。

「公爵夫人である私がこんな片田舎に度々足を運んでいるというのに、あなたのもてなしはいつも冷たいわ」

夫人は執事のつややかなテイルスーツの袖をくすぐるようになぞる。

「いつになったら愉しませてくれるのかしら」

「…お戯れを」

執事は身を固くして伏し目がちに視線をそらす。その禁欲的な仕種はかえって煽情的に映る。

「あなた本当に可愛いわ…。今日はこれで許してあげる。また3ヶ月後に来るわ」


夫人はエドガーの腕を強く引き寄せて、近づいた唇に自分の唇を強引に押し付けると、満足したように待っていた馬車に乗り込んだ。


エドガーは馬車が遠く見えなくなったのを確認すると、手袋の甲で乱暴に何度も唇を拭った。

「下品な紅だ…」


居間に戻っても主は相変わらず姿を隠したままだった。エドガーは夫人の口紅で汚れた手袋を外し、ぐしゃりと丸めると暖炉に投げ捨てた。

テキパキと新しい手袋をはめ直すと、つと眼鏡を押し上げて小さくつぶやいた。


「さて、次は隠れんぼですか」


エドガーは彼の幼い主を探しに屋敷の奥へと足を進めた。






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